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改変された春に生きていられる場所はあるか  作者: 武灯冬和


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1話

お世話になっております。武灯冬和です。


神渡真歩には夢がない、の息抜きがてらに、新しいお話書いてみました。


少しでも楽しんでもらえたら幸いです。

 ――身体が、重い。

 有無を言わせない不自由な身体は、都合の良いヒールを思わせるには十分すぎた。動きが悪い脳みそが、時間をかけて引き出しを開かせる。

 童話で聞いた赤ずきんをふと思い出した。彼女の大切な存在を奪った狼は、純真無垢な幼子に腹を開かれて、腹中に大きな岩を大量に詰め込まれて、後に溺死する。

 童話などなぞった事もないが、今の感覚はそれに1番近い気がした。身体を起こす事……ましてや指一本を動かすのがとても憂鬱だ。頭のてっぺんから足先まで神経がなくなってしまったかのように、脳が必死に動きを伝達するが、弾き出された行動は身じろぎひとつない〝無〟だった。まるで、討伐されのちに捨て置かれた悪役にでもされた気分である。

 

 欠落した己を補おうにも、酷く渇いた喉からは声ひとつ出せず、空気がヒュッと抜けるだけ。乾燥した喉の内側が悲鳴を上げるようで、呼吸するために空気が送られるだけで痛痒い。

 かろうじて動く視線で辺りをゆっくり眺めてみる。開いたばっかりでぼやけた視界は、虚になる程真っ白な世界を映す事しかしない。ただ、鼻腔から香る清潔と消毒液の臭いと、鼓膜を一定で叩く心拍を表す機械的な音から、ここが病院である事が推察された。


「(病、院……?)」


 なぜ今、自分が病院に居るのか。頭に沸いた初めての疑問は、どうにも自分1人では解決できそうにない。一体いつから入院していたのか、何日目を覚まさなかったのか……。1度芽が生えた疑問は、芋蔓のように次々と己を不安にさせる疑問を掘り当てていく。


 ガラッ――


 病室のスライド式のドアが突然開かれた。入ってきた人は、相変わらず色のない服を着ていて、誰なのか、何なのかすら判断がつかなかった。

 「あのっ、」声をかけようにも、喉から発される音も、行動を起こそうとする腕も何もかもが上手くいかずに、瞳だけで呆然と来訪者を捉えて数回瞬きをする。どうにかこの場を離れないで欲しい、その思いは看護師の息を呑む声を発したかと思えば血相を変えて踵を返した事により、無情にも打ち砕かれる。


「――っ!」


 慌てて出て行った看護師を制することも出来ずに、ベッドに埋もれ続ける事しかできない自分。せめて水ぐらい飲ませて欲しかった。ひび割れた喉が、目の前の希望に更に飢えを訴えた気がした。

 乾いた身体と、ひとりきりになる寂しさを纏めて痛感させられた。ひらひらと降り注ぐ日差しは、真っ白なカーテンに阻まれて更に優しい光に変わって自分に降り注いでいる。溢れた幾つかの光の線が、自分の隣にあるローテーブルへ注がれ、点滴や誰かの忘れ物の様な見知らぬ本へ、暖かさを分け与えている様だ。容態と反比例する様に、必死に自身を生かそうとしているみたいで……自分が目覚める為に、看護師や自身を知っている来客が仕切りに足を運んでは、目覚めぬ自分を繰り返し見ていてくれたとしか思えなかった。

 

 忙しなく走り去る足音を、呆然と聞く事しかできない身体がもどかしい。しかし、今できる事なんてあまりにも無いに等しいので、大人しく世界の音に耳をそば立てていた。リノリウムを踏む音が段々とこちらへ寄ってくるのがわかる。革靴の様な硬くて品のいい靴が、一歩一歩確実にこちらへ歩みを進めている。通り過ぎるかと思えば、ピタリと自分の病室の前で歩みを止めてしまった。

 小さなノックの後に、無言で、しかし、ゆったりとしたペースで再度扉が開かれる。次に入ってきたその人は、病院や看護師とは違い、最も強い色彩を携えたシルエットをしていた。その人も先程のように、瞳を動かす自分を認めた瞬間脱力し切ったように身体全体で驚きを表していた。


「……風香(ふうか)――!!」


 破顔しながら駆け寄ってきた見知らぬ男に、自分は優しい抱擁をされる。反射的に半身を引きそうになるが、たくさんの管が繋がれた身体は言うことを聞かない。呆気なくそのままにされていれば、一瞬過った〝他人行儀〟すら、彼には不要なのではないか、と思ってしまう。香り慣れないけれど安心するその匂いと、病人を気遣えるが、己の衝動を抑えきれていない抱擁が不器用で、誰ともわからないその男を拒絶するのは野暮だと脳が、()()()()()告げていた。

 与えられた抱擁に、風香からも抱き返そうにも、岩を詰められた身体は沈黙を貫いており、その男の背中に腕を回すことは叶う事はなかった。そして、たったこれだけの事がこれから長い間胸に居座る小さなしこりを作ることとなる。

 

 恐ろしく冷えていた風香の身体に、誰のものともわからない熱が与えられた気がした。その熱の主は、目覚めたばかりの風香の名前を呼んでくれた彼。自分が目を覚ましたことが信じられないのか、はたまた安心したのか、仕切りに「良かった」と繰り返している。香り慣れない…でも懐かしさも感じる香水の匂いの奥で、興奮からじんわりと汗が染み出しているのがわかる。上品で妖艶な化学的な匂いと、雄っぽい匂いが混ざり合って、鼻に毒だと少し遠い意識で感じた。

 その男が不安そうに風香と目を合わせた。目前の鏡は、ワインを垂らしたような赤色をしていて、揺れる水面には透明の涙を蓄えている。目前の彼は、「……風香?」と不安そうに繰り返し名前を呼び続けてくれている。


 ――この男は、いったい誰なのか。


 初めて見るこの男は、風香へ対して大切な友人の様に接してきているものの、風香から見てしまったら全く誰だかわからなかった。過去の友人か、はたまた血縁なのか。謎を呼ぶこの男を思い出そうにも、記憶はたった今病院で目覚めた所以前のものがぽっかり抜けていた。知らない誰かを思い出そうと心配するたびに、思い出せない風香自身の事が喉に小骨の様に引っかかる。


「――ッ!?」

「風香っ!」

 

 強く過去を反芻しようとしたら、頭が鈍器で殴られた様に強く痛む。体験したことのない不安と焦燥が、風香の心臓を忙しくさせ、果ては指先まで勝手に振るわせ出す。


「大丈夫、大丈夫だよ。風香……」


 緩められた抱擁をいま一度強く結び直す。見慣れない風体の男に安心する香りと熱を覚えた。剛鉄で出来た楽器の音が鳴り止む様にゆっくりと、尾を引く様に少しずつ風香の動悸と頭痛はなりを潜めていく。

 荒ぶっていた鼓動が、とくんとくんと正しいリズムを刻んでいく。嗚呼、何でこんなにも落ち着くのだろうか。顔も名前も素性も知らぬ男へ寄せる感情にしては、深い疑問を覚えた。


「病院には、俺が身元引受人だって、ちゃんと伝えたから……」


「だから、帰ろう」抱擁を解かれてもなお、手を交わし続ける男の顔は綺麗な笑顔だった。安心して欲しい、と言わんばかりに自信に満ちていている癖に、少し突っつけば綻びそうな程、不安定な色をした美しい笑顔。寄りかかるにしては心許ない笑顔だったが、どうしてか彼の手を払うことができなかった。怪我をした身体がそうさせなかった?いや、答えは否だ。ただひたすらに今、混乱している自分が落ち着けるなら、底も見えない井戸へ手を引かれ共に落ちて行ってもいいとすら思った。忘れた事すら罪なのかもしれない。でも、井戸の底が懐かしい香りで満たされ、こんなにも心地よいならそれで良いじゃないか。

 ゆっくりと落ちていく瞼は、色を写すことを諦めていく。光も届かない瞼の裏側の世界、そこにぼんやりと浮かんだのは、狼にもあったかもしれない母親の尾に顔を埋めて眠りこける幼子の頃。しかし風香は何処までも赤ずきんを悲しませた狼で、罪を腹に詰めて井戸へ落ちていくに、抱えた罪は十分すぎた。

ここまでお読みくださりありがとうございました。


こちらの話は非常にゆっくり更新になる予定なので、気が向いたらまたみてあげて欲しいです。


長いお付き合い、どうぞよろしくお願いいたします

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