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第10話/過去からの戒め

 フェス後の数日間、BLJファンコミュニティはかつてない活気と緊張感に包まれていた。SNSでは、騒動を受けての反省や意見が飛び交い、ファン同士の対話は加速した。「前回のフェスは反省点が多かった」「でもあの熱気は忘れられない」といった声が、冷静な分析と熱い感情を交錯させながら、コミュニティ全体に広がる。田村秀雄は、オフ会で交わした絆を思い返し、今回の騒動もまたファン同士の成長につながると考えていた。


 東京に戻った山口舞は、騒動の余波を感じながらも、自分自身の行動を振り返った。ライブハウスや野外フェスでの経験は、単に楽しむだけでなく、周囲の環境や仲間との関係を意識することの重要性を教えてくれた。スマートフォンでSNSを眺めると、フォロワーから「舞ちゃんの冷静な声掛けで前方が整理された」というコメントが届き、少し胸をなでおろす。舞は改めて、自分の立ち位置を「熱意を支える役割」として自覚した。


 小林悠もまた、自分の音楽的な成長とファンとしての行動のバランスに思いを巡らせていた。フェス中、最前列に長時間居座るファンの姿に戸惑いを覚えつつ、演奏を通して得られる感動を最大化するには、秩序を守ることも必要だと痛感した。翌日、悠はギターを手に取り、今回の経験を自らの演奏に活かすことを心に決める。音楽とファン文化は切り離せない。感情のままに動くことだけでなく、思いやりを持った行動が、音楽体験の質を高めると理解していた。


 名古屋で神谷竜二のソロライブに駆けつけた三浦亮太は、フェス騒動の話題を耳にし、微笑みながらも少しの緊張を抱えていた。会場に入ると、前回の東京フェスのような混乱はなく、整然とした客席に心が安らぐ。隣に座る遠藤真希と互いに目を合わせ、無言のまま「これが理想だよね」と頷き合った。二人は、ファンが楽しむ空間を尊重することが、演者や周囲の観客にとっても最も幸せな形であることを再確認した。


 福岡で白石慎吾のドラムソロライブを楽しんだ佐野健太と藤原直樹は、録音した音源や映像をチェックしながら、前回のフェスでの経験を反映した観察を続けた。「あの時の騒動を見て、どうしたらみんなが安心して楽しめるか考えるのも大事だな」と直樹が呟くと、健太も頷きながら「音楽の感動は、秩序と共にあってこそさらに輝く」と答えた。二人の中で、ファンとしての自覚がさらに強固になっていく。


 札幌で玲奈のピアノコンサートに参加した加藤京子と田村秀雄も、静かな感動を胸に抱きつつ、SNSで前回のフェスの反省点や感想を共有した。京子は「若いファンたちも、秩序を意識すればもっと楽しくなるはず」と思い、秀雄は「熱意とマナーを両立させることが、コミュニティ全体の質を上げる」と考えた。二人は、ファン同士が互いを思いやる文化を広めることを自然に使命として受け入れていた。


 そして、数週間後、BLJのソロツアーの最終日が近づくにつれ、八人のファンたちは自然と再び東京に集まることになった。今回の経験を経て、彼らはより成熟した目でステージを見つめ、他の観客との調和を意識しながらライブを楽しむ。ステージ前方に整然と並ぶファンたちの中で、八人はお互いに微笑み合い、以前より深い連帯感を抱いた。


 朝倉祐真がステージに立つと、音の波が会場を満たし、観客席に一体感が生まれた。八人は肩を並べ、歓声と拍手を送る。今回は最前列でも、秩序ある観覧によって、音楽の感動は最大限に広がる。前回の「フェス地蔵」の騒動を知る彼らにとって、この瞬間は一種の成長の証でもあった。


 ライブ終了後、控室前のロビーで八人は再会し、互いの感想を笑顔で語り合った。「やっぱり守るべきことを守れば、最高に楽しいね」「熱意があっても、思いやりがあればみんなが幸せになれる」と自然と話が弾む。そこには、以前の混乱の影はなく、成熟したファン文化の芽生えを象徴するような穏やかな空気が流れていた。


 夜、八人はそれぞれの帰路につきながら、心の中で今日の出来事を反芻した。SNSでは「#BLJフェス反省と成長」といった投稿が見られ、今回の経験がオンライン上でも前向きに共有されつつあった。熱意と秩序、情熱と責任、楽しむ心と配慮——そのバランスを学んだ八人のファンたちは、今後のBLJの活動をより豊かに楽しむための新たな指針を胸に刻むのだった。


 それから数週間後、八人が集まったオフ会は、一見すれば和やかな雰囲気だった。テーブルには軽食や飲み物が並び、誰かが持ち寄ったライブ映像を流しながら、あれこれと語り合う。けれど、その輪の端にいる田村の表情はどこか険しく、笑い声にも乗り切れていなかった。


 舞はそれに気づき、さりげなく隣へ腰を寄せた。

「田村さん、なんか元気ないね。体調でも悪い?」

 問いかける声は軽かったが、目線は真剣だ。


 田村は少し肩をすくめて、グラスの氷をかき回す。

「……いや、体調じゃない。ちょっと思い出しちまったんだよ。あのフェス地蔵の件さ」


 舞は眉をひそめた。「あれ? この前のフェスの話?」


「それだけじゃないんだ」田村の声には苛立ちが混じっていた。

「実は、BLJの頃にも同じことがあった。前方エリアを独占して、何時間も動かない連中がいてな……結局、注意されたりトラブルになったりした。それに、朝倉がソロで出た時もだ。結局、誰もその教訓を活かしてねえ。何度も同じことを繰り返して、同じように叩かれて……」


 舞は頷きながら、静かに田村の言葉を受け止める。

「なるほど……だから田村さん、余計に頭に来てるんだ」


「そうだよ。俺たちはファンである以上、あいつらの足を引っ張るような真似をしちゃいけないだろ? なのに一部の奴らは、自分たちの行動がどう見られてるかすら考えてない。あれじゃ、推してる側が恥かくだけだ」


 テーブルの雑談に混じる笑い声と対照的に、二人のやり取りには重たい空気が流れていた。舞は小さく息を吐き、田村のグラスに自分の飲み物を注ぎ足した。

「……でも、田村さんみたいにちゃんと覚えてる人もいるってことが救いだと思う。私たちが声を出し続けなきゃ、また同じことになるんだろうね」


 田村は苦笑した。「舞は強いな」

「違うよ。ただ、後で後悔するの嫌なだけ」


 ふっと、田村の頬が少しだけ緩んだ。険しさが薄れていくのを見て、舞はようやく胸を撫で下ろした。


 舞と田村のやり取りに気づいたのは、向かいに座っていた洋介だった。彼は缶チューハイを手にしながら、気まずそうに笑う。


「田村さんの言うこと、わかるよ。俺もBLJ時代に現場で何度か見てきたし。あの頃はまだSNSも今ほど盛り上がってなかったから大ごとにならなかったけど、今は一発で拡散されるからな」


 その言葉に、隣の沙希が大きく頷いた。

「そうそう! ほんと一部の人の行動で全体が悪く見えるんだよね。推しの名前に泥を塗ってるって、どうして気づかないんだろ」


 少し熱のこもった口調に、場の空気が引き締まる。舞は苦笑しながらも、話題を和らげようと両手を軽く叩いた。

「でも、こうして気づいてる人がいるだけでも違うと思うよ。ね、みんな」


 すると今度は、物静かな良太が口を開いた。

「……俺は現場慣れしてないから、正直どう振る舞えばいいのか迷うことも多い。でも、田村さんが言うみたいに“過去の教訓”ってのは確かに大事だな。俺たちが同じ失敗を繰り返さないように気をつけなきゃって思う」


 その真面目なトーンに、場の緊張が少しほぐれ、何人かが笑みを浮かべた。


「良太くん真面目~!」と沙希が茶化し、洋介も「でも言ってることは正しい」とフォローする。


 田村はそんな仲間たちを見渡し、わずかに顔を和らげた。

「……まあ、愚痴っぽくなっちまったな。でも、こうして話せただけで少し楽になったよ」


 舞は安心したように笑った。

「それでいいんだよ。みんなで共有して、みんなで気をつければ、少なくとも私たちの周りからは変えられるはずだから」


 八人はそれぞれのグラスを掲げ、軽くぶつけ合った。乾いた音が弾み、ようやくオフ会の空気が明るさを取り戻していく。


 ──だが、この会話は単なる愚痴や慰めではなく、彼らがファンとしてどうあるべきかを考える小さな転機になっていた。


 田村はグラスを置き、両手を組んで視線を落とした。


「かと言ってな……フェスに来てる人間、誰だって前で見たいんだよ。推しを間近で感じたいのは当たり前だし、気持ちはわかる。だから余計に悩ましい。誰かが前に行けば、誰かが弾かれる。それをうまく回すのが“ローカルルール”なんだけどさ、守られないと結局、争いになる」


 一呼吸おいて、田村は小さく笑ってみせた。だがその笑みは、どこか寂しげだった。

「しかもな……ライブのマナーってやつも、昔とだいぶ変わっちまった。俺が若い頃は、サビになれば客席が一斉に歌って、それが一体感になってた。会場全体がひとつの楽器みたいでな。それが楽しかったんだ」


 洋介が「わかる!」と声を上げる。「あの時代は観客も演出の一部だったよな」


 田村はうなずく。

「だろ? でも今はどうだ。声出しただけで睨まれたり、後ろから“静かにしてくれませんか”って言われることすらある。コロナの影響で声出しが制限された時期があったのも確かだが……その名残が、未だに“声を出すのは迷惑”って空気になっちまってる。なんだかライブのノリまで監視されてるみたいで、息苦しいんだよ」


 沙希は腕を組み、難しい顔をした。

「それって……結局、自由とマナーの線引きがみんな違うからじゃない? 田村さんが言うみたいに“みんなで歌う”のが楽しい人もいれば、“聴きたいから静かにしてほしい”って人もいる。どっちも間違いじゃないから、余計にぶつかるんだと思う」


 良太が恐る恐る口を挟んだ。

「……でも、それって音楽の受け取り方が多様化した証拠でもあるんじゃないですか? 僕らの世代は逆に、あまり声を出さずに体を揺らして楽しむのが“自然”だったりするので……」


 舞は二人の意見を聞きながら、田村の横顔を見つめた。

「時代と一緒に“楽しみ方”も変わるってことなんだろうね。でも田村さんの言う“会場が一体になる感覚”って、確かに今じゃ貴重かもしれない」


 田村は肩を落とし、少しだけ苦笑した。

「……俺が古いだけかもな」


 洋介がすかさず首を振る。

「いや、それは違う。古いとかじゃなくて、俺たちが忘れちゃいけない“ライブの原点”を田村は知ってるんだよ。だからこそ、今の世代とどう折り合うかが課題なんだ」


 田村は仲間の言葉を聞き、ほんの少しだけ表情を和らげた。


 ──オフ会の空気は、ただの飲み会を超えて、世代と価値観を越えて“ファンとしての在り方”を語り合う場へと変わりつつあった。


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