終
私がボロボロと涙をこぼしていたら、彼がゆっくりとまぶたをあげた。
私が大好きな目で、私を見た。
どんどんどんどん涙は溢れる。
「どうした?」
彼は寝ぼけ眼で優しくいった。
私はスプーンを握りしめたまま、彼に抱きついた。
彼は衝撃で息がつまったのか、うっ、と声を漏らしてから、私の背中をさすった。
とてもやさしい手だった。
涙が止まる気配はなかった。
視界の端で、自傷した部分から血がだらだら流れていた。
数十分たった(私の感覚では)頃。
私の涙は枯渇したのか、もう涙はでなかった。
血も、流れてはいるものの、先ほどより勢いを弱めていた。
彼がもう一度優しく、どうした?と聞いた。
私の頬を両手ではさんで、私の好きな目で私をじっと見つめて。
「苦しいの。」
私はいった。
彼は、何が、とは聞かなかった。
かわりに、そうか、といって、またわたしをぎゅっとした。ないはずの涙がまたこぼれそうだった。
だからね。
苦しいからね。
「別れよう。」
といった。
私はこれが身勝手なのだと気づいていた。けれど、気づかないふりをして、彼を傷つける言葉をいった。
さっき作った偽物の理由を、できるだけ感情を込めていう。
「わたし、浮気してるの。」
でももう、たえられなくなっちゃって。
そういった。
彼は表情を少しも変えなかった。きっと彼は、怒るだろうな、と予想していた分そのギャップに驚かされた。
「本当に?」
ビックリするくらいいつも通りに、彼は聞いた。
揺れる。
ぐらぐら。
いつもの、幸せな、穏やかな日常を思い出してしまって。
けれど。
その隅っこで、また、目を抉りたい気持ちが芽生えてしまって私は踏みとどまる。
「本当に。・・・・・ごめんね。」
泣きそうになって、私はうつむいた。
「悲しいなぁ。」
彼は小さな声でいった。
ぎゅうっと胸がしびれた。なんだろうこれは。
ごめんね、ともう一回謝ったら、かれは、違うよ、と首をふった。
「たぶんね。お前が謝っていることと、俺が悲しんでいることとは違うんだよ。」
彼はたんたんといった。
「俺はね、はじめて嘘をつかれたから悲しいんだ。」
私は驚いて、声も出なかった。
「嘘なんて、ついてないよ。」
精一杯平静を装っていう。
声がふるふる震えていた。
「にこめの嘘だ。」
彼は泣きそうな顔で笑った。
私は泣きたくなった。けれど涙は流れてくれない。
「お前が考えていること、たぶん俺はわかってる。」
彼は笑いを引っ込めると、真面目な顔をした。
「俺らは価値観がにてる。けど、出発点が違えばそれもずれてくる。お前は、自分が悪いんだと思ってるかもしれない。だからそこからずれるんだ。俺はお前が悪いなんて思ってない。」
彼は、私がなにも言わないのに、私が考えてきたこと全て見ていたみたいにしゃべった。私が悩んでいることすべて、彼は分かっているのだろうか。
私が悪いに決まってる。そういいたかったけど、彼の目を見ていたら、私は悪くないのかなって、自分を許しそうになった。
ばかだ。私が悪いに決まってる。こんなおかしな趣味、他の子は持っていない。私のこの趣味がなければ、誰も苦しまないですむ。
やっぱり私が悪い。どう考えても、どこを切り取っても、例え彼が悪くないといっても。
「お前は俺と一緒にいたくないの。」
「居たいよ。」
「それなら話は早い。」
別れるとか、浮気したとか、そういう嘘はつけても、彼と一緒にいたくないなんて嘘は私にはつけなかった。
嘘をつくべきなのに。口からその言葉を吐き出すことは、どうしてもできなかった。
彼はおもむろに立ち上がって、本棚の方へ近づいていった。ここは私の部屋だ。オレンジの香りがかすかにする。
本棚の一番したの段を探り、探し物を見つけたのか、なにかをつかんでこちらに戻ってきた。
彼が手にしていたのは消毒液と絆創膏と脱脂綿だった。
そばにあった、未開封のミネラルウォーターを開けて脱脂綿に含ませる。床に少し、水がこぼれた。
そして問答無用で私の傷口の周りに押し当てた。
ズキッと傷口がいたんだ。
じくじくと痛みが広がっていく。
「痛い。」
彼は心底楽しそうに笑い声をあげた。
「我慢。」
抗議をしても、受け流して、次に彼は消毒液にてをかけた。そして、さっき洗ったみたいに、傷口に消毒液を押し付けられた。
ものすごくいたかった。
彼は、噛むことの他に、傷口の手当ても好きだった。
幸せそうに手当てして、保健の先生もいいな、などとふざけたことをいっていた。
消毒を終え絆創膏を貼ると、彼は満足そうだった。
「俺のこと好き?」
突然、倦怠期のカップルみたいなことをいう。
「・・・・・好きだよ。」
当たり前だ。
好きじゃなかったらこんなに苦しくないはずだ。
胸をぎゅっと押さえる。
外の痛みで消そうとしても、内側の痛みはおさまらなかった。
そんならいいよ。
彼の発言は意味不明だった。
わたしは首をかしげる。
あげる。
かれはいった。
わたしは再度、首をかしげた。理解が追い付かない。
「俺の目、あげる。」
穏やかに彼がいう。くるりと、目の中の光が回る。
思考が。完全に。止まった。
わたしは、今まで握っていて、離そうとしても離れなかったスプーンを取り落とした。
カーンと金属音が響いた。
彼の穏やかな声と金属音が、頭のなかで反射した。
中途半端ですが、自分はバッドエンドもハッピーエンドも同時に考えてしまうので、あえて書かないことにしました。彼女と彼の今後は、ご想像にお任せします。駄文ですが、読んでいただきありがとうございました。




