《2話》少年は春を渇望し
人に触れたこと、
触れられたこと、
それは沙枝にとって
新鮮な感覚だった。
「待ってた…?」
「そうだよ。」
沙枝はもちろん、
この少年に会うのは初めてだし、頬に伝う彼の
体温を味わうのも
初めてだ。
しかし、少年の瞳に宿る光は、なぜだか懐かしさを感じる。
「僕は君のことを
よく知ってるよ?」
「え…?」
少年はそう言いながら
沙枝の頬からするりと
手を離す。
あっけなく剥がれたその体温を沙枝は名残惜しく思った。
「君のことだけじゃ
ないよ?僕はこの桜の木のこともよく知ってる」
「桜……。」
「うん。…今はもう
こんなに弱って枯れ
ちゃったけど、この桜は春になるとすごく綺麗な花をたくさん
つけたんだよ?」
少年はそっと、老木に
触れて少し寂しそうな
目をする。
沙枝もそれに習うように、優しく幹に手のひらをつけた。
「晴れた日も、雨の日も、朝も夜も、この桜は
いつだって美しかった。
…綺麗なんて言葉じゃ
足りないほどに。」
少年の言葉を聞きながら沙枝は考える。
言葉にならないほどに
美しい桜とはどんなものだろうか?
想像しようとして、
しかしそれはすぐに
やめた。
言葉にならないのであれば、想像することもきっと叶わないのだろうと
わかったからだ。
「夏は青々と葉を
しげらせて日陰をつくってくれる。そうしたらね、あちこちから鳥が
集まって来るんだ。
…そのさえずりに答えるように桜が葉を揺らす…。本当に、おしゃべり
してるみたいだった。」
老木の在りし日の姿を、少年はひとつひとつ
懐かしむように語る。
そのあどけない、それでいてどこか凛とした
横顔に、沙枝はまた
引き込まれるのだった。
言うなれば、
見とれてしまったのだ。
「ねぇ…?」
なんだか少年の姿を真っ直ぐに見つめることが
できなくて、沙枝はやや視線を逸らしながら
尋ねる。
「なに?」
「どうして…桜の木は
枯れちゃったの…?」
少年は一瞬、考える仕草を見せると真上を向いて空を指差した。
冬の空は高く、
太陽は朧に霞んでいる。
「ひどい嵐が来た夜に、空から光の棘が降って
きて幹を裂いたんだ。」
光の棘とは…
それはすなわち、
「雷……?」
「……?」
沙枝の言葉を聞いても、
少年はなんのことか
わからないようだった。
「あ……
それで…その…
棘が降って来た日を境に、桜の木がどんどん
弱っていって…、
花をつける元気も
葉をしげらす元気も
無くなったんだ…。」
そう言った少年の表情が本当に悲しそうで、
沙枝も少し苦しくなる。
「君も悲しい…?」
「ええ、悲しいわ…。」
この木が花をつける
ことはもう二度と無い
ことを改めて感じさせられ、沙枝は悲しかった。
「僕はずっとこの木が
大好きで、ずっと一緒にいたんだ。…それはこれからも変わらないよ。」
老木を見つめる少年の姿は、心なしか先ほどよりたくましく、強く、
美しく見える。
「僕はこの木と一緒に、
春にかえるんだ。」
その言葉には
なんの意味が
あったのだろう?
--続