ミッション2『出逢った2人、似た者同士』
クラシカルな雰囲気のバー。上品で格式高いそこには、紳士淑女しかいない。それは、店側の選別によるものではなく、雰囲気や価格、立ち振る舞いから、勝手に選ばれていくのだ。だが、その中でも、一際異彩を放つ存在がいた。かなり露出度の高い服装で、妖艶な雰囲気を放つ、黒髪ロングの女性。一見すれば、このバーに相応しくない、淑女らしくない装いに見えるが、なぜか、雰囲気に反発することなく溶け込んでいる。彼女の名は『魅咲レノン(みさきれのん)』。『天才』の1人であり、『魅了』という能力を持つ。レノンは、このバーを“反天才主義社会組織『ナウノッズ』”の情報収集や、狩場として利用している。それは、彼女がバーの『マスター』と長い付き合いであることが大きな要因である。約10年前、レノンは酷く荒んでいた。彼女は16歳になっても、上手く能力を制御できずにいたのだ。誰彼関係なく『魅了』してしまうそれは、興味ない男共を勝手に引き寄せ、それを見た女共からは『売女』『淫女』等のやっかみを浴びせられた。それで、色んなことが嫌になって一層キラキラしていた繁華街を彷徨っていたとき、偶然このバーに出会い、何となく扉を開いたことが始まりだった。マスターは、特に何を言うでもなくコーヒーを出してくれて、ただただ黙っていた。その雰囲気、空間のどれもが、どうしようもなく、疲れ切っていた心に沁み渡り、いつの間にか泣きながら、溜め込んでいたものを吐き出していた。それから、彼女はこのバーに通い続けた。だが、通っていく中で、自身がこのバーの空間に合っていないように感じ始めた。マスターからは特に何も言われていないが、周りの視線はどことなく生暖かい。だから、この雰囲気に合うような人間になってやろうと思った。それから、彼女は死ぬ程努力した。外面的な美しさもそうだが、内面も磨いた。すると、いつの間にか能力を制御できるようになっていた。きっと、“何があっても揺らがない精神の軸を持つこと”、それが必要だったのだろうと、今の彼女は結論付けている。
「…ほんと、マスターの出すコーヒーは、いつまで経っても苦いわね。」
レノンはそう言って、苦そうな表情をする。それを見たマスターはニヤリと笑うと、
「だったら、他所のバーに行けばいいじゃねぇか。」
その言葉を聞くと、レノンは訝しげな顔をしたのち、
「…酷い人。ここ以外に行ける場所なんて無いの、知ってくるくせに。」
と、少し寂しそうにぼやく。
「…あのときの、荒んでたお前とは随分違うだろ?年齢的も、精神的にも、立場的にも、思考的にも、お前が行こうと思えば、何処へだって翔けるはずだ。」
マスターは、冗談っぽく、それでも、レノンの心の奥底の何かを見透かし、案ずるように言う。
「…色々と分かって言ってるでしょう?…本当に、酷い人。」
マスターは、紳士らしい笑いを浮かべると、
「…そりゃあ、な。…だからこそ、1つだけ忠告しておく。」
マスターの表情が、いつになく真剣なものとなる。
「…大切なものは、失って初めてその重さに気づき、死ぬ程後悔する。…だから、思ってること、言いたいことは、言えるうちに言っとけよ。」
その言葉に、レノンは少し笑うと、
「…なんか、お父さんみたいね。」
と、ふざけたように言う。それに対し、マスターはもう一度笑うと、
「血こそ繋がってねぇが、10年もいりゃ家族見たいなもんだろ。」
と、言う。
…人に疲れて、人と関わるのが臆病になってしまった彼女の心は、どれだけ強くなっても、変われないままだ。
心地良い夜を過ごし、そろそろ帰宅しようとしたとき、バーの扉が軽い音で重々しく開く。レノンは当然の如くそちらに目線を向ける。このバーに来て10年程度経過しているため、余程の一見さんでない限り知り合いではあるのだが、全く見たことがない。それに、
(…このバーに似つかわしくない、清潔感皆無な服装。髪や肌の手入れも疎かだし、何より、雰囲気に違和感がありすぎる。)
雲を掴もうとしているような、得体の知れない雰囲気を、レノンは感じる。ここは彼女の狩場だ。そんな人間を見過ごす訳にはいかない。レノンは、艶やかな歩みで男に近寄る。そして、カウンターに腰を置いて、話しかける。
「…初めまして。アタシは魅咲レノン。失礼だけど、貴方もしかしてここ、初めて?」
と、話しかけた次の瞬間、男の手がレノンに襲いかかる。だが、恐らく奇襲であろうそれは、レノンが逆にカウンターに押さえつけることで意味を無くす。男はカウンターに押さえつけられながら、苦しそうに言う。
「…テメェ。もしかして、『ノッズスレイヤー』の1人か!」
その言葉に対し、レノンは呆れたような表情をして、押さえつける力を強める。
「…名を名乗らない、質問に質問で返す、口の利き方がなってない、女性をテメェ呼び。それでいて、女性に簡単に押さえつけられる程鈍く、弱い。…外面も強さもまだまだなら、せめて立ち居振る舞いくらいここに見合うようにしてもらえるかしら?」
そう言うと、男は暴れ出す。
「ウゼェ…!離しやがれッ!ぶっ殺してやる!」
男がそう吐き捨てるのを、レノンは冷めた目で見る。
「…貴方、本気で“そう”思ってるの?」
と冷たく言い、拳銃の銃口を頭に突きつける。男は、
「は?」
と、一切の感情が感じられない声色で言葉を吐く。
「…気になってたのよ、色々と。でも、分かった。貴方…本当は“何もない”んじゃないかしら?」
そう言うと、男は息をのむ。
「貴方の得体の知れない雰囲気、何も感じられない目、初めて面白いものを手にした赤ちゃんのように感情を暴れ回らせる姿。…貴方、“大事なもの”を捨てて、何を手にしたかったの?」
そうレノンが尋ねるが、男はそれに答えることなく呟く。
「『位相反転』」
次の瞬間、レノンと男の位置が入れ替わる。だが、入れ替わったのは位置のみで、それ以外はそのままである。レノンは苦しそうな表情をしながら、顔を前に向ける。
「…あら、何か、気にさわっちゃった、かしら?」
そうレノンは意図的に煽るが、男の表情は変わらない。
「…俺が“大事なもの”を捨てたなんて、よく分かったな。…そうだよ。捨てたよ………“記憶”を。…『反野』、それが、唯一残ってた俺であることの証明だ。…何のために“それ”を捨てたのか、だったか?…それも分かんないんだよ。…だから、空っぽの中に残ってた感情の『怒り』を振るえば、何か分かるかと思ったんだ。…まぁ、見透かされちゃ、意味ないがな。」
彼の言葉は日本語で、人間が放つよく知っているものなはずなのに、感情がこもっていないだけで、酷く違和感がある。
「…まぁ、アタシも、方向は違えど、“嘘つき”だからね。似た者同士、何となく分かる、のよ。」
レノンの言葉に、反野は、
「…確かに、俺は嘘つきかもな。…でも、お前も嘘つきなんだな。」
と言う。その言葉に対し、レノンは目を伏せつつ、
「…嫌だけど、人には吐き出せって言いながら、アタシ自身は、どうしても吐き出せない。“誰にだって言えないことの1つ2つはある”って良いように言うけど、言えない方は、罪悪感が積もっていくだけ。…ほんと、最悪。」
と、吐き出すように呟く。それに対し反野は、心底疑問のような表情で言う。
「…よく分からないが、言うほど最悪なことか?それ。」
その言葉に、レノンは心底から驚きの表情を浮かべる。
「…別に良いだろ。言いたくない、言えないから言わないだけだろ?無理して話したって、双方辛いだけだ。責任感じるくらいなら、いっそのこと開き直っちまえよ。お前の人生、疲れるために生きてるわけじゃないんだろ?」
と、嘘偽りない様子で当然の如く言う。
(…気持ち悪いわね。)
何も知らないくせに、分かったような口を聞いてくる。でも、それがきっと“求めていた言葉”なんだろうとも思う。体のいい“逃げてもいい”という言葉が、酷く自身を“魅了”する。…けれど、
「…確かにアタシ達は似た者同士だわ。でも、違う。」
すると突然、反野が足を押さえ苦しみ始める。足からは血が流れ出しており、そこには幾つもの弾痕がある。レノンは、解放された上半身を起こし、逃れていた片方の腕に持っていた拳銃を回して言う。
「貴方は目的の為に全てを捨てた。だけど、アタシは、思い出も、『家族』も、全てを抱えたまま、守るべき存在を守る為に戦う。…アタシはもう、揺らぐわけにはいかないの。」
幼く、荒んでいた彼女はもういない。臆病なのは変われないけれど、それでも、強くなった。
「…それに、“魅了”はアタシの専売特許よ。」
そう言って、彼女は微笑む。それを見て、反野は『怒り』を表に出しながら、血濡れた手で再びレノンに掴み掛かろうとする。しかし、彼女の前にマスターが立ち塞がると、
『これ以上何をしようと、お前に勝ち目はねぇよ。現実逃避で寝ちまいな。』
と、“目を赤く光らせて”言う。次の瞬間、反野は突如目を閉じて、気絶するように倒れる。その光景を、レノンは黙って見届けた後、胡乱げな目でマスターを見る。
「…お得意の『睡眠』ね。…本当に怖いわね。でも、多分こっち預かりにしないとミオちゃんに叱られるから、コレはこっちで処理するわね。」
そう言うと、マスターは目を赤くしたまま、
「あぁ、いいぞ。こんなの放っておかれても迷惑だからな。俺がどうにかしているうちにさっさと済ませてくれ。」
と言う。レノンはそれに頷き、ミオに連絡すると、すぐさま輸送部隊が現れ、反野を連れて行く。それと同時に、レノンも挨拶をした後、バーを出る。
レノンは、深い闇が覆う公園のベンチに、1人ぽつんと座っていた。そのままアジトに帰ろうとも思ったが、色々ぐちゃぐちゃになったものを整理したくなり、近くの公園に行くことにしたのだ。
『…別に良いだろ。言いたくない、言えないから言わないだけだろ?』
『お前の人生、疲れるために生きてるわけじゃないんだろ?』
(…鬱陶しいわね。)
似た者同士だが、違う。…いや、違っていなきゃいけない。そう頭では理解しているのに、どうしようもなく心がモヤモヤする。
(…アタシは絶対に捨てない。でも、どうしようもなく、ただ、)
「…疲れて、楽になりたいなって、思ってるのも事実。」
嘘吐きは、本当に最悪だ。自分も周りも傷つけて、誰も幸せになんてなれないのに。でも、言えないのなら、嘘吐きであり続けるしかない。
(…いっそのこと、何にも感じなくなってしまえば、いいんだけれど。)
人間だから、それができないということも、頭では分かっているのだ。晴れないモヤモヤに苦しんでいるレノンの目の前に、突然サイダーが現れる。レノンが目線を上に向けると、灰色のハットに灰色の髭を生やした、強面なおじいちゃんがいた。
「こんなところにいちゃあ、風邪ひきますよ、レノンさん。」
そう言って、柔和に笑うおじいちゃんは、名を『暴烈サブロウ(あばれさぶろう)』という。
「…あら、わざわざありがとうございます。確かに、夜風が寒くなってきましたね。ささ、一緒にアジトに戻りましょうか。」
と言って、立とうとする彼女に、サブロウは自分の上着を着せる。それに感謝を述べようとすると、サブロウが呟く。
「…迷うことは、悪いことではありませんよ。」
その言葉に対し、レノンは驚きの表情を浮かべ、サブロウを見る。
「…何となくですが、今のレノンさんは、迷っているように見える。それでいて、そんな自分を強く“憎んでいる”。」
その言葉を聞いて、レノンは俯くことしかできない。どうしてこうも、周りは自身のことを見透かすのか。
「…確かに、迷うことは苦しい。選択する中で“できない自分”を見つめることになるから。…でもね、そんな自分を怒る必要は無いんですよ?…分からないから、探すんです。そして、今より強い自分になりたいから、選ぼうとするんです。だったら、そうやって頑張っている自分を褒めてあげなさい。…ゆっくりでいいんですよ、答えを出すのは。最後の最後に、しっかり選ぶことができるのなら、その過程の時間はどうであってもいいんです。」
と言うと、サブロウはレノンの頭を撫でる。
「…貴女は本当に偉い。苦しいくて、逃げ出したくなるはずなのに、それに立ち向かえる貴女は十分強いです。…だからこそ、今よりも強くなろうとする貴女に、これだけは覚えておいて欲しい。」
サブロウは、両手をレノンの肩に乗せて、真剣な眼差しで言う。
「我々が居ますよ。…今は別に言えなくても構いません。ただ、我々は、絶対に貴女の味方だ。…だから、“独りぼっち”なんて、更に自分を苦しめようとしなくていいんですからね。…これが、我々が貴女に伝えたい言葉です。」
レノンの目から、涙がこぼれ落ちる。そして、それはとめどない。
(…なんて、温かいの…?)
ずっと苦しかった。ようやく見つけた居場所に縋って、強くなろうとして、無理して。強くはなれたけど、嘘吐きになって。…勝手に、嘘吐きな自分は独りにしかなれないって、思い込んで。
(…あぁ、懐かしいな。)
マスターと初めて出会った頃のような、温かく包み込んでくれるような感じがする。その空気に力を借りて、溜め込んでいたものを吐き出そうと口を開く。
『家族の似顔絵を見て欲しい?そんなどうでもいいこと、お母さんにでも話してくれよ。…仕事で疲れてんだ、こっちは。』
(…………あぁ…………。)
『あんたがお父さんに話しかけるせいで、私まで怒られちゃったじゃない!テストで満点をとっただとか、部活で賞を取っただとか、そんなくだらないこと、いちいち報告してこないで!』
(…………あぁ………あ………。)
『魅咲さんは、本当に優秀ですね。あの不良共にも、見習って欲しいものですよ。…魅咲さんだけは、先生のこと失望させないですよね?』
(…………ダメだ…………。)
『アンタさぁ、ちゃんと仕事してくれる?学級委員長なんだから、これくらいのこと、テキパキやってもらわないと困るんだけど。…ほんと、使えない。』
(……………本当のこと、言ったら………また、)
(失っちゃう…。)
「…ちょっとジジくさい説教みたくなってしまいましたね。…しかも、勢い余って頭や肩に触ってしまい、申し訳ない。」
そう頭を下げて詫びるサブロウに対し、レノンは笑顔で言う。
「いえいえ!ありがとうございます。サブロウさんのおかげで、気分が楽になりました。…さ、アジトに帰りましょう。」
そう言って、レノンは歩き出す。
『いっそのこと開き直っちまえよ。』
(…もう、失いたくない。あの温かさが、アタシから離れて行かないようにする為だったら、心を殺して、嘘を吐き続けてやるわ。…アイツの甘言に乗るみたいで癪だけど、アイツみたくは絶対に、ならないから。)
ジレンマは続く。苦しみは長く。どこまでも独りを駆り立ててくるそれは、1つの決意を生み出した。その暗く強い背中を、サブロウは悲しげな目で見つめるのだった。
また1人、彼を取り押さえようとしていた男が倒れる。茶色のハットを被り、茶色のロングコートに杖を持った男性の周りには、輸送部隊の人間が全員倒れていた。『ナウノッズ』の研究長、『ハカセ』と呼ばれるその男は、部隊の人間から、眠っている反野を取り上げると、姫抱きをして歩き出す。
『…困りますよ。彼は私の大事な“実験体(息子)”なんですから。』