ティーカップの夢
私はどこにでもいる普通の女の子だ。よく庭で花を集めては自分だけの冠を作り、近所に住みついた猫にこっそりと餌を与えた。テディベアとはこれ以上ないくらい仲良しで、それはもうたくさんの悩みを聞いてもらった。
そんな私は三十歳を目前にしていた。膨らみそこねたパンのような胸と、皮の余る細長い手足を見て、それなりに人生に落胆した。
それでも私はティーカップの夢を見た。私は十代の少女になって、夜空を滑るように移動していた。眼下にはいくつもの街灯や家々の明かりが細かく光り、まるでたくさんの思い出を一気に走り抜けたような高揚感に包まれる。ティーカップを持って空を滑るだけで、私の心は底から満たされていった。
この夢を見たのは間違いなく成人した私である。陰毛は指を押し返すぐらい固く、限りある生理を逆算してみるこの私だ。あの幸せな気持ちはいったいどこからきたのだろう。彼女は生身の女の子ではなく、また過去の私自身でもないのに。
もしかしたらと私は思う。私が幸せな気持ちになれたのは、彼女の喜びを分けてもらえたからかもしれない。空を滑る少女は時の試練を知らず、自分が特別な存在だと信じて疑わないから。
けれども夢は凍結された情景ではない。やがて少女の持つティーカップにひびが入り、しまいには完全に割れてしまう。彼女は地上に落ちて、口に小さなりんごを入れられる。もう空も飛べないし、心の奥にどろどろとした感情が渦巻いてくる。たとえば仲のよかった友人の裏切り、愛していた両親の離婚、仕事でのつまらない失敗。それらすべての対極にあるのがあの幸せであり、ティーカップの夢なのだ。




