地震 (3/4)
神の世界でのおっさんは、役所の環境問題なんたら部署で係長を務めている。だが話を進める前に断っておくことがある。それは神の世界が我々の世界とそっくりな点だ。これは神の仕業で隠匿されているからだ。俺の記憶にあるものは、どれもが再現ドラマですよ〜の類になっている。そうそう簡単には人が神の世界を覗こうなどとは出来ないらしい。それともお披露目できないほど恥ずかしい世界なのかもしれない。どっちにしろ突拍子もない世界だと理解が追いつかないから我々の世界に合わせている、と好意的に捉えよう。俺も神に喧嘩を売るつもりは更々ない。
話を戻そう。おっさんが係長なのは分かった。日がな一日、椅子に座ったきり動こうとしない。とても優雅で羨ましい職場だ。ぜひ俺と代わって貰いたいものだ。動かないということは、それだけ仕事が暇なのかと言うと、周りを見渡せばそうでないことが分かる。仕事に精を出す神々の面々だ。そこだけ時が止まったかのように、おっさんは何もしていない。係長ならその部下たちはどうしてるのか? はて、そのような者はいないようだ。一体何の係何だ?
おっさんの机の上に勤めを記したプレートがあった。そこには『小鳥の世話係』とある。プーとなりそうだが、見識ある俺はそれに眉をひそめた。この『小鳥』とはなんぞや。俺は、これはあるものの比喩であると推理した。神の世界で小鳥といえば、いや、どの世界でも大空を羽ばたく自由気ままな小鳥達だ。どうだ、そのさえずるピーチクパーチクの声が聞こえてはこないだろうか。俺には聞こえる、気がする。
小鳥といえば、それを真に受けてはいけない。神も人を騙すのだ。実際、神の世界に役所なぞ存在しないだろう。その必然を感じないからだ。それを敢えて『小鳥』としているのはきっと絶対、真実が隠されているに違いない。そこで考えた末、小鳥とはズバリ、天使のことを指しているに違いない、絶対そうだ、そうに決まっている。何故なら神の世界で飛ぶものといえば天使しかいないだろう。その世話係だ。羨ましすぎるぞ、この野郎。
飛ぶといえば、その辺の神も飛ぶのではないか? それは否だ。あれらは飛ぶというよりも浮かんでいるというのが実態だろう。そんなプカプカ野郎と天使をごっちゃにしては困る。優雅、エレガントにその翼を広げ、南風を受けて飛び立つ。その翼からヒラヒラと抜け落ちた小さな羽。次回の共同募金にでも使えそうだ。そんな彼女ら、そう、天使はみな女性である。そうでなければ困る、だろう。その彼女らを統括、管理する元締めが『小鳥の世話係』である、おっさんの仕事だ。
おっさんが暇なのは彼女らが優秀で、特に指示することもなく元気一杯、愛を振りまいているに違いない。だからおっさんがいなくても大丈夫なのだ。彼女らは元気で愛くるしい、多分。
噂をすれば就業時間の終わりを告げる合図が鳴り響く。この世界なら差し詰めゴーンかキンコンカンコンという鐘の音が相応しいだろう。それでも天使たる彼女らは職場には戻ってこない。恐らく早めに仕事を切り上げて帰ってしまっているのだろう。暇なおっさんも席を立ち帰り支度をする。何処に帰るかというと愛する家族の待つ自宅だ。いや、待っているかどうかは分からないが、とにかく配偶者や子の住まう場所であろう。
特に一日、労働とは程遠い時間を過ごした割におっさんには、怠惰の罪の意識はなさそうだ。最初からそのような意識がないのか何処かに置き忘れてきたのかは定かではない。とにもかくにも帰路につくおっさんだ。
駅から列車に乗り、ゴトゴト揺られ降りた先でバスに乗り換える。今度はガッタンゴットンと激しく揺れながら何時もの場所で下車する。最後は徒歩20分程で自宅の玄関先だ。これを記憶が改ざんされる前の、真実の姿を俺なりに想像してみた。きっと多分、こんな感じだろう。
大地に横たわる大蛇の背中にしがみ付く。それを嫌がった大蛇が怒り狂ったように大空は這うように飛び回り、おっさんは適当な所で振り落とされる。その着地した場所こそ、山のように大きい亀の甲羅の上だ。亀だから一向に動き出す気配がない、と思いきや今日は散歩したい気分なのだろう、ヨチヨチと歩き始めた。そしてまた適当な場所でその亀の山から下山し、険しい渓谷の沢を歩くこと数時間。やっとこさ、それらしい場所、寝ぐらに到着だ。
おっさんが家の玄関を開けると奥方の出迎え……は無かったようだ。これが通常なのか今日だけ特別なのかは分からない。そのまま家の中に進み入る。間もなく奥様の登場だが、その前に賭けをしよう。得てしてこのようなおっさんの奥方ときたら、似た者夫婦か、または不公平極まりない、不釣り合いなほどのお方か。さて、どっちだろう。だが、賭けは成立しないようだ。奥様は不在であった。それも何時もの事なのか、おっさんが動じる気配は、無い。
小さな紙片がテーブルの上に、これ見よがしに置いてあった。それを何気なく取ったおっさんが、ここで初めて動揺したようだ。
「ウヒョウゥゥゥ」
置き手紙には。愛想が尽きたから『あばよ』と書いてある。ついでに、いや、こっちが本命かもしれないが、生活費として5億要求している。それがこっちの世界では如何程の価値なのかは知らんが、俺の借金と近いのが気になるが。
それらを読んで驚愕しているようだが、いやいや、十分心当たりがあるだろう、とおっさんを知る俺は思う。だが、俺の関心はそんなところにはない。神であるおっさんの配偶者も神であるのかどうか、そこが問題だ。だいたい神×神というのは成立するものだろうか。それが成立するなら、その間に生まれてくる子供は神なのか、それとも子供なぞ出来ないのか。これらの謎を吹き飛ばすように、配偶者は神ではない、とする方が何かと筋が通りやすいと思われる。
例えば神と人間の間に子供がいても、話の上ではそう不自然ではないだろう。神を悪魔に置き換えても同じことだ。ただ人間レベルで言えばDNAが違うから子孫なぞ出来ようが無い。だが、もっと飛躍して考えれば神と人間の間で、人間側が想像妊娠し、それが現実となったら、それはそれで神がかっている。これで成立だ。更に現実的に考えれば……夢も希望も無いドロドロの世界になるので止めておこう。
自宅で腰を抜かしたおっさんは、それ以降、自宅に籠もるようになった。自業自得で自身を責めるのではなく、ひたすら世間を恨む日々を過ごした。おっさんがいなくても役所の仕事は回っているので、日頃の成果が発揮されたようだ。しかしこのままでは、おっさんは失職してしまうだろう。引き篭もり無職の神とは、一体何であろうか。もはや神とは呼べない存在だ。
捨てる神あれば拾う神ありだ。上司である神、おっさんが係長だから部長あたりか、が引き篭もるおっさんを呼び寄せ、信者勧誘の仕事を割り振った。要は気分転換に出張でもしてこい、というわけだ。おまけに独り身となったおっさんは長期出張に持ってこいだ。一旦我々の世界に足を踏み入れたら成果が出るまでは戻れな条件でも付けたか、それとも厄介払いしたかったのか。どのみち直ぐには戻れない仕事に、上司は仕立てたようだ。
ただ、おっさんの単独出張ではバックれる可能性がある。それはおっさんを知る者なら誰でも思うだろう、神もそう思った。そこで監視役として、おっさんの部下である天使をお供に付けたはず、というのが俺の推測だ。
では、おっさんは神の世界からどうやって我々の世界にやって来たのか。それはズバリ『神通力』であろう。便利な言葉だ。そうでなければ高度な文明による異次元転送でもしたか。そんな格好いい登場はおっさんには似合わない。案外、隣の町から歩いて来たのかもしれない。その方がおっさんらしい。それとも……いや、止めておこう、神はケチん坊である。美味しいところは教えてはくれないものだ。
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