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やわらかな風が吹く丘の上で待つ君に、この言葉を音にして届けられたら  作者: 雨後乃筍


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8/12

不穏な過去と決壊

 美咲は携帯を机においた。その横でノートPCを開いていた。


 ノートPCの画面には、スポーツ新聞の切り抜きやWebニュースの文字が踊っていた。


 その内容は残酷極まりなく…見るのに耐えられないような内容だった。


「100年に一度の逸材を襲った悲劇。準決勝敗退だけではなかった。

 100年に一度の逸材と言われ、将来の野球界を背負って立つと言われていた人材は、あっけなく幕切れを迎えた。準決勝9回、相手の折れたバットが顔面に直撃し、野球人生は絶望」


「過去のスーパースター、その失墜。超高校生ピッチャーと呼ばれ、もてはやされた南川作。試合中の事故から失明し、今は一人盲学校に通っている毎日。かつての栄光はどこに!」


「過去のスーパースターに襲いかかる、さらなる悲劇。先日発生した高速道路での多重追突事故で死亡した夫婦は、なんと3年前に甲子園で活躍した超高校生ピッチャーの南川作さんのご両親だった。野球を奪われ、人生の希望も奪われ、両親も奪われた過去のスーパースターに生きる希望はあるのか?」


 どうしよう、こんなの検索するんじゃなかった。


 絵里に伝えた方がいいのか。いや余計なことはするべきじゃない。週刊誌の記事だし、切り抜きだけではわからない。


 多分絵里は本気だ。本気で作のことを好きになっている。だが障害者と生活するのは想像以上に大変だ。もちろん絵里は覚悟の上だろうし、障害者との付き合いも私でなれてはいると思う。


 だが聴覚障害と視覚障害では次元が違う。絵里にその覚悟がある以上に、作にもその覚悟が必要になる。覚悟があるか、絵里の思いを受け止められるか…


 本人に聞くしかないか。


 美咲はノートパソコンの画面を閉じた。


 最後の画面には「過去のスーパースター、自殺未遂」という文字が一瞬だけ見えていた


 *****


「美咲さん、いらっしゃい、さあどうぞ」


 美咲は、作の施術を予約していた。


 美咲は自分のスマホを取り出して、ある操作をした。そこから美咲の言葉が流れ出た。


「作、これはスマホの文字読み上げ機能を使っているの」


 作はギョッとした表情をしたが、すぐに笑みを浮かべた。


「ああ、なるほど。それは便利ですね。驚きました」


「仕事中にごめんね。でもどうしても話したいことがあって」


「なんですか?」


「あのね、これはあなたに失礼なことを言うかもしれないけど」


「なんか怖いですね」


「作、辛くない?寂しくない?」


「え?どういうことですか?」


「ごめんね。あなたの過去のことを知ってしまったの。週刊誌のゴシップ記事でだけど。あなたが高校野球でピッチャーやってたこととか。事故のこととか」


「…」


「あのランチの時、途中で帰ったのは、高校野球のことが流れたから?野球の事を聞くのが辛かったから?」


「…」


「頼れる人はいる?本音で話せる人はいる?」


「…ほっておいて下さい」


「私、あなたが本当に心の優しい人だってわかっている。じゃないと二日酔いの見ず知らずの人にわざわざスポーツドリンクを渡したり、声の出せない私と指で話なんてしない。だから、あなたにも絵里にも悲しい思いをさせたくない、だから…」


「…美咲さん、あなたに一体何がわかるというんだ…」


「ごめんなさい…」


「僕は全てを失った。自分の好きなことも、両親も、人生も。生きることも諦めた。今はただの惰性で…」


「…そんなことない。あなたにだって希望が」


「希望なんてない。僕は目が見えないんだ、一生…」


「…ごめん、あなたの気持ちはわからない。今まであったものを失うのがどれほど辛いことかわからない」


 美咲は作の背中に向かって続けた。


「私は、元から無いから。生まれた時からずっと音がない世界」


「でも私は元気だよ。希望も持っている。だから作も今すぐは無理でも、いつでも悩みを打ち明けていいんだよ。希望を持っていいんだ」


 作の手が…肩が震えている。


 作…


 美咲はそっと作の肩に手をおいた。小刻みに震えている。


 どれほど辛かったのだろう。栄光の真っ只中で全てを失い、人が離れて頼れる肉親も失うなんて、想像もできない。


 美咲は作の背中を優しく撫でていた。他にどうしたら良いかわからなかったから。


 …


 突然作が泣きながら、美咲の胸に飛び込んできた。美咲は黙って、ただその作の頭を優しく撫でることしかできなかった


 泣いていい、今まで泣けなかったんだね。いつでも泣いて良いから。


 作には聞こえない。でも気持ちは伝わるはず。いつまでも子供のように泣きじゃくる作を、ずっと撫でていた。


 辛かったね、苦しかったね。泣いていい。泣いていいから。


 施術予約の時間が来るまで、作は美咲の胸の中で泣き続け、美咲は作の頭をやさしくなで続けた。まるで乾き切った砂に水を染み込ませるような、長い長い時間。


 美咲の目から涙が溢れた。同情ではない。作の心が美咲の心に反応した涙だった。

 美咲は作の頭をぎゅっと抱きしめた。愛おしいものを癒すような優しくて強い抱擁だった。

 この気持ちはなんだろう。ずっと抱きしめてあげていたい。


 作…


 美咲は、僅かなノイズと共に開いた細いドアの隙間から差し込む光に気づいていなかった。


<つづく>


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