襲撃と言葉
「……ねえ、起きてる?」
「……一応は……」
囁くようなユリの声に、アリスは寝返りを打ちながら答えた。
「あなた、タクの言葉をどう思う?」
「タクさんの言葉、ですか?」
思い当たる言葉が多過ぎることに気付き、
「殺人鬼が出るって話」
とユリは付け加えた。
「あぁ……」
眠ろうとしていたアリスの眠気が飛んだ。
タクの思わせ振りな表情を思い出す。
「本当だったら怖いな、とは思いますけど」
「私は嘘だと思うわ」
起き上がり、ユリは言う。
「やけにわざとらしかったし、それに……何かを隠してる気がする」
「何か、って」
アリスの問いにユリは首を振った。
「まだそこまでは分からない。でも、ここに来てすぐに彼と会ったのは偶然にしては出来過ぎてる」
「そういえば……」
タクと出会った時を思い出し、アリスはユリを見た。
「あの人、私が蛇に食べられそうになった時に現れたんです。今考えると確かに、タイミングが良過ぎると思います」
「あとおかしいのは、私たちよ」
「……はい?」
「気のせいかもしれないけど。私たちって、記憶喪失になって、しかもこんな得体の知れない場所に来た割には、あまり驚いていない気がするのよ」
「私は十分驚いてますけど」
「そうは見えなかったわよ」
「……そうですか?」
「この部屋に案内されるときだって、あなた驚いてなかったし」
「え?」
「テーブルの上にあった料理とか、いつの間にか消えてたじゃない」
「あれ、誰かが片付けたんじゃないんんですか?」
言ってから、テーブルに着いていた七人以外は誰もこの家にいないということを思い出した。
「何かおかしいのよ」
ユリは言う。
「私、気が付くとタクの言葉を納得して聞いてた。じゃあどうして私たちはこんな世界に迷い込んだのかな、って普通に考えてたの」
「……」
「最初は幻覚……夢を見てるんじゃないかとか思ってたのよ。それなのに今は彼の言う通りに、『ここは私の住んでいた世界じゃない。何かの原因で意識だけがこの世界に来てしまったんだ』なんて思ってるのよ」
「……」
自分も知らず知らずのうちに同じように思っていただけに、アリスは何も言えなかった。
「だから――」
そこでユリは急に言葉を切った。
「ユリさん?」
アリスが声を掛けると、ユリは人差し指を口に当て、『静かに』という仕草をした。
「……何か聞こえる」
そのささやきに、アリスは耳を澄ませた。
――ギシッ――
部屋の外から、木の軋む音がした。
――ギシッ――
廊下を、誰かが歩いている。
「……」
アリスとユリは、視線を交わした。
音は、男性陣が寝ている部屋とは逆の方向から聞こえてくる。
――と、いうことは。
「……まさか……」
続く言葉は、口には出せなかった。
二人の部屋の前で音が止まり、ドアノブがゆっくりと回るのを見て、アリスは慌てた。
どこか、どこかに隠れないと……!
ユリは素早くドアの陰に移動したが、二人も隠れるゆとりはない。
アリスは毛布をつかんで体をくるみ、ベッドに横になった。
……意味があった訳ではない。起きていると知られるよりは、寝ていると思われた方がいいような気がしたからだ。
次の瞬間ドアが開く音がして、アリスはベッドから抜け出せなくなってしまった。
入って来た人影は、真っ直ぐにアリスのいるベッドへと向かう。
そして、人影は手に持っていたものを掲げた。
風が切る音がして、ベッドに振動が伝わる。
――斧が、アリスの頭ぎりぎりのところでベッドに突き刺さっていた。
「ぎゃあぁぁぁっ!」
女の子らしからぬ叫び声を上げると、アリスは勢い良くベッドから飛び出した。
一瞬、斧を突き刺した人影の動きが止まる。
その隙を狙い、背後に隠れていたユリが自分の寝ていたベッドから毛布をはぎ取ると、侵入者目がけて投げつけた。
毛布が侵入者の体を包み込む瞬間、牛の頭がアリスの視界に入る。
侵入者が毛布を取り、斧を抜き取るまでの間に、二人は部屋を抜け出した。
廊下に出ると、アリスの悲鳴を聞きつけたのか男性陣が部屋から顔を出していた。
「うるっせぇなぁ……」
瞼をこすりながらテツが文句を言ってきた。
この状況で眠ってたんだ、と思いながらアリスは、
「出たんですよ!」
と叫んだ。
「は?」
「だから、例の殺人鬼が出たんですよ!」
「お前、寝ぼけてんじゃねぇの?」
「違います!」
疑わしげに見てくるテツに苛立ちながら、アリスは階段へと向かった。
説明している間にまた襲われるのはごめんだ、と思ったのだ。
「信じるか信じないかはあなたの勝手ですが、死んでも私を恨まないでくださいね!」
そう言い捨てると、アリスは階段を駆け下りた。
「嘘だと思うなら私たちの部屋を見てくるといいわ」
ユリもテツに言い、アリスの後を追って階段へ走り出した。
「――おい!」
リュウが何か言っていたが、構わずアリスは玄関を飛び出す。
「ちょっと待てって!」
急に声が近くなった気がして振り返ると、リュウはアリスのすぐ後ろを走っていた。
そのままリュウはアリスの横に移動する。
「……足、速いね……」
「お前が遅いだけだろ」
「な……」
反論しようとしたアリスの横をテツが追い越して行った。
「……」
「それよりさっき部屋見たけどよ――」
「牛の頭に斧持ってたよね」
二人に追いついたタツが口を挟んできた。
「何だ、お前も見たのか」
「うん……」
「タクのヤツが言ってた殺人鬼って、アレだよな」
「さすがに斧振りかぶってくる一般人はありえないでしょ……」
そんな一般人は嫌だ。
「……でも、なんか……」
タツが呟いたとき、背後でユリの声が聞こえた。
「タクの姿が見えないわね」
前方はテツが独走している。
アリス、リュウ、タツ、ユリの四人がひとかたまりになって走っているが、確かにタクの姿だけ――。
「うわあぁぁっ!」
背後から聞こえたその叫びは、タクのものではなかった。
「あ……」
一人忘れていた。
「セイ君……」
忘れられていた少年は、牛の頭の人間、すなわち『殺人鬼』に捕まっていた。
必死に逃げようとしているが、殺人鬼はセイを捕まえている手を緩めようとはしない。
「ど、どうしよう?」
アリスは隣にいたリュウに問いかけた。
「どう、って言われても……」
思案するようにリュウは眉間を寄せた。
素手で斧を持っている人間に刃向かうなんてことは出来ない。下手をすればこっちがやられてしまう。
「でもこのままだとセイ君が……」
「だったらお前が助けに行くか?」
「う……」
「冗談だよ。……安心しろ。俺は他力本願な人間なんかに期待しねぇから」
見下すように、リュウはアリスに言い放った。
「リュウ。あなた、言い方ってものが――」
ユリが諌める声が聞こえ。
『――結局さ。期待なんて、されてもされなくても同じなんだよね』
『――だって、結果が全てなんだから』
急に、誰かの声に囁かれた気がして、アリスは周囲を見た。
その場にいるメンバーは同じ。
誰の声だったのかは、思い出せなかった。
いきなりのアリスの行動にリュウとユリが声を掛け、そこでアリスは我に返った。
「あ……すみませんでした」
アリスは二人に謝る。
「いや……俺も言い過ぎた」
気まずそうにリュウが謝るその横で。
「あれ、もしかして……」
とタツが呟いた。