天罰 (6/6)
「その声は間違いなく『ウサちゃん』の、あの時の声。ウサちゃんは何処だ」
「ああ、これかい? これを聞かせれば大抵の男は、ヒヒ、ヒヒ……だからな」
「そんな狭い場所に拉致・監禁しているのか」
「ヒヒ、あのな、昨夜気絶しているお前さんを介抱し、ここまで連れ帰ってきたのは、ヒヒ、隠すつもりはないが、俺だ。ああ、礼には及ばんよ。隣の好だ。当然のことをしたまでだ。気にすることはな〜い」
「それはカタジケナイが、それは何だ」
おっさんは空いたもう片方の手でトイレットペーパー3回分のペーパーを目の間にチラつかせている。どうやらそれは魔法の箱に挟まっていたトイレットペーパー1回分の続きのようだ。よく見ると連番が振ってある。通し番号で用意するとは気の利かない奴だ。ということは、まさか此奴が下手人。盗人猛猛しいとはこのことか。それにしても紙の扱いが手慣れている。間違いない、このおっさん、神だな。
「ああ、これか。気にすることはな〜い。此処にお前さんの印鑑でも押してくれればいいだけだ。何らな拇印でも構わん」
「ボインなのか」
「ああ、拇印だ」
「ボインでいいのか」
「ああ、拇印でも構わん」
「その前にそれ、読ませてもらうぞ」
「ピンポーン」
「おい! 何をしている」
「ピンポーン」
おっさんの神はトイレットペーパー3回分のペーパーをヒラヒラさせながらそれを振り回している。俺は瞬間的能力向上を祈り、必殺、超動体視力を発揮してペーパーに『証文』の象形文字を見つけた。それはまさしく、『あの』象形文字。そんなものに俺の大事なボインを晒け出すわけにはいかない。超動体視力のまま、おっさんの神を拝む。鼻毛が3本出ているではないか、気に食わん。それがヒクッとした時だ。証文を振り回すおっさんの神に雨が降り注ぐ。突然のゲリラ豪雨で証文であるトイレットペーパー3回分のペーパーが水に溶け出していった。よく流れるものだ。
「ピンポーン」
溶けた証文を放り投げ部屋に逃げ込むおっさんの神だ。だが俺はそれを追ったりはしない。深追いは禁物だからな。所在を掴んだ以上、袋のネズミと同じ。所詮逃げたところで、この雨からは逃れられない運命にある。何故ならおっさんの神が宿る部屋には屋根が半分しかないからだ。これも運命だ。希望の欠片もありゃしない。
◇
さて、おっさんの神の祭事に付き合った俺は喉が渇き水を求めた。ああ、水なら外にいくらである。しかし俺が求めるのは、もっとこう、不純物の入り混じった水だ。体には悪そうだが、あの味が忘れられないでいる。もう、中毒と言ってもいいだろう。捻ればジャーの、あの快感。早速、水飲み場に瞬間移動し、透明な器を掲げる。捻ればジャー、捻ればジャー。だが、一滴の雫さえ零れ落ちてはこない。ああ、忘れていたようだ。俺は今、減量中の身。ここで水を飲んでしまっては今までの苦労が台無しになるところであった。それで捻っても出ないように敢えて細工をしたのを失念していたようだ。これではスポーツマンシップに違反してしまう。我慢しよう。
隣から微かな騒音が聞こえてくる。また例の儀式が始まったようだ。おっさんの……おっさんの事は後回しにしよう。それよりもあの『ピンポーン』の考察の方が需要だ。あの声は99.99%の確率でウサちゃんのものと思われる。それを何故、あんなおっさんが所持していたことだ、解せぬ。いくら同じ職場の同僚とて一線を越える所業であろう。それも悪用されていると知ったら、ウサちゃんの胸が張り裂けるのは容易に想像できる。その先を想像するのは自由である。
「おお〜、お許しお〜」
軽微な騒音は無視しよう。俺も大人だ。寛容な心は十分に持ち合わせている。だが、おっさんとウサちゃんが同僚と考えただけでも不安になるではないか。ここはひとつ、キツイお仕置きが必要になるかもしれない。その前に当事者であるウサちゃんに、このことを内通しておいた方が良いだろう。
「おお〜、お慈悲お〜」
これでウサちゃんと会う必然が生じた。仕方がないな。でもこれは俺の使命、知った以上には動かざるをえないだろう。それが人の社会というものだ。社会正義に突き動かされる宿命。それを黙って受け入れよう、それが世のため、人のためだ。
「おお〜、今回だけは」
喉が渇き腹も減った。地獄の減量だ。いや、ダイエットと呼び方を変えてみよう。そう思うと余計に腹が減る。隣のおっさんは呑気に踊っているし、俺は生死の境目を行ったり来たりの綱引き状態だ。えい、俺も負けん気で部屋の中を転がってやろう。するとどうだ、目が回って気持ちが悪い。ちょうどいい具合に空腹が忘却の彼方へと飛んでいくではないか。
「おお〜、一生のお願いです」
お前の一生は何度目だ、と聞く気はなくても俺の耳は侵入してくる。もういい加減観念せいや、と祈ると天の神が、上司の神かもしれんがそれに応えるかのように雷ゴロゴロ、雨ザーザーと空が騒ぎ始めた。屋根が半分しかないおっさんは、さぞかし地獄であろう。だが雷の怒号とおっさんの踊る足音で半端ない騒音だ。これは苦情の一つや百は言わねばならないだろう。しかし、その苦情を大家の婆さんにチクっても埒が明かないことは容易に想像がつくというものだ。ここは一つ直談判で事を進めるのが良さそうだ。ガツーンと。
ドコーン、きゃあー、いや〜ん。
◇◇
今まで経験したこともない雷が近くに落ちたようだ。だが、そんな事はどうでもいいくらい、トンデモないことが起こった。テレビがファイアし魔法の箱もファイアだ。
テレビが突然、午後7時の時報を奏で、何かの映像が目まぐるしく映り始めた。それを呆気にとられ見入る俺だ。その時間、僅か8秒。その後、テレビと魔法の箱は鎮火した。だが、その僅か8秒間に俺の心は満たされ今にも昇天しそうなくらい、膨大な情報が俺の中に流れ込んできやがった。それはあらゆる世界を記録した200万時間を超える内容だ。しかしそれを格納・保存できないのか、どんどん蒸発するように記憶から消えていくではないか。もしかしたら、あんな事やこんな事をしたかもしれない。ああ、記憶が……あの時、俺はやったのか? ダメだ、記憶が……。
俺は咄嗟に攻略ノートを、それも新しいノートを掴み、記憶の限り書き始めた。この記憶が消えてしまう前に、何としても書き残さなければならない。何故なら俺は、あの時、確かにやったような、やれなかったような。それを確かめる必要があるからだ。俺の人生を賭けてでも思い出そう。その僅か8秒間で得た膨大な情報と経験、そして俺とその仲間たちの物語を。