夫が出戻りの幼馴染と「焼け木杭に火がついた」と浮気していたので、そのまま燃やしてしまってもいいですよね?
「ああ、夢みたいだ……。クラリス、ぼくは君のことをずっと、愛していたんだ」
「うれしいわ、エドワード。わたしもよ?」
たまたま通りかかった、屋敷の中で一番大きな夫婦の寝室。
とはいえ、妻である私が一度たりとも使っていないその部屋の中から男女の声が聞こえてくる。
えっと、私は今何を聞かされているのかしら。
耳でもおかしくなってしまったとか?
思わずそう口にしてしまいそうな状況に、思わずその場で固まってしまった。
エドワードと呼ばれた男は、間違いなく私の夫だろう。
まだ結婚してから一年ほどしか経っていないとはいえ、その声を間違えるわけも、同じ名前の人間がそうそういるわけでもない。
そしてクラリスという名にも聞き覚えがある。
今朝ほど、夫が口にした彼の幼馴染の名前だ。
だけど、そう理解はしたところで問題はそこではない。
なぜ夫とその幼馴染が?
そもそもこれはどういう状況だというのだろうか。
クラクラとする頭を押さえ、どうするべきか考えるうちに、中からは甘い嬌声が漏れ始める。
こんな時こそ冷静にならねばと思うのに、頭には血が上り、体はそこまでも火がついたかのように熱い。
こんなことなら、あいつの言ったことをもっと真剣に考えれば良かったわね。
ため息まじりに、私は少し前のことを思い出さずにはいられなかった――
◇ ◇ ◇
「アリア、急に肌寒くなってきたけど大丈夫かい? あれなら新しい防寒着を新調するけれど」
ダイニングでの朝食を囲みながら、目の前に座る夫エドワードはそう言いながら微笑む。
茶色い髪に、水色の瞳。
眼鏡がよく似合い、私より頭一つ分背が高いくらいだろうか。
彼は、好青年という言葉がまさにぴったりな私の夫だ。
どこまでも優しいその笑顔と気遣いに、私も微笑み返した。
「大丈夫ですわ、エドワード様。元より私は暑がりなので、これくらいでは何ともありません」
「そうか。でも、何かあったらすぐに言うんだよ?」
「はい。もちろんです」
私はたぶん他の人間よりかなり暑がりな方だ。
元々火の属性の魔法使いであり、体温が人よりも高いらしい。
とはいっても、普通の人からしたらそんなことなど分からないだろう。
夫もそう。
厳格な父の元、私たちは政略結婚をした仲なのだ。
父は元より貴族令嬢が「魔法を使う」ということを認めず、私が火を操れると知っているのはごくわずか。
夫も私のことは普通の貴族令嬢だと思っているし、そう見えるように振舞っている。
父が決めた結婚だからということもあるけれど、貴族令嬢なんていうものは、そんなものだと教え込まれてきたから。
全ては家のため。
女の幸せとは、いい身分の人の元へ嫁ぎ、子孫を残すこと。
古臭いといえばそうだけれど、それが領地や領民を持つ者の義務らしい。
父はまぁ、子どもからしたら何とも言えない性格の人だが、父が選んだ相手にしては夫はどこまでも良かったと言えよう。
優しく真面目で、気遣いの出来る夫。
だた一つの欠点を除けば、何も申し分はない。
「夫婦なんだから一緒に寝れば温かいから、何も新調などすることはないじゃないの」
一番上座に座る夫にあまり似ていない義母が、やや私を睨むように言葉を放つ。
「だから前から言ってるだろう? 夫婦関係のことに口出すと、嫌な姑だって思われてしまうよって」
「別に真実を言ったまでじゃない」
「それに寝室を分けたのは、ぼくが誰かと一緒だと熟睡出来ないからだって説明しただろう? アリアがどうというわけじゃないんだから、やめてくれよ」
夫にそう窘められたものの、どこまでも義母は不服そう。
私にどこまでも非難の目を向けているものの、いつもの笑顔でスルーする。
こんな時は、不用意に意見をする方が余計に怒らせてしまうのよね。
昔から一言多いと母にもよく怒られていたため、学んだことだ。
誰かが庇ってくれているなら、何も言わないに限る。
それに私が言い出すと止まらないだろうし、関係性が余計に拗れるものね。
夫は熟睡出来ないからだと言ったけれど、たぶん本当はそうではない。
だって嫁いでから一度だって、エドワードは私に触れたことがないのだから。
だからキスはもちろん、初夜だってない。
世間で言うところの、私たちは白い結婚というものらしい。
政略結婚になど期待したことはなかったけれど、でもそれでも考えることはある。
誰かに愛されたかったとか。
求められたかったとか……。
贅沢な悩みなのかな、そういうのは。
こんなにも優しく真面目な人と結婚し、義母からも率先して守ってくれる。
もっと酷い結婚なんて世の中には山ほどあるし、きっと恵まれた方ではあるのだと理解している。
でも……でも。
私はこのまま老いて、子どももなく、親の敷いた道だけで生きて行くのかしら……。
「アリア、体調が悪いのかい?」
私を心配したように、エドワードがこちらをのぞき込む。
「いいえ。ちょっと考えごとをしていただけですわ」
そう言いながら一気にスープを飲み干せば、どこまでも冷めてしまったそれが味気なく感じてしまった。
「そうだ。今日なんだけど、幼馴染がこっちに戻ってきたみたいでね。ちょっと心配だから会ってもいいだろうか?」
エドワードから幼馴染の話が出るのは初めてのことだったが、義母からなら何度か聞いたことがある。
とても器量の良い男爵家の令嬢だったが、没落してしまった時に地方の貴族と政略結婚をしたのだという。
一時は息子の嫁にと考えたものの、身分が~なんて言っていたっけ。
「戻って来たというのは……」
「なんか嫁ぎ先でいじめにあったらしくてね。子どもは産んだらしいんだけど、旦那さんが愛人を作った挙句に離縁されてしまったらしくって」
子どもを産んでもその扱い。
つくづく貴族令嬢という自分の身分が嫌になる。
私だったらそんな旦那など、ボコボコに……。
って、ダメね。そんなことしたら、お父様が激怒するくらいでは収まらないわよね。
「世継ぎを産んでもその扱いだなんて、可哀想ねぇ」
そんな優しい言葉を言いながらも、義母の視線は全て私に向けられている。
世継ぎなんて一生出来ないですよって、言ってあげた方が親切なのかしら。
本気でそう思えてくるわ。
「クラリスは元より病弱だし、どうしても心配でね。今は身寄りもないみたいだから」
夫はそう言いながらチラリと私を見た。
同じ貴族令嬢という立場だし、幼馴染がいるという点では気持ちも分かる。
まぁ、何と言っても幼馴染との関係なんてねぇ。
私はふと浮かぶ、嫌味なあいつを思い出し、見なかったことにした。
「全然問題ないですよ。今日は天気もいいですし、私は出かけてもよろしいですか?」
「ああ、もちろんだとも。ゆっくり買い物やお茶でもしてくるといい」
「はい、ありがとうございます」
ホッとしたようなエドワードの顔を見ていると、自分でも良いことをしたと思えて仕方なかった。
◇ ◇ ◇
街中はやや肌寒くなってきたものの、暑い日差しよりはマシだというように人が溢れかえっていた。
特に夫が言ったように、薄手の上着などを買う人が多いこと。
洋服屋を覗いたものの、あまりの混雑に嫌気がさし、私は広間のベンチでただボーっと辺りを眺めている。
降って湧いた時間。
特段行きたいことろも、見たいものもない。
流行のスイーツでも食べに行けばいいのだろうけれど、甘い物は苦手なのよね。
行きたいお店は一人では到底入れないところばっかりだし。
さて、どうしたものかしら。
時間を潰すなら、実家が一番なのだろうけれど。
弟には会いたいけど、きっと何の用もなく帰宅したらお母様とか怒るわよね。
あの父にして、あの母ありって感じの人たちだから、嫁いだ者が勝手に実家に帰るとか許してくれなさそう。
「暇すぎる……」
エドワードはうちで幼馴染と会う予定だとは言わなかったけど、今こっちに身寄りがないなら家に呼んでいそうだものね。
別に嫉妬とかそういうのじゃないけれど、どんな顔をして会えばいいのか分からないし、向こうだってきっと微妙よね。
「とりあえず、どこかで何か食べて……」
重い腰を上げながらそう呟いた瞬間、どこからともなく悲鳴が聞こえてきた。
「ん? 何かあったのかしら」
街の入り口の方から人々が一斉にこちらに向かって走ってくる。
取り乱すように必死な彼らは、時折後ろを気にしていた。
明らかに何かあった状況。
野次馬根性というわけではないが、私は一人人々の波をかき分け、小走りに街の入口へ向かった。
そこにはすでに数名の冒険者たちがいた。
「お嬢ちゃん、ここは危険だから離れるんだ!」
そんな怒号が飛びながらも、彼らの視線の先にはかなり大型のモンスターがいる。
大きさは冒険者たちの二倍はあるだろうか。
背が低い私からしたら、三倍近いかもしれない。
ややオオカミにも似たそのモンスターは、明らかにこの付近のものとは思えない大きさだ。
それに街中までモンスターが入ってくるなど、今まで聞いたこともない。
「すごい」
数名の冒険者たちは、そんな巨大なモンスターに怯むことなく戦いを挑んでいた。
昔、幼馴染にだけは言ったことがある。
貴族令嬢などではなく、冒険者として生まれてきたかった、と。
自分の思う道を進める彼らをどこまでも尊敬しているし、私にとっては憧れでしかない。
まさか目の前で本物の戦闘が見えるなんて、思ってもみなかったわ。
プロは凄いわね。
騎士の模擬演習しか見たことなかったけど、段違いだわ。
「おい、こいつ全然物理攻撃が効いてないぞ」
「ギルドに行って魔法使い呼んでこい!」
「そうもタイミング良く、魔法使いなんていねーだろ。元から数少ないんだから」
戦いで押されつつある彼らの口からもたらされた言葉。
それを聞いた瞬間、体のどこかが熱くなるのを覚えた。
私は冒険者じゃない。
しかも魔法は父から強く禁止されている。
だけど……こんな状況で、しかも周りには貴族など誰もいない。
私が魔法を使ったところで、バレやしないはず。
一度くらい好きにしたって、いいわよね。
今までずっと、いいつけを守ってきたのだから。
「加勢します!」
「加勢って、お嬢ちゃん……」
やや焦ったような冒険者の言葉を聞く前に、すでに私は呪文を唱え始めていた。
幼い頃、何度もこっそりと練習した呪文。
これだけしか使えないけれど、でも自信はある。
呪文に呼応するかのように、突き出した手のひらに炎が生まれ、それはどんどんと大きくなる。
そして人の頭の二倍ほどなった瞬間、合図を見計らったように冒険者の一人が声を上げた。
「引け!」
その言葉に、剣でモンスターに戦いを挑んでいた冒険者たちは一気に離れていく。
「ファイアー!」
両手で輪を作ってもさらに大きな火の玉が、一気にモンスターへ。
避けようとしてもそのスピードと威力に、成すすべはない。
「ぐぉぉぉぉぉぉぉん」
私の放った炎は大きな火柱を上げた。
「おお」
我ながら完璧すぎじゃない?
もうこれは冒険者の仲間入りでもおかしくないんじゃない?
そんな風にやや興奮しながら見ていると、急に別の魔法が私の真後ろから放たれった。
「ウォーターボール!」
彼が放った魔法は、一気に私の炎を打ち消す。
それでもモンスターが丸焦げになったことには変わりなく、効果はただの消火でしかない。
私は振り返らずとも、そこに誰がいるのか理解出来た。
誰もいないと思ったのに、失敗したわね。
ここは一先ず、知らないフリして逃げた方が……。
「おい、アリア」
冒険者たちに紛れて逃げようとした私の肩を、後ろからガッチリと掴まれる。
その声はどこまでも低く、怒っていることだけは分かった。
「ノア……、なんであんたが」
仕方なく、私は振り返る。
そこにはムッとしたように眉間にシワを寄せる幼馴染のノアがいた。
銀色の髪に赤い瞳。
昔より少し背は高くなっただろうか、でもそれよりも体格がかなりガッチリ引き締まっている。
昔は私と背なんて変わらなかったし、ひょろ長でしかなかったのに。
しかも白銀の鎧がかなり似合っていて、控えめに言ってもカッコいいとは思う。
「第二騎士団の団長に命じられたんだ。今は街中での騒動のために、駆り出されたとこ」
「騎士団長。それはすごいわねー。今度お祝いするわ」
「今はそうじゃないだろう」
明らかに非難の目で、ノアは私にこの惨状を訴えかけている。
「いやだって、ほら、魔法がないと倒せないって言うから」
私は近くにいた冒険者たちに同意を求める。
すると彼らも、ノアに睨みつけられながらただ「うんうん」と頷いてくれた。
「緊急事態だったのよ、仕方ないでしょう?」
「……」
上目遣いで言ってみたものの、ノアの視線はどこまでも痛い。
「お父様にはこのことは……」
「言うわけないだろう。まったく怪我がなかったから良かったものの、一般人が勝手に戦闘になんて参加するな」
「ごめん」
「まったく……モンスターの前にいるおまえを見つけた時にこっちの気持ちにもなってくれ」
ため息交じりに、ノアは言った。
そんなにダメだったかな。
昔はよく、こっそり二人で屋敷を抜け出して冒険していた仲なのに。
あー、もしかして一般人を戦闘に参加させたら怒られるとか?
それならさすがに申し訳なかったわね。
せっかく憧れの騎士団長になったのに、出世とかに響いたら困るわ。
「とりあえず、奢るから許して」
「おまえなぁ、全然分かってないだろ」
呆れたように、先ほどよりも深いため息をノアは吐いた。
そんな風に何度もため息つかなくてもいいじゃない。
だいたいちゃんと説明してくれないと理解出来ない民なんだもの。
「まぁいい。ここではなんだから、場所変えるぞ」
「ご飯たべたーい」
「はいはい」
暇だった時間が、急に充実してみえた。
◇ ◇ ◇
ノアが連れて来てくれたのは、冒険者の宿の下にある酒場だった。
先ほどの戦闘を知ってか知らずか、いろんな冒険者たちが代わる代わるテーブルを訪れ、食べ物を奢ってくれる。
「ぷはー。もう、サイコー」
泡立つエールを一気に飲みながら、私はそう叫ばずにはいられなかった。
今日はなんていい日なのかしら。
外出を許してくれたエドワードに感謝しなくっちゃ。
久しぶりに魔法も使えたし、ご飯も美味しいし、みんな優しいし。
「ホント、昔からよく食べてよく飲むな」
「そう? 家ではこれでもちゃんと大人しくしているのよ」
「それが逆に意味不明だよ」
正面に座り、水で食事を食べるノアは不思議そうに首を傾げた。
元々貴族同士で出会っているというのに、酷い言われようね。
子どもの頃だったからヤンチャだったってだけで、ちゃんと淑女としての教育は受けているのよ。
「普通でしょ。貴族なんだから」
「まぁな……。あんな狂暴だったアリアが普通に貴族してるとはな」
「仕方ないじゃない。結婚したんだし」
エールのジョッキをおろし、その泡を見つめる。
ぷちぷちという小気味よい音をたて、だんだんと小さくなっていく泡たち。
「で、その結婚生活はどうなんだ?」
「……まぁ、悪くはないわよ」
「その言い方は、良くもないってことだろう?」
思わず、私は顔を上げてノアを見る。
透き通ったその瞳に、なぜか見透かされている気がした。
「そういう勘の鋭いとこ、昔から変わってないのね」
「おまえのこと、ずっと見ていたからな」
「……」
「無理はするなよ。もし離縁でもされたら……」
「あら、もらってくれるの?」
「そうだな。俺の第六夫人にでも検討しとくよ」
「はぁ⁉ なにそれー」
「いっとくけど、俺モテるんだからな」
「うわぁ、自分からモテる宣言してて最悪だ」
こんな風に軽口をたたいていると、幼かった頃に戻ったみたい。
昔もこんな風にギャーギャーやっていたわね。
懐かしいなぁ。
あの頃はもっと……もう少し自由だった気がする。
でも考えたらそれも、ノアがいてくれたからよね。
いつも二人で悪い事ばっかりしていたから。
「幼馴染かぁ」
「ん? どうした」
「いや今日、夫が嫁ぎ先から出戻って来た幼馴染さんと会うんだって。もしかして、私とノアみたいな感じなのかなって」
「おい。それ大丈夫なのか?」
「え。なんで?」
「なんでって、どこにどんな感情があるか分からないだろ」
いつになく真剣なノアの表情に、あり得ないとは思いながらも急に不安になってくる。
まさかあの夫が? というよりも、あの人が浮気とかする姿が想像できないのよね。
「ないない。あり得なさすぎるわ」
私はそう言いながら、パタパタと手を横に振って見せた。
「まったくおまえは……」
「何よぅ。それよりノアは飲まないの?」
「俺はこれからまた仕事があるんだよ。街中にモンスターが入って来るなんて異例だからな」
「あー。それは大変だ。お疲れ様です」
「……もう酔ったのか?」
「酔ってましぇん」
「……送ってくわ」
「えー、もう? まだ飲み足りないよう」
そんな私の抵抗など空しく、呆れ果てたノアに首根っこを掴まれるように酒場を後にした。
◇ ◇ ◇
夫のことを疑っていたわけではない。
だけどふとノアの言葉が気になり、確認するために私は夫の部屋へ向かった。
しかしその手前にある夫婦の寝室、そこからあの声が聞こえてきたというわけだ。
どうすれば、どうするべきなのか。
そんなことを考えるうちに、仲睦まじい二人の声を十二分に聞いた私は自分を止めることが出来なくなってしまった。
私は勢いよくドアを蹴破る。
すると何事が起きたのかと、ベッドから二人が起き上がった。
一糸まとわぬ姿。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!」
幼馴染が、先に声を上げた。
実際、叫びたいのはこっちの方である。
夫の家とはいえ、夫婦で暮らす家で、この人たちは何をしているのだろう。
そもそもその自覚はあるのかしら。
「アリア、あの、そのこれは……」
しどろもどろの夫。
しかしその言葉には謝罪も、間違いだというような言葉もない。
「これは何なんですか? 廊下まで聞こえていましたよ。愛してるって」
どこまでも冷静に、彼らに近づきながら問い詰めていく。
私には一度だって、そんな言葉をエドワードが言ったことはない。
それでも大切にはされているし、そこには確かに愛情はあると思っていたのに。
「……すまない。ぼくはずっと彼女のことが好きだったんだ……。ずっとずっと幼い頃から好きで、クラリスが戻って来たと知って、気持ちが止められなくなってしまったんだ」
結局、そう思っていたのは、私だけだったってことよね。
初めからそう、そんなものは存在しなかった。
だから彼は口にしなかった。
そういうことなんでしょう?
ホント、馬鹿みたい。
最悪だわ。私は何のために今までずっと我慢してきたのだろう。
「ごめんなさい、奥様。でもわたしたち本当に愛し合っているんです。昔、うちが没落してしまったために、結婚が許されなくて……」
「だからって、こんなことしてもいいとでも?」
「それは……」
「本当に愛し合っているのなら、離縁してから結ばれればいいじゃない」
「すまない、アリア。でも久しぶりに再会して、その勢いで……焼け木杭に火がついてしまったというか」
よく言ったものだ。
昔から好きだったから、止められなかった?
そんな言葉でどうして許されると思うのだろう。
しかも夫にいたっては、まったく謝罪すらしないという。
さすがにバカにしすぎでしょう。
「もういいわ。もう」
「アリア」
「焼け木杭に火がついた? それならもう、いっそ燃えてて?」
私は無詠唱で、炎を生み出す。
「え、な!」
夫たちのことなど構うことなく、それを一気に投げつけた。
二人の悲鳴と、大きな爆発音。
一気に屋敷内が騒がしくなる。
駆けつけた使用人たちも、裸でベッドにいる二人を見つけ、また違う悲鳴を上げていた。
「な、何をやっているの! 誰か、誰か衛兵か騎士を呼んでちょうだい。嫁がおかしくなってしまったわ」
部屋に駆けつけた義母は、夫たちのことなど無視して私を非難する。
「私がおかしくなった? お宅の息子の方はよほど頭がおかしいと思いますけど?」
「嫁の分際でなんなの!」
「ただの義母のくせに、そっちこそ何なんです? ちゃんと躾の出来ていない息子と結婚させるとか頭大丈夫ですか?」
売り言葉に買い言葉なのは分かっている。
それでももう止めることは出来なかった。
全部もう燃やしてしまおう。
全部全部、大嫌いだ。
再び魔法を発動しようとした私の手首は、冷たい手に後ろから掴まれて阻まれる。
「ったく、だから言っただろう?」
ため息交じりのその声に、思わず涙が溢れてくる。
その時になって私は、自分が泣きたかったのだと理解出来た。
「その嫁を捕まえてちょうだい!」
金切り声で義母が叫ぶ。
「なんの罪ですか? 痴話げんかというよりも、家庭内のことは騎士団は不介入ですよ。ただ不貞はねぇ……」
ノアはそう言いながら、夫たちを睨みつけていた。
「どちらにしてもコレは連れて帰ります。慰謝料他、よく考えた方がよいですよ。家名に傷がつきますからね」
それだけ言うと、ノアは私の体をひょいっと抱き上げる。
悔しさと悲しさでもう訳がわからない私は、抵抗する気力もなくなっていた。
そしてノアが用意した馬車の中で、ただ縋るように泣き続ける。
お酒なんて飲むものじゃなかった。
こんなにも感情が抑えきれないなんて。
ノアは何も言わず、ただ私を抱えながら、背中を擦ってくれていた。
子どもの時に戻ったかのように。
「昔した約束を覚えてるか?」
ぽつりとそんな言葉をノアが漏らす。
「……約束? なんだっけ」
「いや、覚えてないならいい」
「気になるから言ってよ……」
「ヤダよ。思い出すまで待っててやるよ」
私はノアの顔を見上げる。
本当は覚えていた。
だけど忘れたフリをしていたんだ。
『何もかも嫌になったら俺が連れだして、一生側にいてやるからな』
そんなノアの言葉。
だって今聞いたら、勘違いしてしまいそうだから……。
だから今度ちゃんと聞いてみよう。
今もその気持ちが変わらないのかって――




