第1話/ザ・ブルー・ライト・ジャンクション
登場人物(ファン編・世代別)
10代:新世代ファン
•山口舞(19歳・大学生)
•最新世代のオタク気質。アルバムを聴き漁り、ライブで偶然昔のファンと出会う
•三浦や遠藤と世代を超えた友情を築く
•小林悠(17歳・高校生)
•音楽系部活でギターを弾く。バンドに憧れ、コピーして腕を磨く
•SNSで情報収集し、他のファンとオンラインで交流
20~30代:青春期を共にした世代
•三浦亮太(32歳・会社員)
•高校時代からの熱狂的ファン
•仕事に追われながらも、ライブで青春を思い出す
•遠藤真希(28歳・フリーカメラマン)
•デビュー当時から追い続け、写真集を作る夢を持つ
•現場でファンと交流しつつ、バンドの裏側に迫る
40代:大人になった熱心なファン
•佐野健太(40歳・地方ラジオDJ)
•デビュー時から追い続け、ラジオで紹介してきた
•若手ファンに影響され、自分も初心を取り戻す
•藤原直樹(45歳・地方会社経営者)
•仕事と家庭の責任でファン活動は控えめ
•たまたま参加したライブで、若手ファンと再会し心を揺さぶられる
50~60代:バンドと共に歩んだ老舗ファン
•加藤京子(56歳・主婦)
•家庭と子育ての合間にずっとバンドを応援
•子どもを連れてライブに行き、世代を超えたファン交流の橋渡し役に
•田村秀雄(62歳・退職者)
•デビュー当時は学生で、全国ツアーを追いかけた熱烈な初期ファン
•現在もライブ参加を欠かさず、若手ファンの憧れの存在
BLJメンバー
1.ボーカル/朝倉 祐真(あさくら ゆうま・男性)
力強いハイトーンと荒削りなシャウトが特徴。カリスマ性があり、観客を惹き込むタイプ。
2.ギター/神谷 竜二(かみや りゅうじ・男性)
クールなリードギタリスト。フレーズは鋭いがMCは苦手。音で語るタイプ。
3.ベース/村瀬 剛士(むらせ つよし・男性)
どっしりとしたリズムを支える。裏方気質でメンバーからの信頼が厚い。
4.ドラム/白石 慎吾(しらいし しんご・男性)
明るいムードメーカー。ステージでも笑顔で叩き、観客を巻き込む。
5.キーボード/水城 玲奈(みずき れいな・女性)
唯一の女性メンバー。繊細な旋律と大胆なアレンジでバンドの音に厚みを与える。
渋谷駅ハチ公口のスクランブル交差点は、夕暮れを過ぎても人の波が途切れることはなかった。
その群衆の一角、青いツアーTシャツを着た人々が、同じ方向へ歩いていた。目的地は「渋谷公会堂」――いや、今は「LINE CUBE SHIBUYA」と呼ばれている場所だ。
1979年にデビューし、半世紀近く第一線を走り続けるモンスターバンド〈ザ・ブルーライト・ジャンクション〉。
その東京公演は、老若男女を問わず、世代を超えたファンたちを再び同じ場所へと集めていた。
十七歳の高校生・由佳は、初めて訪れる渋谷の熱気に圧倒されていた。
千葉の片田舎から電車に揺られてやってきた彼女にとって、バンドのライブは夢のような出来事だった。SNSで知り合った同世代のファンと待ち合わせしているが、胸の高鳴りは隠せない。
一方で、四十代の会社員・田中健一は、仕事帰りのスーツ姿のまま人混みに紛れていた。新宿のオフィス街から急いで駆けつけ、ネクタイを外しながら息を整える。学生時代から聴き続けてきたバンドを「今もなお」追えることが、彼のささやかな誇りだった。
さらに六十代の佐藤隆は、横浜から早めに到着していた。彼にとって渋谷は若き日の記憶と直結している街だ。七〇年代のロック喫茶や貸しレコード屋に通い、初期のブルーライト・ジャンクションを追いかけていた自分を思い出す。今では孫までいるが、当時の情熱はまだ胸に宿っていた。
開場前の広場で、三世代のファンは偶然出会う。
「初めてなんですか?」と佐藤が声をかけると、由佳は少し緊張しながらも笑顔を返す。
「はい! ずっと動画で見てて、今日やっと来られました!」
田中は苦笑しつつ頷いた。「羨ましいよ。俺は会社抜け出してきたから、明日怒られるかもしれない」
世代も立場も違う三人だったが、会話が進むにつれ、互いの距離は少しずつ縮まっていく。共通しているのは、半世紀近く鳴り続けるあのバンドへの愛だけだ。
やがて会場の扉が開き、照明がこぼれ出す。渋谷の夜に、歓声が波のように広がった。
ステージの幕が上がると、三人はそれぞれの位置から、同じ光景を目にする。
ギターの一音が鳴り響く瞬間、世代の壁など吹き飛ぶように、彼らの心は一つの音楽に結ばれていた。
渋谷・道玄坂の小さなカフェバー。
〈ブルーライト・ジャンクション〉のツアーファイナルを終えたばかりの街は、まだ熱狂の余韻でざわめいていた。公式SNSに流れた「ファン同士で語り合いませんか?」という告知に応じ、八人のファンがここに集まっていた。
世代も職業も違う八人は、初めて顔を合わせるはずなのに、妙な親近感を覚えていた。バンドが奏でた音楽の記憶が、すでに共通の言語になっていたからだ。
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山口舞(19歳・大学生)
「私、CDとかサブスクで曲を全部聴き漁って……。最初は、ただ“レトロなバンドかっこいい”くらいだったんです。でも、ライブを観て、本当に血が騒ぐ感じがして! 今日、皆さんと出会えてうれしいです」
オタク気質で早口になりながらも、舞の言葉には新鮮な熱があった。
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小林悠(17歳・高校生)
「僕はギター部でコピーしてます。『夜明けのストンプ』のリフを何度も練習して、指にマメができるくらい。まだまだ下手ですけど、いつかステージで弾きたいんです」
彼は真っ直ぐな瞳で語り、隣の舞がにっこりと頷いた。
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三浦亮太(32歳・会社員)
「高校のとき、クラスで流行っててね。あのイントロ聴くと、文化祭の準備の匂いまで蘇るんだよ。社会人になってライブから遠ざかってたけど、今日久しぶりに行ったら……青春が一気に戻ってきた」
彼は照れ笑いしながらグラスを傾けた。
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遠藤真希(28歳・フリーカメラマン)
「私はデビュー当時から写真を撮り続けてるんです。まだ駆け出しだけど、いつか公式写真集を出すのが夢で。ファン同士で交流できると、また違う瞬間を撮れる気がして」
カメラを抱えた彼女の目は、ステージを追うレンズのように鋭かった。
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佐野健太(40歳・ラジオDJ)
「俺はラジオで彼らの曲を流してきたんだ。もう二十年以上。だけど最近、初心を忘れてた気がしてね。今日、若い子らの熱を浴びたら、またマイクの前で叫びたくなった」
彼は声に抑揚をつけながら話し、さすがは放送人と皆をうならせた。
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藤原直樹(45歳・会社経営者)
「正直、最近は音楽から離れてたんです。仕事と家庭で手一杯で……。でも、今日たまたま招待されて、昔の気持ちを思い出しました。高校の時に初めて聴いたあの衝撃をね」
彼の言葉は静かだったが、胸の奥から響くものがあった。
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加藤京子(56歳・主婦)
「私はずっと、子どもを連れてライブに通ってきました。だから、この音楽は“家族の思い出”なんです。世代を超えて応援できるのが、このバンドのすごさだと思います」
彼女は母親らしい柔らかな笑みを浮かべ、若い二人を優しく見守った。
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田村秀雄(62歳・退職者)
「俺はデビューの頃から。1979年の新宿ロフトにも行ったよ。全国ツアーを夜行列車で追いかけてな。気がつけばもう六十代。だが、いまだに“初期ファン”って呼ばれると誇らしいんだ」
彼は豪快に笑い、皆の尊敬のまなざしを受けた。
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八人は、次々と自分の物語を語った。
それぞれの人生に寄り添ってきた〈ブルーライト・ジャンクション〉の曲が、思い出とともに蘇っていく。
やがて、舞がぽつりと言った。
「……世代が違うのに、同じ音楽でつながってるんですね」
言葉に、誰もが深く頷いた。
渋谷の夜は更けていく。だが、この出会いが新しい物語の始まりになることを、全員が感じていた。
田村秀雄は、渋谷のカフェバーに集まった八人をゆっくり見回した。
年齢も職業もばらばらのファンたち。けれど、自分の言葉にみんなが耳を傾けてくれることを、田村は直感していた。ここに集まった者たちにとって、〈ブルーライト・ジャンクション〉はただのバンドではない。人生の一部であり、時代を共に歩んできた証人なのだ。
彼は軽く咳払いし、静かに語り始めた。
「俺がBLJを初めて聴いたのは、1979年の暮れだ。当時は高校二年生だった。ちょうど受験勉強に本腰を入れろと言われていた頃でな、親には『勉強しろ』って小言ばかり言われていた。だけど、あの頃の俺の頭を支配していたのは、参考書でも受験でもなく、音楽だったんだ」
田村の目は遠くを見つめるように細められた。
「渋谷のレコード屋でね。たまたま立ち寄ったら、店の隅に小さなポップが貼ってあって、『新世代ジャズロック! 日本にこんなサウンドが!?』って書いてあった。ジャケットには、トランペットを掲げるシルエットが印象的に描かれていた。……その瞬間、何かに呼ばれるように手に取ってたよ」
八人のうち最年少の小林悠が、興味津々に前のめりになる。
「それが、デビューシングルですか?」
田村はうなずき、嬉しそうに笑った。
「ああ、そうだ。『シティ・ナイト・ランナー』。表題曲を聴いたときは、まるで異国の街を走り抜けるような気分になった。ホーンが轟いて、リズムが跳ねて、ヴォーカルが魂を揺さぶる……。一瞬で、俺は虜になった」
彼はゆっくりグラスを持ち上げた。
「で、そのすぐあとだ。ラジオで“今度、渋谷屋根裏でライブがある”って告知を耳にしてな。いても立ってもいられなくなって、友達を無理やり誘った。チケット代は千円札一枚とちょっと。今思えば、時代だよな」
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田村は語りながら、まるでその夜の渋谷に自分が戻っていくような感覚を覚えた。
「ライブハウスに入った瞬間、湿気とタバコとビールの匂いが混ざった空気に包まれた。小さなステージには、まだ楽器のセッティングが置かれてるだけ。客席もぎゅうぎゅう詰めで、息苦しいくらいだった」
彼は目を閉じ、音を思い出すように声を震わせた。
「そして、照明が落ちて、ドラムのスティックがカウントを刻んだ瞬間……世界がひっくり返った。ホーンセクションが一斉に鳴り響いて、ギターが火花を散らして、ヴォーカルがシャウトした。あの衝撃は、一生忘れられない」
彼の言葉に、舞が感嘆の声を漏らす。
「いいなぁ……その場にいられたなんて、奇跡じゃないですか!」
田村は頷いた。
「そうだな。あの夜の衝撃は、俺にとっての青春そのものだ。バンドの音に背中を押されて、“俺も何かをやらなきゃ”って本気で思った。翌日、学校で『昨日ライブ行ったんだ』って話したら、誰も信じちゃくれなかったけどな」
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彼は少し身を乗り出して続けた。
「で、ほどなくしてだ。音楽雑誌の小さな記事に、『ブルーライト・ジャンクション 公式ファンクラブ設立! スタッフ兼会員募集』って告知が出たんだよ。今みたいにネットもSNSもない。告知は雑誌とラジオ、あとはライブ会場のチラシくらいしかなかった」
田村は、当時の自分の心境を思い返すように笑った。
「記事を見た瞬間、血が騒いだ。“これはチャンスだ。彼らをもっと近くで見たい”ってな。まだファンクラブというものがどういう存在なのかも分かってなかった。ただ、好きな気持ちだけで応募用紙を書いたんだ。住所と名前と、なぜ入りたいのかを必死で書いてさ」
ここで、藤原直樹が興味深そうに口を挟んだ。
「え、スタッフ募集って……バイトみたいなものだったんですか?」
田村は首を横に振った。
「いや、そんな大げさなもんじゃない。ただの有志だよ。会員証を配布する封筒詰めとか、会報をホチキスで綴じるとか。事務所の片隅で、スタッフと一緒に作業するだけだ。でも、それがたまらなく嬉しかった。だって、バンドの名前が印刷された会報を自分の手で綴じて、それが全国のファンに届くんだからな」
彼は誇らしげに続ける。
「会員番号は013番。二桁だぞ。当時の俺はただの高校生だったけど、それを手にしたときは震えたよ。今じゃ会員数は十万人を超えてるらしい。番号を見せると、“本物だ”って驚かれるんだ」
「メンバーとの距離……ああ、あれは本当に特別なものだったな」
田村はグラスをゆっくり置き、遠くを見つめるように語り始めた。彼がBLJの公式ファンクラブスタッフとなったのはデビューから間もないころ、まだ十代後半の高校生だった。会員番号は013番。誰もが手探りで活動していた時代だ。
「最初のころは、ほとんど毎日が新しい発見の連続だった。スタジオに入ると、まず朝倉祐真が控室でマイクの調整をしていた。荒削りだけど、音楽に対する純粋な情熱が全身から伝わってきた。俺たちスタッフが何か手伝おうとすると、少し困った顔をするんだけど、決して無視はしない。『ありがとう』って、小さな声で言ってくれるんだ」
神谷竜二は対照的だった。口数は少ないが、ギターを手にするとまるで別人のように音で語り出す。田村はその演奏に何度も息をのんだ。神谷の指先が弦を弾くたびに、心の中で音符が跳ねる感覚。言葉を交わさなくても、音楽で会話している気がした。
「村瀬剛士はいつも落ち着いていた。控えめだけど、バンドの縁の下を支える男だったな。運搬や機材のセッティングも、彼がいなきゃどうにもならなかった。俺たちが慌てていると、静かに手を差し伸べてくれる。信頼感は絶大だった」
白石慎吾はまるで太陽のようだった。どんなに疲れていても、笑顔を絶やさず、控室では冗談を飛ばして雰囲気を和ませる。ライブ中は観客を煽り、ステージの熱をそのまま客席に伝える。田村は何度も、あの笑顔に救われたと言っても過言ではなかった。
そして、水城玲奈。唯一の女性メンバーである彼女は、華やかな存在感と冷静さを兼ね備えていた。ステージ上では鍵盤の旋律を自在に操り、控室では静かに僕たちスタッフの作業を見守る。声をかければ柔らかく答えてくれるが、誰にでも心を開くわけではない。だからこそ、一緒に作業したり雑談できる時間は、田村にとって特別なものだった。
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「スタジオや事務所で過ごす時間は、今思えば非日常の連続だった。朝、スタジオに向かうと神谷がすでにギターを弾いていて、音の隙間に白石のリズムが重なり、玲奈の鍵盤がアクセントをつける。その空間に朝倉が声を乗せると、五人の音が一体となる。俺たちはただ黙って見守るだけで、胸が震えた」
「休憩時間になると、メンバーと軽い雑談を交わすこともあった。白石はお菓子を持ち込んでスタッフに配り、村瀬は静かに笑う。神谷は相変わらず言葉少なだが、目の奥に温かさが宿っている。朝倉はどこか子どもっぽい一面も見せて、玲奈は微笑みながらも手際よく作業を進める。その光景を見ているだけで、あの頃の俺は幸せだった」
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「ライブ前、楽屋で機材のトラブルがあったこともあった。照明が一部点かず、音響も不安定。スタッフの俺はパニック寸前だったが、村瀬が静かに指示を出し、白石が笑いながら場を和ませ、神谷がギターの調整をして音のバランスを取った。玲奈は冷静に手伝い、朝倉は『大丈夫、任せろ』と笑ってくれた。その瞬間、俺はこのバンドのためなら何だってできると心に誓った」
「打ち上げも特別だったな。地方ツアーでは、バスの中でギターやドラムのセッションが始まることもあった。神谷のフレーズに白石がリズムを合わせ、玲奈が鍵盤で彩りを添える。朝倉は歌詞を口ずさみ、村瀬は黙って微笑む。俺たちスタッフも一緒になって手拍子を打つ。まるで小さな音楽村だった」
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田村はグラスを指で転がしながら語る。「あの頃の距離感は、今じゃ絶対に体験できないものだ。近すぎず遠すぎず。メンバーと一緒に笑い、音楽を作り、苦労を共有する日々。彼らは決して親しい友人ではないが、遠くもない。『特別な存在』として存在していたんだ」
「俺にとって、あの距離感は安心感でもあり、緊張感でもあった。ステージで全力を出す彼らを見て、スタッフとして手を抜ける瞬間は一度もなかった。メンバーと過ごす時間が、すべて試練であり喜びでもあった」
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「何よりも感動したのは、音楽を通じて互いを理解できたことだ。言葉に頼らず、音で意思を通わせることもあった。神谷がギターでフレーズを弾き、白石がリズムを変え、玲奈が即興でコードを入れる。その微妙な調整で、朝倉が歌いやすい空間を作る。スタッフの俺は、ただその呼吸を感じて手を動かす。音楽が、言葉以上の絆を生む瞬間だった」
田村の目は遠くを見つめ、淡い光を帯びている。「あの距離感があったからこそ、俺はBLJを心から支えられた。近すぎず遠すぎず、敬意と愛情の間で揺れる日々……それが黎明期のメンバーとの距離だった」
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八人のファンたちは静かに聞き入った。年齢も世代も違うが、田村の語る“黎明期の距離感”には普遍的な感情が宿っていた。尊敬と信頼、緊張と喜び、遠すぎず近すぎず……その微妙なバランスが、BLJというバンドとファンの関係性の原点を象徴していた。
「今のライブでは決して味わえない距離感だ」と舞が呟き、悠が小さく頷く。三浦と遠藤も、田村が語った時間の厚みを感じ取りながら、それぞれの青春時代と重ね合わせていた。
田村秀雄はグラスを指先でくるくると転がしながら、遠くを見つめるようにゆっくり語り始めた。BLJがデビューして間もない頃、まだ十代後半の自分にとって、公式ファンクラブのスタッフとしてメンバーたちと日常的に顔を合わせることは、非日常であり、胸を高鳴らせる特別な時間の連続だった。会員番号013番として任された役割は多岐にわたり、ニュースレターや会報誌の作成、イベント告知、ライブ会場での整理、パンフレット配布、そしてファンからの問い合わせ対応にまで及んだが、それらすべてが楽しく、喜びに満ちた日々だった。
全国ツアーの準備は常に慌ただしかった。スタジオでは朝倉祐真が何度もセットリストを口ずさみながらギターのフレーズを確認し、神谷竜二が淡々と音響チェックを繰り返し、白石慎吾は控室でリズムや体調を確認し、村瀬剛士はトラブル対応に専念、玲奈は鍵盤の準備や楽曲構成を頭の中で緻密に再現していた。自分はスタッフとして、彼らが演奏に集中できる環境を整えることに全力を注いだ。
ツアーバスの狭い空間では、即興セッションが自然に始まることもあった。神谷のギターに白石のリズムが絡み、玲奈の鍵盤が彩りを加え、朝倉の歌声が静かに車内を包む。村瀬は静かに見守り、スタッフである自分も手拍子や口ずさみで参加する。その瞬間、バスの中は小さな音楽村となり、胸の奥から喜びが溢れた。
ツアーの合間のスタジオや事務所での日常も特別だった。近すぎず、遠すぎず、絶妙な距離感があった。朝倉が「手伝ってくれるか?」と声をかければすぐに応じ、神谷は言葉少なでも目で意思を伝え、白石は冗談で場を和ませ、村瀬は静かにフォローし、玲奈は優雅に作業を進めつつ手を貸してくれる。そのバランスが、スタッフとしての責任感と喜びを同時に抱かせてくれた。
ファンクラブ活動はさらに格別だった。会報誌やニュースレターを作るためにメンバーの話に耳を傾け、イベントの準備で相談に乗る日々は、音楽とファンをつなぐ架け橋であり、田村にとってかけがえのない時間だった。ライブ前のステージ設営では、照明や音響の不具合に対処しながら、メンバーの集中した顔や、時折交わされる冗談の笑い声を間近で感じ、緊張と和みが混じる空気を肌で覚えた。控室でのやり取りや、移動中のバスでの即興セッション、地方公演での小さなハプニングや打ち上げでの雑談のひとつひとつが、黎明期のBLJとの距離感を丁寧に作り上げていた。
尊敬と信頼、親しさと敬意、責任感と喜び――その微妙なバランスが、スタッフでありファンである自分を夢中にさせ、音楽を通じて互いの意思を共有する喜びを何度も感じさせてくれた。ライブが始まれば、ステージ上の音と客席の歓声が一体となり、メンバーとスタッフ、そしてファンすべてがひとつになる瞬間が訪れる。その高揚感こそ、黎明期のBLJファン活動の醍醐味であり、日常と非日常が交錯する特別な時間だった。
八人のファンたちは静かに聞き入り、世代を超えた時間の厚みを感じ取った。田村が語る日常と非日常の交錯、努力と喜びの連鎖、そして音楽と絆の織り成す空間は、単なる昔話ではなく、BLJというモンスターバンドの黎明期の歴史そのものを体現する貴重な証言だった。彼の声の抑揚、指先の動き、そして瞳の奥に滲む熱量は、聞く者の心に当時の空気と興奮を鮮やかに蘇らせた。