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勇者が掃除をする理由

作者: 木里 いつき


夫である勇者ーーランスロットが魔法の絨毯を雑巾にしている。


あの絨毯だ。

魔王の城へと私たちを運び、空を舞った魔法の絨毯。

色褪せた緋色の文様が風に揺れ、私たちの旅を見守った。

今、その絨毯が彼の手の中で床の汚れを拭っている。

寝室の木目の間に染み込んだ埃を、まるで何でもない布切れのように擦り取っているのだ。 


吐き気がする。

胃の底から込み上げる嫌悪感に、私は耐えきれず目を逸らした。

窓の外では、王都の春風が穏やかに木々を揺らし、民の笑い声が遠くに響いている。


平和だ。

魔王が倒れ、私たちが英雄として帰還してから二年。

この王国に再び光が戻ったと、皆が言う。

なのに、私の胸の中は未だ暗いままなのだ。


「何だ、その顔は」

ランスロットが顔を上げた。

輝く金髪が汗で額に張り付き、青い瞳が私を捉える。

垂れた目尻がクシャッと歪み、彼らしい笑顔が浮かんだ。

世の女性なら誰でも虜になるその笑顔が、今は私を苛立たせるだけだった。

私は白銀の髪をかき上げ、彼を睨んだ。


「その絨毯、ただの布じゃないでしょう?」

「今は布だよ」 


彼は絨毯を軽く振って見せた。

埃が舞い、私は咳き込んで一歩下がった。

ランスロットは笑顔を消し、再び床を拭き始めた。

ゴシゴシと力強く、まるでそこに何か憎むべき敵が潜んでいるかのように。

筋肉質な腕が動き、汗が床に滴る。

私は唇を噛み、言葉を探した。  



私は知っている。私は聖女ではない。



本物の聖女はーーマリアだ。

栗毛に茶色の瞳を持つ、あの可憐な奴隷娘。

私は公爵令嬢クリスティーネとして、彼女を陥れ、社交界から追放し、聖女の地位を奪った。


マリアがランスロットと婚約していた頃、私は彼女を侮辱し、貴族のマナーを知らないと嘲笑い、葬式用の白い花を贈りつけた。


あの屈辱で彼女は耐えきれなくなり、王都を去ったのだ。

私はその隙に聖女の座に収まり、国益のためにランスロットと結婚した。

王国は私に命じた。「勇者を繋ぎとめなさい」と。


なのに、彼はこんなことをしている。

絨毯を雑巾にし、汗を流して床を拭くなんて。


「おや、聖女様」


部屋の隅から声がした。お付の老婆が、皺だらけの手で箒を握り、私を見上げていた。

彼女は私の影のように付き従う。

王宮から遣わされたこの老女は、いつも無言で私の世話を焼き、時折不可解な言葉を呟く。


「絨毯は罪を吸うよ」


老婆が言った。

かすれた声が部屋に響き、私は息を呑んだ。


「罪を吸う?」


私は眉をひそめた。

老婆は頷き、箒をゆっくり動かしながら続けた。


「聖女様から発された穢れを清めておられるのだ。あの勇者は、知っておいでだよ」


私は目を瞬かせた。

老婆の言葉が頭の中で反響し、吐き気が一瞬引いた。



なるほど、と私は思った。

この絨毯があるから、私が聖女でいられるわけね。




その夜、私は眠れなかった。

ベッドの中で目を閉じても、心がざわつき、暗闇の中で私の罪が顔を覗かせる。


「私は聖女じゃない。偽物だ」と、頭の中で何度も、何度も呟く。

マリアを陥れたあの瞬間、王都の貴族たちが見守る中で彼女を嘲笑った自分の声が、今も耳に残っていた。


王国に命じられた結婚だって、私の意志じゃない。「お前が聖女になり、勇者を繋ぎとめなさい」と冷たく言い渡されたあの日の公爵父の目が、私の自由を奪った鎖のようだった。


「クリスティーネ、お前には選択肢はない。この結婚は国のためだ。お前の罪は私が預かる」

と父は言った。

私はただ頷くしかなかった。


聖女の地位も、勇者の妻という役割も、私が選んだものじゃない。なのに、この重圧に押し潰されそうになるたび、心の中で叫んでしまう。「私だって自由に生きたかった!」


でも、そんな叫びは誰にも届かない。

王都の民は私を英雄と讃え、笑顔で手を振るけれど、その裏で私は偽りの仮面をかぶった囚人でしかない。

絨毯を見つめるたび思う。

あれが私の罪を吸ってくれているなら、なぜこんなに苦しいの?


私はベッドから起き上がり、絨毯に近づく。


指先で触れると、かすかに温かく、微かな震えを感じた。



罪を吸う、か。

私の罪……。

マリアを陥れたことか、それとも聖女の名を騙ることか。


私は目を閉じ、マリアの顔を思い出した。

彼女の茶色の瞳が涙に濡れ、私を見つめたあの瞬間を。

あの時、彼女は私に何かを言おうとしたが、結局何も言わず王都を去った。

私は勝ち誇った気でいた。

だが今、胸が締め付けられる。



翌朝、ランスロットと市場へ出かけた。

私を誘う彼の笑顔に、私は無言で頷く。

王都の市場は賑わい、春の陽光が石畳を照らす。


翌朝、ランスロットと市場へ出かけた。

彼が「一緒に行こう」と笑顔で誘ってきた時、私は無言で頷くしかなかった。断る自由すらない。


王宮からの監視の目が、老婆を通して私を縛っている。「聖女としての務めを果たせ」と毎日のように耳元で囁かれている気がする。私は彼の妻でありながら、まるで道具だ。


「クリスティーネ、もっと笑えよ。聖女なんだからさ」

ランスロットが冗談めかして言うたびに、心がチクりと痛む。


「聖女じゃないよ。私、偽物なんだから」と喉まで出かかるけど、飲み込む。



笑顔を作ることさえ、私には罰なんだ。



王都の春風が穏やかに吹き、民の笑い声が響く中、私だけが凍りついたままだ。


ランスロットは果物を手に取り、売り子と話して笑いながら値切り、私にりんごを差し出した。



「食べて。顔色が悪い」


彼の青い瞳が優しく私を見下ろす。

私はりんごを受け取り、皮を剥く彼の手を見つめた。

筋肉質な腕、剣を握っていたとは思えないほど穏やかな動き。私は小さく息をついた。


「ランスロット、あの絨毯のことだけど」

「ん?」


彼は顔を上げ、困ったように笑った。

「やっぱり気になるか?」

「気になるですって?あれはただの布じゃない。旅の絨毯。私たちを魔王の城まで運んだ名誉ある魔道具なのよ」


ランスロットは黙り、りんごをかじる。

果汁が彼の顎を伝い、私は目を逸らした。

彼はしばらく黙って歩き、やがて口を開く。


「貴女が聖女でいるために必要だ。あれは俺にとっても、ただの布じゃない。貴女を清める道具だ」


私は立ち止まった。

市場の喧騒が遠ざかり、彼の言葉だけが耳に残った。

「清める? 私の何を?」

ランスロットは振り返り、私をまっすぐ見つめた。青い瞳に影が差す。


「貴女が背負ってるものだ、全部。知っているんだ。」

心臓が跳ねた。眉は釣り上がり、私のエメラルドの瞳が燃え上がる。


「何を、知ってるって言うの?」


「マリアのことだ。貴女が彼女を陥れて、聖女になったこと。俺と結婚した理由も、国に命じられたことも全部だ」


私は息を呑み、後ずさった。彼は一歩近づき、私の肩に手を置いた。




私は立ち止まった。

ランスロットがそんなことを知っていてなお私を愛しているなんて、信じられない。彼は振り返り、私を見つめる。その青い瞳に影が差す瞬間、彼が口を開いた。


「あの旅で、魔王の城に向かう道すがら、貴女が俺の傷を癒してくれた。貴女だって死にそうだったのに何回も俺を優先して魔力切れしていた。貴女が罪と泥に塗れた顔で『もう少しだよ、ランスロット』って笑ってくれた時、俺は決めたんだ。この女と生きていくって」


私は目を瞬かせた。彼がそんなことを思っていたなんて。


「マリアを失った時、俺は確かに迷った。罪人と旅をするのは最初は抵抗があった。でも貴女は人生をかけて俺のそばにいてくれた。貴女が聖女だろうが偽物だろうが、そんなの関係ない。俺には貴女の強さと優しさが本物だった。それで十分だよ、クリスティーネ」


市場の喧騒が遠ざかり、彼の言葉だけが耳に残った。


「貴女が俺の妻なら、それでいい」


彼の声は低く、熱を帯びていた。

私はその手を振り払い、市場の端まで走った。

ランスロットの言葉から逃れるように、私は駆け抜けた。

人々のざわめき、果物の甘い香り、すべてが遠く、ぼやけていく。

彼の言葉が、私の心を切り裂く刃のように突き刺さる。

それでも愛していると?

そんなはずはない。ありえない。私は、私は……


頭がぐちゃぐちゃだ。


その夜、ランスロットが寝室に入ってきた。

私は窓辺に立ち、彼を振り返る。

彼は汗と泥にまみれた絨毯を手に持っていた。


「また拭いてたの?」

「ああ。貴女が眠る前に、少しでも清めておきたかった」


私は嫌悪感を抑え、絨毯を見つめる。


「やめてよ。そんなことしても、私の罪は消えないの、分かっているのよ……私だって。」


ランスロットは絨毯を床に置き、私に近づいた。筋肉でふわふわした逞しい腕が私を抱き寄せ、金髪が私の頬に触れた。


「消えなくていい。お前が俺のそばにいてくれれば、それでいい」


彼の青い瞳が私を捉え、垂れた目がさらに細まる。

私はその笑顔に耐えきれず、目を閉じた。

彼の愛は温かいのに、私の心は冷たい。罪悪感が胸を刺す。


その時、マリアの幻影が現れた。

寝室の隅に、栗毛の少女が立っていた。

茶色の瞳が私を見据え、かすかに笑う。

私は息を呑んだ。

「あんたがそんな顔をするなんて」

マリアの声が響き、私はランスロットから離れた。


彼は気づかず、寝床に腰を下ろしていた。幻影は私に近づき、囁く。


翌日、私は老婆に尋ねた。

「絨毯が罪を吸うって、どういう意味?」


老婆は箒を止め、私を見上げた。

「それはな、聖女様。貴女様が背負うものだけじゃない。絨毯は長い年月、多くの罪を見てきた。貴女様の罪はその一部にも過ぎんのだ。」

私は眉をひそめた。老婆は笑い、続けた。


「あの勇者は聖女様を愛してる。絨毯を雑巾にしなければ、穢れが溜まり真実が露呈するだろう。聖女様がどう生きるかは、お前さん次第だ」

私は黙った。マリアの幻影、ランスロットの愛情、絨毯の秘密。頭が整理できない。



私は黙った。マリアの幻影、ランスロットの愛情、絨毯の秘密。頭が整理できない。





寝室の窓から差し込む朝陽が、ランスロットの金髪を輝かせていた。

彼は私を見つめ、静かに立ち上がった。筋肉質な体躯が近づき、私は無意識に後ずさる。


だが、彼はただ穏やかに手を差し出し、私の白銀の髪を手に絡ませて言う。


「貴女がそんな顔をする必要はない。俺には貴女が聖女だろうが何だろうが関係ない。貴女がクリスティーネで、俺の妻なら、それでいい」


彼の声は低く、優しかった。

青い瞳が細まり、クシャッと笑う。私はその温かさに耐えきれず、目を逸らした。


「知ってるなら、なぜ黙ってたの?」

私の声は震えていた。ランスロットは一瞬黙り、やがて小さく息をついた。


「言うつもりはなかった。あの時、貴女がマリアを追い出して聖女になった日、俺は全て見てた。貴女が国に命じられて俺と結婚したことも知ってる。それでも、クリスティーネを選んだのは俺だ」


私は息を呑む。

貴族の象徴でもあるエメラルドの瞳が吊り上がる。私は、舐められているのだ。


「それでもって、私を許すつもり? 私が偽物で、マリアを陥れた罪人で、それでも?」

ランスロットは首を振った。


「許すとかじゃない。お前が背負ってるものを、俺が少しでも軽くしたい。それが絨毯を手に持つ理由だ」


彼は寝床の隅に丸まった絨毯を指さした。埃と泥にまみれたそれは、かつての輝きを失い、ただの布切れのようだった。

私は葉を絞り出した。


「貴方だって分かっているでしょう。そんな意味のないことをどうして。」


「クリスティーネ」

ランスロットは静かに近づき、私を優しく抱き寄せた。


「俺にとっては、貴女はただ一人のクリスティーネだよ。初めて会った時、その美しさに息を呑んだ。旅路で俺を支え、癒してくれたのも貴女だ。たとえ過去に何があったとしても、俺にとって貴女はかけがえのない存在だ。貴女が毎日、俺の愛に応えてくれたこと、その事実は何一つ変わらない。」


筋肉質で逞しい腕が私を包み込み、金糸のような髪が頬をくすぐる。


「全部、本物なんだ。どこへも行かないで、クリスティーネ。」


彼の青い瞳が私を捉える。

瞳の奥が潤み、かすかに揺れていた。

私は耐えきれず、目を閉じた。

彼の愛は温かいのに、私の心は冷たい。

罪悪感が胸を刺す。



私は再び絨毯を見つめた。

埃と泥にまみれ、これでは絨毯が泣いている。

絨毯は、不思議に震えていた。

あの宝物みたいな旅がこんなに薄汚れているのが私は、耐えられない。


私はベッドから起き上がり、絨毯に触れた。プルプルと震え、魔法の力で温かい。何度この温もりに助けられたか。私は目を閉じ、彼の愛を思い出した。彼が私を清めようとするその行為が、彼を縛る鎖でもある。



私は絨毯に触れ、目を閉じた。

マリアの笑顔、彼女の涙、私が貴族の誇りを振りかざして彼女を踏みにじった瞬間が脳裏をよぎる。

私は聖女じゃない。偽物だ。

でも、ランスロットはそんな私を愛してくれた。ならば、私も彼のために何かできないだろうか。

私自身のために、何かを取り戻せないだろうか。



「よし」

私は呟き、自分の白銀の髪を握った。


ランスロットの愛は純粋で重い。私はそれに値する人間じゃない。なのに、彼は私を離さない。  

翌日、私は老婆に再び尋ねた。


「あの絨毯ってなんなの?」


老婆は箒を止め、私を見上げた。

皺だらけの顔に笑みが浮かぶ。


「あれはな、罪を吸うだけじゃない。真実や愛も映す。いわば歴史の記録だ。お前さんと勇者の愛も、そこにある。それが重すぎれば、絨毯は耐えきれんよ」


「絨毯が耐えきれなくなると、どうなるの?」

老婆は箒を手に持ったまま、静かに笑った。


「崩れるよ、聖女様。絨毯は何百年の罪を見てきた。お前さんの罪は軽い。だが、勇者の愛が重すぎる。あれが崩れれば、お前さんの道が開ける」


「私の道?」


老婆は頷き、目を細めた。

「お前さんが聖女として、勇者の妻として生きるか。それとも、別の道か。絨毯が教えてくれるよ」



その時、マリアの幻影がちらりと現れた。栗毛が風に揺れ、茶色の瞳が私を見つめる。私は目を瞬かせた。彼女は一言も発せず、ただ笑って消えた。

私は絨毯に手を伸ばした。温かく、震えている。


私の罪は軽い? ランスロットの愛が重い?

頭が整理できない。



次の夜、ランスロットが寝室に入ってきた。

私はベッドの端に座り、膝を抱えて震えていた。


私が偽物だって知ってるなら、なぜこんなに優しいの? と彼に聞きたい。


でも、口に出せば彼の愛がさらに重くのしかかる気がして、怖い。王国に命じられた結婚、聖女としての偽りの人生、マリアへの裏切り――私の罪は消えない。

なのに、彼は私を清めようとする。


こんな人生、私が望んだものじゃないと呟いたら、彼はどうするだろう。絨毯を見つめるたび、私の心は叫ぶ。


「私は自由になりたい。でも、その自由は罪の上に成り立つものじゃないよね?」


私は窓辺に立ち、彼を振り返る。

彼は顔を上げ、クシャッと笑う。 


「いや。貴女が俺のそばにいるなら、どんな罪でも俺が背負うよ」


私は息を呑んだ。彼の愛が絨毯を殺し、私の心を締め付ける。私は立ち上がり、彼に近づいた。


「もし私が聖女をやめたら、どうする?」

ランスロットは一瞬目を丸くし、やがて笑った。

「なら、俺も勇者をやめる。お前と一緒にどこか遠くへ行こう」






そうして数日が過ぎ、絨毯の震えが頂点に達した。


私はランスロットと寝室に立ち、絨毯を見つめた。彼は私の手を握り、青い瞳で私を見下ろす。



「どうしたんだ?」

私は絨毯を指さした。

「見て。絨毯が震えてる。老婆が言ってたよ。絨毯の魔力が崩れれば、私の道が開けるって」


ランスロットは絨毯に目をやり、眉をひそめた。


「崩れる?」


その瞬間、絨毯から異音が響いた。

低く、軋むような音。

緋色の文様が薄れ、糸がほつれ始めた。私は息を呑み、ランスロットの手を強く握った。


「ランスロット、これが何を意味するか分かる?」


彼は黙って絨毯を見つめ、やがて呟いた。

「罪が露呈する……」


私は頷いた。老婆の言葉が頭をよぎる。


「絨毯は真実や愛も映す。それが重すぎれば、耐えきれんよ」。



絨毯の震えが激しくなり、突然、裂ける音が響いた。


私の頭の中に今までの絨毯の旅の歴史が流れる。いろんな人がこの絨毯を使った歴史。


頭に色んな景色が駆け巡り、とうとう私がマリアを陥れているシーンが流れてきた。


隣でランスロットが息を呑み、同じ光景を見ているのが分かった。

彼の手が私の手を強く握り、震えていた。

王都中でこの真実が響き渡る感覚に、胸が締め付けられた。




静寂が訪れた。

私は目を開け、絨毯の残骸を見下ろした。

かつての魔法の絨毯はただの布切れとなり、温かさも震えも消えていた。ランスロットが私の肩を抱き、低く呟いた。



「これでいいのか?」

私は頷き、白銀の髪をかき上げた。


「これでいいよ。もう聖女じゃない。私、クリスティーネとして生きる。もうすぐ処刑かもしれないけど、貴方と一緒に嘘がない日々を過ごしたいの」


彼は涙ながらに、私を抱き寄せた。



「クリスティーネ、俺はお前を失いたくない。貴女が聖女の仮面をかぶって苦しんでるのをずっと見ていた。貴女がマリアを陥れた日だって、俺には貴女の涙が見えた。あの時、貴女は笑ってたけど、目が死んでた。それでも俺を支えてくれた貴女を、俺は愛さずにはいられなかったんだ」



私は彼の胸に顔を埋め、震える声で呟いた。


「私、偽物だよ。マリアを傷つけて、聖女を騙って、それでも貴方に愛される資格なんてない」


彼は首を振って、私の白銀の髪を撫でた。


「資格なんて俺が決める。お前が俺のそばで笑ってくれるなら、それでいい。俺はお前を選んだんだ、クリスティーネ。何度でも言うよ」


私は目を閉じ、涙が頬を伝った。


「なら、私も罪を背負ったまま生きるよ。貴方と一緒に、新しい道を」


その時、寝室の扉が開いた。老婆が立っていた。



皺だらけの顔に笑みが浮かぶ。


「やっと決めたね、聖女様。いや、クリスティーネ」

私は彼女を見つめ、問うた。

「貴女、絨毯のことを知ってたよね? 何者なの?」

老婆は箒を床に置き、目を細めた。   


「私は絨毯の精霊だ。何百年の罪と愛を見てきた。お前の罪は軽かった、勇者の愛が重すぎただけだ。第一、お前さんが聖女だと思ってた娘にも罪はある。もう寿命だというだけの事だ。絨毯が崩れた今、お前たちの道は開けた」


私は息を呑んだ。

精霊!?

ランスロットも驚いた顔で老婆を見つめる。老婆は笑い、続けた。



「もう一つ、助けが来るよ。お前たちを逃がすためにね」


その瞬間、寝室に別の影が現れた。

栗毛の少女が立っていた。茶色の瞳が私を見つめ、柔らかく笑う。

マリアだ。幻影じゃない。

本物のマリアがそこにいた。



「クリスティーネ、久しぶりね」

私は目を瞬かせ、震える声を絞り出した。


「マリア? どうしてここに?」

彼女は近づき、私の手を取った。


「あんたが聖女をやめるなら、私が助けるよ。馬車を用意した。王都を出て、遠くへ行って。自由に生きてよ、私みたいに」


私は息を呑んだ。マリアの笑顔が温かい。彼女は私を恨んでいない。


「マリア、私、あんたを陥れて……」

彼女は首を振った。


「クリスティーネ、私、聖女が嫌だった。魔王を倒すとか、世界を救うとか、私には重すぎた。あんたがマナーを教えてくれた時、何が何だか分からなかったけど、親切だと思った。あの白い花も、葬式用なんて知らなくて、ただ綺麗だなって。」


「あんたが『お前は聖女にふさわしくない』って言った時、ほっとして、涙がでたよ。それで逃げられたんだ。ありがとう」


マリアの言葉が胸に響き、私は涙をこらえた。

彼女は笑い、ランスロットに目を向けた。


「ランスロット、クリスティーネを頼むよ。私、遠くで幸せに暮らしてるから」

ランスロットは頷き、クシャッと笑った。


「ああ、マリア。お前も幸せにな」

老婆が一歩進み、私たちを見上げた。


「さあ、お行き。絨毯の残骸を捨てて、新しい道へ。お前さんたちの愛は本物だよ」


私は絨毯の残骸を背に、ランスロットの手を握った。

彼の青い瞳が私を見つめ、私は初めて笑った。

白銀の髪が朝陽に揺れ、エメラルドの瞳が輝く。



「行こう、ランスロット」


彼は頷き、私を抱き寄せ、口づけを交わす。

今までのどの瞬間よりも繋がっていると感じた。

「ああ、クリスティーネ。どこへでも」


マリアと老婆が見守る中、私たちは寝室を出た。王都を後にする。


マリアと老婆は遠くで微笑み合い、何かを囁き合っていた。その声は届かないけれど、私には新しい道が開けたのだと、そう信じられた。


新しい人生が、そこに待っている。




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相手がたまたまイジメを理解出来てなかったから良かっただけ。 相手がたまたま聖女になりたくなかったから良かっただけ。 本人はイジメをしたし、陥れるつもりでやり切った。 イジメした人間は何があっても、…
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