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幼き慕情、春に抱かれる  作者: くじら
9/10

《最終話》少女の瞳が桜を映すとき




あの人の声と

あたたかな風を感じる。






「………?」




朝日の眩い光が部屋に

差し込み、沙枝は目を

醒ます。


あまりよく覚えては

いないが、彼女は

なんだか不思議な夢を

見ていたような気がして

ならなかった。


どんな夢だったかは

本当に思い出せない。

しかし、沙枝はなぜか

今までに無いくらい

穏やかな気持ちで

朝を迎えていた。




「ん…?」




開けられたの窓の外から

そよ風と一緒に、ひらり、ひらりと小さな

白いものがひとつ、

舞い込んでくる。


そっと手を伸ばせば

糸を引かれるように、

それはひらりと沙枝の

手のひらに降りた。



薄紅色で…

花びらのような…。


「桜……。」



そう呟いたとき、

沙枝は夢で見た全てを

思い出し、弾かれたように部屋を飛び出した。






----…………






「まぁ………!」




沙枝は丘の上で

立ち尽くした。




零れんばかりに

桜が咲いている。


あの樹が咲かせている。


根元から何本も伸びた

若い樹が幹の裂け目を

塞ぎ、ひとつの樹と

なっていた。


枝を太く高く伸ばし、

春を知らせる

薄紅の花は満開。



その立ち姿は荘厳で、

息をのむほどに美しい。


あの老木が花を

咲かせている。


奇跡のような、

夢のような光景だった。



「綺麗………!」




沙枝はその桜を少年と

一緒に見たくて待った。



いつもみたいに声を

かけてもらうのが

楽しみだった。



「…………。」



春風がそよぐ丘の上、

花をつけた桜の樹の下、


いつまで経っても

少年の姿はない。



なんで来ないのだろう?

桜はこんなに綺麗に

咲いているのに。



「桜が咲いたから…」



桜が綺麗に

咲いたからこそ、

もう少年は現れないの

だろう。沙枝だって

あの夢を見た時から

わかっていたのだ。


沙枝は桜の幹に

触れながら、夢が夢では

なかったことを

理解した。




「あなたは…

この桜に全部を

あげてしまったの…?」



桜に全てを捧げて、

少年は桜と共に

春に還ったのだろうか?


だから彼は

もうどこにもいない…?



「…………。」



「別れ」って、思った

より悲しくない…。

沙枝はそう感じていた。


静かで、あたたかくて、

穏やかで、いないと

わかっていても少年が

そばにいるような

気がした。



「ここにいるの…?」



母の話を信じるならば、

少年はあたたかな桜の根に抱かれて、彼はその

魂を桜に注いでいるの

だろうか?


彼は幸せだろうか?

春になれたんだろうか?



「桜…綺麗よ…?

すごく綺麗…。」




こんなに安らかな

気持ちなのに、

春風が吹く度に

沙枝は思い出す。


少年の声、笑顔、

言葉のひとつひとつ、

あの美しく澄んだ瞳。


思い出す度に胸が

高鳴り、きゅうっと

苦しくなり、すこしだけ痛くなるような、


この高鳴りの意味も、

痛みの理由も、


沙枝にはまだ

わからなかった。





「ねぇ…?

ちょっと眠っても

いいかしら…?」





沙枝は幹に寄りかかって

まぶたを閉じる。


桜の香りに包まれ、

背に力強い生命の

ぬくもりを感じれば、





あの人の面影が肩を

抱くような気がした。






「……ありがとう。」







少女は冬と対峙する


少年は春を渇望し

彼は桜にすべてを捧げた


そして木が樹となるとき


少年は風を呼び

風は春を呼び


冬は少女に別れを告げる


少年が春に還るとき


少女の瞳が桜を映すとき





幼き慕情は

「春」に抱かれる







---了



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