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嫌悪博物館  作者: 若庭葉
3/8

展示番号3:「若害」

 近頃の若い奴ときたら──などと、思わず胸の内でごちた時、葛木は自分がそれだけ歳を取ったのだと実感した。

 無理もない。彼は今年で五十七になる──あと三年で還暦を迎えるのだ。

 二人の子供たちらとうに社会に出ており、それぞれ自立して働いている。妻との暮らしは特筆するほどの物ではないが、かと言って熟年離婚の危機に瀕していると言うこともない。ただひたすら単調に日々が過ぎて行くだけだった。

 しかし、彼は今の暮らしに満足していた──と言うより、そんなところにまで不満を抱くのは贅沢すぎると考えていた。

 ただ一つ、近頃の彼が我慢ならなかったのは、この春から職場にやって来た新入りのことである。

 その新人──影沼は非常に物静かで、よく言えばまびめそうな、悪く言えば人付き合いの不得手そうな青年だった。それだけならば目くじらを立てるほどでもないが、葛木には他に、どうしても気に入らないことがあった。


 まずもって、ロクに挨拶をしない。出社して顔を合わせても、「おはようございます」の言葉すらない。それどころか、会釈にもならないような、サッと目を逸らすような動作をするばかりである。そんなむつりとした態度を目にすると、朝から嫌な気分にさせられた。

 一度など「挨拶くらいしてくれてもいいじゃないか」と苦言を呈してみたのだが、結果は暖簾に腕押し。影沼は「はあ」とも「へえ」ともつかぬ声を漏らしただけで、静かにその場から離れてしまった。

 先述の内向的な気質と言うのも、度を越したところがあるのだ。普段から決して他人と目を合わせようとしない上、モゴモゴと不明瞭な声で喋る。そうした影沼の姿──人見知りの子供のようで、情けない──は、いっそう葛木の神経を逆なでた。いったいどのような生き方をして来ればこんな成人ができあがるのか、教えてもらいたいほどである。

 何より、彼は仕事の覚えが悪かった。入社からもう四ヶ月が経とうと言うのに、まだ初歩の初歩と言った業務で躓いているのだ。何度も同じミスを繰り返し、尚且つ反省の色が見えない。叩いても一向に鳴らないと言った風で、人に指導されている間は不貞腐れたような表情であらぬ方向に顔を背けるばかりだった。

 だから、少しも成長しない。そこら辺の中学生の方が、まだまともに働けるのではあるまいか。

 謂わゆる「ゆとり世代」と言うのが彼の年代に該当するのかはわからないし、そめそもそんな世代なぞで人を括ることが可能とも思えないが、影沼の勤務態度は、話に聞く「ゆとり」その物だった。少なくとも、葛木の中では。


 その他、身なりの汚さや常識のなさ、遅刻や欠勤の頻度が目に余るなど、影沼への不満は募るばかりであった。葛木の知る限り、ここ十余年の間に入社した社員の中でも、飛び抜けて不出来ではなかろうか。

 教育係の葛木にとって、悩みの種に他ならない影沼だが、それでも彼を馘首することは、会社にはできないらしい。それもそのはずで、葛木の勤め先からすれば、影沼は待望の新入社員だったのである。ここ何年か、自力で新人を獲得することすらままらず、そんな折に入って来た若者だったので、今後の為どうしても手放すわけにはいかなかったのだ。


 そうしたわけで、勤続三十年以上にもなる会社の為に、葛木は来る日も来る日も、この嫌悪の対象へ指導し続けた。どれだけ無視され、腹立たしい態度を取られても、必死に怒りを堪えて来た。

 しかし、今度ばかりは堪忍袋の緒が切れてしまった。

 ──まったく、近頃の若い奴ときたら……なんて情けないんだ!

 何度も何度も、胸の内で嘆き、腹の中で怒りを煮え滾らせた。青褪めた顔がカッと熱くなり、脂汗が一筋、額から伝い落ちた。

 ──少し蹴飛ばしただけで頭を打って死んじまうなんて、軟弱にもほどがある!

 収容施設の無機的な部屋の中で、葛木は宙空を睨みながら考える。今度は彼が、「新入り」だった。

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