旅立ちと決別
あれから2週間が経過していた。美咲はまだ職場復帰していない。人事の話では、医者の診断書があり、療養休暇の申請がでたらしい。病状については教えてもらえなかったが身体面もそうだが精神面でも休養が必要らしい。
私は美咲に会いに行っていない。私が会ったら返って辛い思いをさせちゃうかもしれないし、何より私の決意が揺らいじゃうかも。
私はオフィスのエントランスで作が出てくるのを待っていた。私には今日しかなかった。
程なくしてエレベーターから白杖を持って降りて来た作に声をかけた。
「作、ちょっといい?」
作はびっくりしたようだった。
「絵里さん、いや、どうしたんですか?」
「ちょっと、ね。ねえ、歩きながら話さない?」
私は作の手を私の肘に掴まらせて、歩きながら話した。
「作、私ね。明日から海外にいくの」
「え?海外旅行ですか?」
「ううん、違うの。ちょっと自分探しの旅にね」
「自分探しの旅?美咲さんは知っているんですか?」
「ううん、知らない。誰にも言っていない」
「え?それって?」
私は端末を作のポケットに滑り込ませた。
「作、これ我が社の最新端末『ポケモジトーク』のプロトタイプ。このボタンを押すと入力した文字が音声で再生されるから、後で聞いてみて。私のメッセージ」
「え?これは?」
「これはね、美咲と私が作のことを思って作った最新型だよ。だからこの試作品を使ってみて、美咲と」
「僕のため?美咲さんと?」
「そう。美咲がね。視覚障害者の人にも使えるようにって、音声出力機能を追加したの。作、あんたのことを思ってだよ」
美咲さんが?僕のために?
「どこか落ち着いたところで聞いてね?歩きながらは危ないからダメだよ」
「え?ちょっ…」
「それじゃ、元気でね、じゃあね」
そう言い残して、私は作から離れて行った。これ以上一緒にいると涙声を悟られてしまいそうだったから。遠くから「絵里さん?」と呼ぶ声が聞こえたが、それに反応せずに走り去っていた。
これでいい。バイバイ。
私は溢れる涙を人に見られないように顔を伏せながら反対方向へ歩いた。ポケモジトークには、私から作への最後のメッセージが残されていた。
私は『ポケモジトーク』の試作品を定期的に点検している。美咲の持っているプロトタイプも例外ではない。そこに記録されていた作の言葉を知ってしまっていた。
作の本当の気持ち。でもそれを美咲には伝えていない。それは作から美咲に直接伝えるべきことだから。
大丈夫。きっとうまくいく。なんてたって、私は美咲の親友なのだから。
美咲の気持ちは本人よりわかっているつもりだ。美咲自身は意識していないかもしれないが、美咲の心は作に向いている。
そして作の心も。
私は前から考えていたことを実行するだけ。美咲のそばにいるのが心地よくてつい甘えてしまっていたけど、私も美咲から離れることをしないと。1人で生きていけることを証明しないと。
正直怖い。でも試してみたい。自分の可能性を。
今ならできる、今なら未練がない。
『ポケモジトーク』には、作への告白のメッセージを残していた。作と、美咲と、2人の未来に向けたメッセージ。
「
作へ
私はこれから海外に行きます。あなたと美咲の前から消えます。私はあなたのことが好きだった。とても。
でも、あなたの目には美咲しか映っていない。ごめんなさい、あなたが美咲に告白しているの聞いちゃったの。
美咲はいつも『ポケモジトーク』の試作品を持っているでしょう?そこに作の言葉が残っていたの。
美咲は知らないけど、プロトタイプでは調査目的のために記録が全てクラウド上に残るの。ちょうどあの時、あなたの告白はメンテナンスと被ってしまって、美咲には届いていない。
だから、ちゃんと美咲に告白してね。ちゃんと口を見せて直接!端末を通じてなんてだめ!
ちゃんと心で伝えること!本当の気持ちなんだから!そうすれば聞こえなくても美咲の心に届く!
私から身を引くんだから、それぐらいやってよね!
私ね、あなたのことが好きだった。でも同じぐらい美咲のことも好き。
だから2人には幸せになってほしい。2人は本当にお似合いのカップルだと思う。それは最初にランチに行ったときから思っていた。
でも、ちょっとだけ苦しいの。2人が急に私の近くにいなくなっちゃうみたいで。
だからね、私、前から思っていたことにチャレンジすることにしたの、海外で。逃げるんじゃないよ?挑戦だから。
作、お願い。
美咲は本当にいい子なの。真面目だし、優しいし、でも今まで寄ってきた男はみんな美咲の容姿目当てだった。
だから、心で美咲のことを好きになったのは作が初めてなの。それを美咲も知っている。美咲ってああ見えて自分のこと、なんにもわかっていないけど、本当にあなたのことが好き。親友である私が、よくわかっている。
だから大事にしてあげて。美咲はああ見えても弱い子なの。自分が障害を持っているから、他人に心を開かない。いつも完璧な自分を演じている。
その心を開けるのは、作だけ。美咲の心を好きになった作だけなの。
美咲は今とっても傷ついているの。会社で嫌なことがあって。今は長期療養中。
今すぐはダメ。でももう少し時間が経ったら会いに行って。美咲には貴方が必要なの。
そして今まで通りに接して。
美咲を守ってあげて。慰めてあげて。
抱きしめて、頭を撫でてあげて。
美咲とずっと仲良くしてね。
絵里
」
作は激しく動揺した。美咲さんが病気?絵里さんが海外?!
どういうことだ、理解が追いつかない。作の頭の中に、今までのことがフラッシュバックする。
レストランまで一緒に歩いた。手に文字を書いて意思疎通をした。
過去の辛いことを思い出して、思わず抱きついて泣いた時。優しく撫でてくれた手。
弟みたいと手に書いてくれた。
夜の公園で、衝動的に告白してしまったこと。
思い出されるのは美咲さんの手と体の感触。あの声。
美咲さん、美咲さん、美咲さん…
「絵里さん!?」
だが作は叫んでいた、美咲ではなく絵里の名前を。何も見えない。絵里さんはどこへ行った。
「絵里さん!」
再度叫ぶ。周りがざわつくのがわかる。少し離れたところで、聞いたことのある音が耳に入った。
これは絵里さんのスマホの着信音!?
「絵里さん!?待って!」
持っていた白杖から手を離し、気づいたら走り出していた。
誰かの体にあたった。衝撃で思わず足がもつれる。
危ない!
叫ぶ声が聞こえた。つんざくようなクラクションの音が耳に突き刺さる。
光を失った作の視界がまばゆい光であふれた。きれいな光の渦。そしてその中心に一人の女性の顔が浮かんでいた。見たことのない女性。でも知っている女性の顔。
誰?
作の耳に「119番!」と叫ぶ音がぼんやりと聞こえた。そして次第に聞こえなくなっていった。
作の手から離れた端末が、何人かの足にあたり、やがて側溝の闇の中に消えていった。
まわりの人が作に駆け寄ってくる。誰かが叫んでいる。
…遠くからサイレンが響いていた。
◇
私はタクシーに乗って実家に向かっていた。もう退職届は出したし、1ヶ月後の正式退職日まで有休消化だ。もう会社に来ることもない。
自然と涙が出てきて、夜の街が滲んできた。
「…何か事故ですかね?」
運転手さんの言葉に目をやることもできなかった。
「ちょっと迂回しますね」
その言葉にも返事ができず、ただシートに体を預けてぼんやりと通り過ぎる赤い光を眺めていた。
<つづく>




