集合と紹介
──アリスの目の前には、巨大な木が生えていた。
何やら巨木の映像と気になる歌が脳裏を過ぎる。
「……なんですか、この、変にばかでかい木は」
「僕の住んでいる家だけど?」
さも当然に、そして何故か自慢気にタクは言った。
……家?
……これが?
信じられないが、目の前に扉がある以上、信じるしかないのだろう。
じっと見つめていると、急に扉が開いた。
そして目の前に人影が──。
「ひっ……」
アリスは目の前の人物に悲鳴を上げかけた。
まず目に入ったのは赤い瞳。
ガラスのように透明で、しかし瞬きも瞳孔の収縮もない。
次いで口元。
少し前に出た口は動かず、横に生えているヒゲも反応はない。
視線を頭部に向けると天を向く長い耳が目に入る。だがこれも動かない。
最後に全身。
白いワンピースを着ている。おそらくは女性。ワンピースから見える腕は人間のものだ。
──そう。首から下は人間なのだが。
何故か目の前にいる女性は、白いウサギの被り物をしていた。
作り物めいていながら、毛の生え具合といい、妙に生々しくて気持ちが悪い被り物をしている彼女に、アリスは思わず距離を置いた。
「ただいまキィちゃん。ちょっと悪いんだけど、このコのためにお風呂の準備をお願いできるかな?」
アリスの態度を気にすることなく、タクは普通に話かけている。
返事もなく『キィちゃん』と呼ばれた彼女が中へ消えると、アリスは耐えきれず「……すいません」とタクに向かって、機械のような動きで片手を挙げた。
「質問してもいいですか?」
「はいはいどうぞ?」
「……あの『キィちゃん』というお方は、人間ですよね?」
「二足歩行する別種類の生物でない限りは人間ということになるだろうね」
「はぁ……。あ、いや、そういうことを聞いているわけではなくてですね」
アリスは挙げた手を左右に振った。
「……なんか今、生々しい被り物をしていらっしゃったような気がするのですが」
「あぁ、あれウサギだよ」
「それは見れば分かります」
──『キィちゃん』なる人物は、何故かウサギの被り物をしていた。
もしかしたらアリス自身は記憶を失う前にそういう趣味の人を見たことがあるのかもしれないが、とりあえず今の段階で見るのは初めてだ。
「なんであんなに気持ち悪いレベルでリアルな被り物をあのお方はしているのでしょうか」
「うむ、アリスちゃんは何やら衝撃を受けているようだね」
腕組みをして頷きながらタクは言った。何故か感慨深そうである。
「そりゃ受けますよ」
「鈍かったりするかなとか思ったけど以外にそうでもないみたいだね」
「ものすごく失礼ですね」
アリスの言葉にも全く動じず、タクは扉の向こうへ足を踏み出した。
「まあまあ。他のみんなが待ちくたびれちゃうからそろそろ中に入ろうよ」
「人の話聞く気ないですよね……」
仕方なくタクの後に続いて入ったアリスは、中を見回してみた。
大木を外見そのままに使っているように見えた内部は、以外と普通の部屋だった。
扉をくぐるとすぐ横に靴棚があり、そして居間が目の前にある。
居間に入ると部屋の一角だけフローリングの床が畳敷きに変わっており、長方形のテーブルに向かい、三箇所を除いて五人の人間が座布団の上に正座で座っていた。
被り物をしている人間はいなかったのでアリスは少しホッとした。
テーブルには長い部分に三人ずつ、短い部分に一人ずつ、計八人まで座れるようになっているらしい。
五人はそれぞれ長い部分に座っていたが、その残りの一箇所と短い部分の入り口に近い側に座布団が敷かれている。
おそらくタクと『キィちゃん』が座っていたのだろうとアリスは推測した。
(……あれ、そうするともしかして私の席って、あの座布団が敷かれてない場所?)
あとで座布団持ってきてくれるのかな、などと考えつつ、アリスは座っている人物を改めて見た。
二箇所空いている座布団の内の一つ。長い部分の残りの一箇所、その向かいに座っている女性がまず目に入る。
長い黒髪ストレートの色白美人。
若草色、とでもいうべきか、淡い黄緑色の、ノースリーブのワンピースを着ている。
ツヤのある黒髪を羨ましく思いつつ、次に女性の右側に座っている青年にアリスは視線を移した。
短めの黒髪で、スポーツマンとは言えないまでも何か運動をしていそうな体躯の上に白い薄手の長袖シャツを着ている。
その隣に座っているのは小学校高学年、もしくは中学生くらいの少年だった。制服なのか私服なのか、白い半袖に黒ズボンという格好をしている。
やや長めの黒髪と銀縁の眼鏡でよく分からないが、どうやれ苛ついているようで神経質そうに眼鏡を何度も押し上げている。
少年の向かいには、茶髪の人物が座っていた。青いズボンに灰色のシャツを羽織っている。男性かと思うが、アリス側からは背中しか見えないために若いのかどうかまでは分からない。
その隣、先程の短髪の青年の向かいに座っている黒い髪、黒いハイネックシャツ、黒いズボンといった黒ずくしの人物も同様だ。
「やあみんなただいまー」
タクのその言葉で、五人はやっと気付いたらしく玄関の方を見た。
背中を向けていた二人は男性で、短髪の青年よりは若そうだった。歳はタクと同じくらいだろう。
「お帰りぐらい言ってくれてもいいんじゃないかなー」
タクの言葉を無視し、五人の内何人かは冷ややかな視線を送ってくる。
とばっちりは嫌なので、アリスは暫くタクの背後に隠れたままでいようと決めた。
「……てめぇ、勝手にこんな所に連れて来て勝手に消えてんじゃねえよ」
短髪の青年の言葉にタクは謝るかと思いきや。
「何? 寂しかった?」
などと返し、
「ふざけんな」
と一蹴された。
「そんなに起こってばっかだと体に悪いよ?」
「てめぇのせいだろうがっ!!」
その叫びには耳を貸さず、タクは自分の背後に隠れていたアリスを前に押し出した。
一気に注目を浴びてアリスは逃げたくなったが、背後にはタクがいるのでその願いは叶わない。
「一応出かける前に言ったよ? 一人足りないから迎えに行かなきゃいけないな、って」
「……それが、その娘?」
思わず、というように目を丸くした色白美人の女性が声を上げた。
まあそうだろうな、とアリスは心の中で思う。
全身血塗れなのだから当然だろう。
「すごい臭いだけど、それってもしかして、血?」
顔を顰めながら黒シャツの少年が言った。
「うんそうだよ」
とタクは素直に頷いた。
「すごかったんだよー? なんてゆーか危機一髪ってカンジで。……あ、そういえば忘れてた」
タクは玄関側とは真逆の、居間の奥にある扉の方へ「キィちゃーん!!」と呼びかけた。
見ると、他の五人は顔を引き攣らせていた。あの被り物のせいだろうか。
少しして扉から顔を出す『キィちゃん』に、
「これ片付けといてくれる?」
と言って、タクは持っていた銃を差し出した。
あらゆる意味で身を引いた五人を無視し、『キィちゃん』は躊躇うことなくあっさりと銃を受け取った。
立ち去るかと思いきや、アリスの方を見て(いるように)動かない。
「ん? お風呂が沸いた……わけないか時間的に。多分シャワーならすぐ使えるだろうからそれを伝えようとしてるのかな?」
動きを止めた『キィちゃん』を見て考えを言うタク。
それが正解かどうかはアリスには分からない。
「アリスちゃんはシャワーだけでも大丈夫?」
「……体を洗えるならどっちでもいいです……」
とにかく早くこの血だらけの全身を何とかしたい。
切実にアリスはそう思った。
──数十分後。
意思疎通出来ない『キィちゃん』と何とかやり取りをしてシャワーを浴びたアリスは、用意されていた水色のワンピースに着替え、女性の向かいの席に座っていた。
ちなみに浴室前に置いてあった鏡で自分の顔を見たが、明る過ぎない茶髪に普通の顔立ちだと分かっただけで、記憶を取り戻すまでには至らなかった。
テーブルを見ると、作りたての料理が所狭しと並べられている。
『キィちゃん』の姿が見えなかったが、料理を用意した後帰ったとタクに聞かされた。
……一体何処へ帰るのかとアリスは聞いたが、「その答えはそのうち教えてあげるよー」とタクは答えてくれなかった。
「じゃあ、全員揃ったところで自己紹介といこうか」
テーブルの両端にある一人分のスペースの一つ、色白美人女性から向かって右斜め、アリスから向かって左斜めに面した位置。
座布団が敷かれていたその席に座り、タクはそんなことを言い出した。
「バカかあんた」
そう言ったのは茶髪の少年だ。
「自分の名前覚えてないのに、どうやって自己紹介すんだよ」
「人の話は最後まで聞くように」
人差し指を立てると、タクは少年に向かって左右に振った。
「誰も君たちに自己紹介をしろなんて言ってないよ。僕の自己紹介をするんだよ」
「……」
少年は片方の眉を上げたが、何も言い返さなかった。
「まあ彼女には先に言っちゃったけど」
とタクはアリスを指した。
「僕のことはタクって呼んでいいから。なんだったらタッちゃんとかタッくんとか呼んでもいいよ?」
何処かで聞いたようなセリフを言うタクだったが、今回は誰も突っ込まなかった。
「うーん、みんなノリが悪いなあ。そんなんじゃ元の世界に帰れないよ?」
元の世界。
つまり、この場所はアリスや他の五人が住んでいた世界ではないことになる。
(……そんなアホな)
アリスは心の中で突っ込んだ。
「……ありえない……」
眼鏡の少年がぽつりと言った。
「こんなこと絶対にありえない」
「ありえるんだなぁ、それが」
テーブルの狭いスペースに肘をついてタクは答えた。
「それにこれが夢だったとしても、大勢の人が同じ夢を見ていることになるんだよ。……その点で言えば、間違ってはいないけどね」
その言葉に、残りの六人が疑問符を浮かべた。
「……なんていうかさあ……」
黒シャツの少年が首をかしげる。
「夢だけと夢じゃない、って言ってるみたいでわけわかんない」
「うん、まあそうだろうね。ここは夢だけと夢じゃない世界ってカンジだから。……よし、その表現を使わせてもらおう」
頷いた後、タクは急に立ち上がった。
そして。
芝居がかった動作で彼は言った。
「夢と現実の狭間にある『ワンダー・ドリーム』の世界へようこそ」