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幼き慕情、春に抱かれる  作者: くじら
8/10

《8話》少年が春に還るとき





「僕は春に還るんだ。」






目の前に立つ少年は

微笑みながらそう言った。



「還る…?」


「うん、だから君とは

お別れだよ。」



沙枝に驚きは無い。

心の深いところで、

彼女はそう言われることを覚悟していたように

感じた。



「冬は終わって、

僕は春になる。」



なぜだろうか?

周りの風景全体に

霞がかかっている

ような気がする。


その風景の中で唯一、

少年の存在だけが

はっきりしているのだ。


「桜……。」



沙枝はふと思い出して

呟く。



「桜は…咲くかしら?」


「もちろん!

絶対に咲かせるよ。」



少年はにこっと笑うと、

いきなり沙枝の手を

引いて走り始めた。



どこに行くんだろう?


霞がかかった中、それを掻き分けるようにして

走る少年と少女。


不思議、沙枝はいくら

走っても疲れなかった。



「もうすぐだ。」





少年の声が聞こえて、

その瞬間にサァッと

霞が晴れていく。



「あ…。」



二人がたどり着いたのは

桜の老木が立つ西の丘。

空は紫紺、しかし背後

から夜明けが

近付いている。



「起きて…?

聞こえるかい…?」



少年は樹に触れながら

そっと語りかけた。

彼の髪が風に揺れる。




「見ててごらん?

樹が眠りから

醒めるよ?」





少年が沙枝に笑いかけたその瞬間だった。


老木の根元から蔓の

ような細い芽がたくさん伸びてくるのだ。


それは、

まだ若い桜の樹。



「まぁ…!!」



産声を上げた

命ある樹たちは老木の幹に沿って上に上に伸び、

やがて幹の裂け目に

入り込んでいく。



「君が言った…かみなりが…この樹につくった

傷だよ…。」



次々と、次々と、

裂け目をふさぐように

して若い樹が伸びる。



「僕はこの桜に僕の

全部をあげるんだ。」


「それじゃ…

あなたは…」


「僕は春になる。

この桜と一緒に春に

還って行くよ。」



そう言った少年の表情が清々しかったから、

彼を引き留めることは許されないのだと、沙枝は口を噤んだ。


少年は若い樹に全てを

捧げ、若い樹は老いた樹に全てを捧げる。


老木はもはや

老木ではなく、枝を太くのびのびと空に伸ばし、幹はたくましく、

在りし日の姿を

取り戻していた。


目の前の奇跡の光景に、沙枝はただただ

圧倒される。


東の空がみるみる

明るくなってきた。



「朝日が登ったら、僕はもう君には会えない。」


「………。」


「だけど悲しまないで?約束どおり、君に桜を

贈るから。」



少年と指切りをした

あの日、あの約束は今

目の前で果たされていく。



「この桜で、君を絶対に笑顔にするから。だから寂しくないよね…?」


少年の言葉に、

沙枝は頷いた。

胸がぎゅっと締め付け

られるように苦しい。





「ありがとう。」






少年の瞳が夜明けの光を映し出し、たった一筋の涙が彼の頬を伝った。



「あ……」



その涙が綺麗で、

沙枝は息をのむ。


桜の枝にたくさんの

若芽がつき、それが少しずつ色づいて膨らんで…


「………っ!!」



東の空から紫紺を破った朝日が夜明けを

連れてきた。


その眩い光に沙枝は

思わず目を覆ってしまう。





「君に逢えてよかった」





あたたかい風のなかで、少年の声だけが

そっと聞こえた。






---続




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