希望の音
作は退院後、引きこもり生活を続けた。
カーテンを締め切った部屋で、なにをするわけでもなく、ただ一日過ごすだけ。
カーテンを開けても閉めていても同じ何も見えない世界。永遠に続く闇、それが作の世界だった。
悲しいとも苦しいとも思わなかった。ただ日々生きているだけ。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
野球部監督の牛込が作を尋ねてきた。
「作、具合はどうだ?」
「…監督、試合すいませんでした」
「あやまらなくていい。あそこまでいけたのもお前のおかげなんだから。部員も心配しているぞ?」
「…すいません」
「…もうすぐ卒業式だが、卒業式だけでも出ないか?」
「…卒業式?俺、卒業するんですか?」
「…出席日数はなんとかなった。どうだ?卒業式?」
「…行きたくありません。みんなに会うことができない」
「…作、誰もお前のことを責めたりしていない。みんなお前に会いたがっているぞ?今までは、療養中だからみんな遠慮していたが」
「…会いたい?俺に?目の見えない俺に?」
「…実はな、部を代表して3人がどうしても会いたいって来ているんだよ。キャッチャーの飯田とキャプテンの若松、副キャプテンの河田だ。下で待っている」
「…飯田、若松、河田…」
「…どうだ、会ってみないか?」
作は心に押しつぶされるような痛みを感じる。アイツらになんと言って謝ればいい?
「…すいません、今はまだ…」
牛込がぐっと手に力を入れて、絞り出すように声を出した。
「…そうか。まだ時間はある。気が向いたら教えてくれ…」
「……」
「…あと、これ。あいつらからのお見舞いの品だ。俺はよくわからんが、本と雑誌記事を読み上げてくれる機械だそうだ。オーディブルとか言ったかな?」
「オーディブル?」
「ああ、よかったら使ってやってくれ」
作は牛込が帰ったあと、しばらくぼんやりとしていたが、牛込が置いていった機械を手に取ってみた。
感触で再生ボタンが分かった。
再生ボタンを押すと、ざわざわとしたノイズが流れ、懐かしい声が響いてきた。
「作、おまえと野球ができて楽しかったぞ!一緒に卒業しようぜ」
「作、ありがとうな。お前が居てくれたおかげで3年連続甲子園ベスト4だ!これって結構すごくないか?」
「作、俺達待っているからな。ずっと野球部の部室で待ってる、いつでも来い」
それは野球部のチームメイトの言葉だった。
自分の手に水滴が垂れるのを感じた。自分の涙だった。
「…作先輩…」
2年生ピッチャーの柳の声だった。
「…作先輩…すいません。自分が力不足だったために先輩に全部押し付けてしまって」
「自分にもっと力があれば、体力があればって思っています」
「先輩、自分もっと頑張ります。体力つけます。ピッチングも。そして来年も甲子園にいきます!だから…」
音声の向こうですすり泣くような声が聞こえてきた。
みんな…みんなが俺のために…?
「作、これは余計なことかもしれないけど」
キャッチャーの飯田の声だった。
「たまたま見つけた記事をオーディブルに入れておいた。聴覚障害者の人が会社で健常者以上に活躍しているって記事だ」
「その人は生まれてからずっと耳が聞こえず、声も出せないらしい。いまは大学を卒業して一般企業で活躍している。自分の障害者としての経験を活かして、障害者支援事業をしているらしい」
「作、俺達の甲子園は終わった。だがな、人生まで終わったわけじゃないぞ。俺達の人生は、まだ始まってもいない」
「作、これは記事に書いてあったその人の言葉だ。
『人は色々な個性を持っています。絵が好きな人、音楽が得意な人、計算が苦手な人、プレゼンが苦手な人。私は生まれつき音が聞こえません。声を出すこともできません。障害者です。
でもこれを個性として考えて、個性として扱ってくれる人たちが入れば、これは私を守る盾にもなるし、行動するための武器にもなります。
重要なのは自分の思いを言葉にして伝えること。心をつなぐコミュニケーションです。
だから、もしなにかに絶望したとしても、コミュニケーションを取ること、心を言葉にすることを怖がらないで。貴方と手を繋ぎたい人は必ずいます』
作!部室で待っている!俺達はいつでもお前の手を握るぞ!」
作は端末の再生を一時停止した。
何が希望だ!なにがわかる?俺はすべてを失ったんだ。野球しかない人生でそれを奪われた気持ちがわかるか!
俺には野球しかなかった。そのためにすべてを犠牲にした。それは苦じゃなかった。
厳しい練習も、猛暑の夏も、野球さえできていれば幸せだったんだ。
作は端末を放り投げた。
カツンと乾いた音がして、端末が何処かにぶつかった。
その衝撃で、最初の一瞬だけ音声がノイズで潰れた。しかし、端末は壊れることなく、AIの無機質な合成音声が暗闇の部屋に響き始めた。
『ザザッ……さん、インタビュー特集記事。聴覚障害を個性にしてアクセシビリティ推進で活躍する。今日の注目の人、この方は生まれつき耳が聞こえず声も出すことができません。それにもかかわらず……』
作は両手で耳を塞いだ。うるさい、うるさい、うるさい。
だが、その音声は、手の隙間から容赦なく作の耳に届き、そして僅かだが心に火を灯していた。
数週間後、作は監督に付き添われて、野球部の部室の前に立っていた。それは静かな、だが確実な再生への一歩として。
<つづく>




