序章にして最終章 (2/2)
夜も更け、温泉に浸かる。
綺麗な月と星の共演だ。疲れ切った心と体が癒される。
その温もった気持ちのまま、床に着く。
俺の人生、そんなに悪いもんじゃなかった。あの箱を開けるまでは。
あの瞬間、俺の全てが吹き飛んだと言ってもいいだろう。
世界が眠りについた頃、俺は目を覚ます。
そして、夜が明けぬうちに宿を後にした。旅人の朝は早い。宿代はツケだ。
どうやら俺は、観光地に迷い込んだらしい。
団体客に押され、あれよあれよという間に、バスに乗せられてしまった。
俺の席があるわけがない……と思ったら、婆さんが隣に座れと催促してくる。
躊躇している隙に、バスは走り出した。
ガイドのお姉さんがマイク片手に講釈を始めた。
「左に見えますのは『地獄の門』で御座います」
なんだと?
「右に見えますのは『奈落の底』で御座います」
このバスは地獄行きだったのか。どうりで乗せられたわけだ。
ということは、乗客は全員、罪人ということになるのか。
俺は無実だ。冤罪だ。ちょっとあの箱を開けただけじゃないか。
さっき俺に声を掛けてきた婆さんが、ミカンを差し出し、俺に食えという。
俺は、それどころじゃないんだが、取り敢えず食っておこう。
元気な若者が、ガイドのお姉さんに発言の許可を求めた。
「ここで降ろして欲しいんだけど」
発言の許可は、まだ下りていない。
「途中下車するには保釈金が必要ですよ」
車内で罵声を浴びるガイドさん。
バスがいきなり護送車になってしまった。
良く見ると、そのガイドさんのネームプレートに『希望』と書いてある。
お前が、こんなところにいるなんて。苦労をしているようだ。
ガイドさんが人差し指を掲げ、とんでもないことを言いやがった。
「降りたい人、この指、止〜ま〜れ〜」
俺にミカンをくれた婆さんが俺を吹っ飛ばしてダッシュを決める。
それを見た他の奴らが護送車の前方に大集結だ。
バランスを崩した護送車がよろめき、電柱に衝突。
その衝撃で開いたドアから罪人が我こそはと、飛び出していく。
まるで地獄絵図だ。
護送車に残った俺はガイドのお姉さんに尋ねた。
「希望はあるのか」
「この先を行けば、あるかも」
「俺に、希望はあるのか」
「……」
無言のプレッシャーが俺を襲う。
◇
歩道を歩き、希望がある、というその先に進む。
その先へ、一歩一歩、希望に近づく。
しかし、近づき過ぎたらしい。誘導員に阻止される。
「危ないですから下がってください」
安全第一のヘルメットが希望第一になっている。
そうか、お前も『希望』なのか。
「何時になったら通れるんだ?」
「希望が確認されたら」
「俺は希望を確認した」
「逃げられたクセに」
何だと? 何故それを知っているんだ。お前はまさか『希望』なのか?
いや、さっき確認したばかりだ。
勝手に出て行った奴に、逃げられたなど、世間体の悪いことを言われたくはない。
いや、今更、世間体を考慮してもしょうがない。
考慮すべきは、こいつのことだ。
ということで強行突破だ。
俺は一目散に走った、走った、走った、走った、元に戻った。
「何時になったら通れるんだ?」
「希望が確認されたら」
「俺に希望はあるのか」
「……」
無言のプレッシャーが俺を狂わす。
俺は逆方向に走った、走った、走った、走った、疲れた。
自販機で何か飲もう。
しかし、ボタンのラベルが全部『希望』と書いてある。それも売り切れだ。
いや、一つだけあった。『絶望』だ。
俺はそれをチョイス。飲んだら絶望した。
◇
これで俺の所持金は限りなくゼロになった。正確に言ってもゼロだ。
そんな俺の視界に、キャッシュカードが飛び込んできた。
誰もいない。誰も見ていない。俺は偶然にもカードを手に入れた。
カードの裏に暗証番号が書いてある。『希望』だ。
何だこれは?
取り敢えずATMに直行。しかし、暗証番号のボタンは数字だけだ。
構わずカードを突っ込む。すると残高が勝手に表示された。
残高 1億円。何だ、それっぽっちか、体が震える。
そこへ、隣のATMに爺さんがやってきた。
「わしの暗証番号は『希望』だったな」
何を言っている?
爺さんは『希望』と声を出しながら暗証番号を打ち込んでいき、ATMから
札束が溢れ出した。
俺は爺さんに、遠まわしで訪ねる。
「俺に希望はありますか」
「希望? さあ、わしにはあるがの〜」
爺さんは札束で顔を仰ぎながら俺を置き去りにした。
◇
順番は逆になったが、俺は拾ったカードを交番に届けることにした。
これでも俺は、かなりの善人だ。
きっと名前やら住所を聞かれるに違いない。
落とし主の喜ぶ顔が浮かぶ。これでも俺は、スーパー善人だ。
「今日、ちょっと泊まっていこうか」
お巡りさんの強烈な一言が俺を打ちのめす。
何故か俺は、檻の人となった。
◇
檻の中で俺は、何か芸を考えていた。
素晴らしい演技で観衆を湧かせよう。そう思ったが誰もいない。
しかし俺は芸に磨きをかける。
そうしたら、ここから出られる様な気がしたからだ。
夜になると、周囲は真っ暗になった。俺の先行きも暗い。
俺は鉄格子を掴み、『ここから出せー』と叫んでみた。
一度、やってみたかったことだ。気が晴れて清々した。
希望の光が俺を射す。
小さいが確かに俺を照らす光。懐中電灯の明かりだ。
「出ろ」
制服の人が無愛想に言いやがる。
「お世話になりました」
俺は規則に従い、決め台詞を吐いた。早くシャバの空気が吸いたい。
俺に非がなくとも、男はそれをぐっと飲み込んで堪える。
世間が悪いんじゃない。俺が世間に背を向けただけだ。
これからは前を向いて歩こう。一日三歩、受けた恩は忘れよう。
「勘違い、しないでよね」
なに?
◇
俺は、ヘルコプターに乗せられ宙を舞う。自由の翼よ、こんにちは。
見えるかい? あれが、なんとかタワーだ。
「降りろ」
なに?
俺はヘルコプターから突き落とされた。
綺麗な夜空だ。美しい星が輝いている。
いや、あれは地上の星だ。俺もその内の一つになるのか。
パラシュートの華が咲く。
星になる前に、俺は夜空に咲く一輪の華となった。
その華は、ゆらゆらと揺れながら、可憐に舞い降りる。
◇
ザ・俺、降臨。
俺の目前に無数の敵、厄災が立ちはだかる。
こんなところで集会を開いていたとは、聞いていない。
どうやらこの世界は、全ての厄災を俺に押し付けたいらしい。
まあ、いいだろう。俺はただのおっさ……お兄さんだ。
希望に見放され、厄災に愛された男。
絶望の淵に立たされた俺に、もはや失うものなど、何も無い。
これで、借金もチャラだ。
あとは俺に任せ、幸せな人生を送れ。
厄災が一気に襲いかかる。
それに贖う武器は無い。
さあ、みんな。家に帰ろう。ドアの鍵は壊れている。
「I Have a Dream!」
俺の、最後の言葉だ。
◇
俺の前から厄災が消えていく。
俺の夢、俺の希望が、俺を救った。
俺の夢とはなんだ? そんなものが在っただろうか。
ただ言ってみたかっただけだ。
だが、俺だけ残して厄災は行ってしまった。
そうか、あの箱を開けて希望が残らなかったのは、俺自身が希望だったからか。
俺は、最後に残った希望になった。
めでたしだ。
 




