VI ウラ④
天野の姿は、一面真っ白な空間に在った。
自分以外何もない世界。自分の呼吸音以外の音が存在していない、静寂の世界。
「…死んだか」
天野は記憶を頼りに、ここが死後の世界だと推測した。
あの女が持っていた包丁で、胸を刺された。向かってくる速度はそこまで早くはなかったのだが、咄嗟のことに反応出来なかった。
刺された場所も運が悪かった。どこかの太い血管を傷付けられたのだとは思うが、そこから先の記憶が曖昧だ。
血液が足りなくなり、指先から冷たくなっていく感覚。対して刺された部位は熱く、痛いのか痒いのかよく分からない感覚。
そして、地に伏して、どんどん命が流れ出ていく感覚と、それに比例して視界が黒く塗り潰されていき、意識が消えていった。
あれから病院に運ばれただろうか。背後を見ても自分の身体が確認出来ないことから考えれば、もう手遅れなのだろう。
天野は急に、寂しさを覚えて胸が痛くなった。
残してきた家族、友人、会社の上司。
特に家族。最期に会ったのが病室で、とは。もう少しちゃんとした場所で話し合いたかった。迷惑かけてごめん、と言いたかった。結局、言えなかった。
それに上司。事故を起こしてからも、その前から面倒を見てくれていた。あの人が居なければ就職すらしていなかっただろう。それだけ膨大な恩があった。欠片も返すことが、出来なかった。
見舞いに来てくれた友人も、再会出来なかった。次に会ったら貸す約束をしていたマンガも、久し振りに顔を合わせた友人と酒を呑む約束も、何も、果たせなかった。
ちなみに彼女は2年前に別れたっきりだ。それっきり連絡していないので、未練はない訳ではないが、向こうは気にもしないだろう。
天野の思考がぐるぐると回っているが、ふと、数多の疑問が浮かんできた。
何で、俺は刺されたのか。あの女は、誰なのか。動機は。
そもそも、トラックの事故からおかしかった。あの謎女と関係があるのか。それともあの青年か。
ある程度考えて、思考を切り上げた。
もう自分は死んでいるのだ。考えても仕方がないことなのだ。幾分早い死期だが、結局は受け入れるしかない。
…俺は、どこに行くのだろうか。こんな世界があるなら、天国や地獄といった世界も存在しそうだ。
生前は信じて居なかったが、一人轢いているのだ。間違いなく地獄だろう。閻魔様とか居たら困るので、言い訳とか考えておこうか。
「……ーい。もしもし?大丈夫ですか?」
「…うわっ!」
いつの間にか、天野の目の前に女の顔が存在していた。
距離を取ろうとして足を下げるが、躓いて転んでしまった。そこに、女が手を伸ばし、起き上がることを促してくる。
天野はその手を掴み、立ち上がった。
自称"神様"とは違う存在です。