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最終話 女王の紅涙、騎士の献身

 その日の夜。

 私は父に呼ばれ、かの人の私室を訪れた。


「お父様。グルナです」

「……入れ」


 かすれた声が扉越しから聞こえ、私はドアノブを捻る。

 部屋に入ると、寝たきりの状態になった痩躯の父の姿が映った。


「ここへ」


 父はおもむろに私のほうへと顔を向け、枯木のように瘦せ細った手で手招きする。

 ベッドに足を運び、傍にあった椅子に腰かけて私は父の手をそっと握った。


「お父様」


 父は一年前に心臓を患い、以来ずっと病床に臥している。


 ――たった一年で、ここまで様変わりしてしまうなんて……。


 病に侵される前までの父は王としての威厳と覇気があり、誰もが尊敬と羨望の眼差しを向ける偉大な人だった。そんな父が重い病によってまるで別人のように変わってしまうとは、一年前までは予想だにしていなかった。


「……わかっているとは思うが、改めて言う。お前が次の王だ」

「はい」


 王家の血を引く者は父を含め私しかいない。私が次期女王になることは必然で、周知の事実だった。


「数日後には王剣騎士団の叙任式も控えている。今回のアコレードはお前に任せる。やり方は以前に教えたからわかるな?」

「ええ、お父様」


 すると父は私の頬に触れ、切なさを宿した双眸でこちらを見据える。


「すまない。今日はお前の誕生日だというのに、満足に祝ってやることもできない。投げ出すような形で王位を継承する愚かな父を許してほしい」

「そんな……! 許すも何も、お父様は決して愚かではありません。どうかご自分を卑下しないでください」

「そう言ってくれる娘をもてて、私は果報者だな」


 弱々しい笑みを浮かべてから、父は私の頬から手を引いて厳かな面持ちに戻る。


「お前が女王となるからには、伝えておかなければならない。我が国とヴィーブルにまつわる忌まわしき契約を」

「契約?」

「……お前たちにはあまりに辛くて重く、残酷な現実を突きつけることになる」


 両の拳を強く握りしめ、父は静かに瞑目してその残酷な現実を明かした。


「え……」


 すべてを聞き終えた時、私は頭が真っ白になって立ち上がる気力すら失っていた。







 翌日。茫然としていた意識がようやくはっきりして、私はすぐにジェットのもとへ駆けつけた。


「ジェット!」


 いつものように修練場で剣を振るっていたジェットは、私の呼声に気づくや否やすぐにこちらを振り返る。


「グルナ様」

「修練の邪魔をしてごめんなさい。でも、今すぐあなたに伝えたいことがあって」


 血相を変えた私に、ジェットは何も言わずに「わかりました」とすぐに応じてくれた。そのまま私たちはいつものところへ場所を移す。


「それで、伝えたいことって?」


 ザクロの花木に寄り添うように腰を下ろし、ジェットが私の顔を窺いながら問う。

 私は苦悶の面持ちで重々しく口を開いた。


「……昨日、父から正式に次期女王の宣告を受けたわ」

「そうなんだ。おめでとう!」

「明後日に即位式があって、その翌日の王剣騎士団叙任式におけるアコレードも私がすることになる」

「グルナにアコレードをしてもらえるなんて、これほど嬉しいことはないよ」


 すごく楽しみだ。


 屈託なく笑うジェットを見て、私は胸が押しつぶされそうになった。

 縋るように彼の胸元を掴み、懇願する。


「お願いジェット。叙任式には来ないで」

「え?」

「私のアコレードを受けちゃダメ! じゃないとあなたはっ――」





 ヴィーブルの生贄として、喰い殺されてしまう!





 父が訥々と語った真相。

 それは、王剣騎士団は悪竜の討伐組織なんかではなく、六年間この国の安寧を維持するための犠牲(生贄)だった。


 数百年前、ヴィーブルが国土を火の海にした時、その惨状を見かねて当時の近衛騎士団団長が満身創痍ながら懇願した。もうこれ以上、この国と民を傷つけるのはやめてくれ、と。

 そんな若き青年団長の切願に、かの悪竜は猛炎を吐くのを止め、妖艶に口の端を吊り上げながらこう言った。


『ならば、お前を含めた年若き男を六人、我の糧として捧げよ。そうすればこれ以上の危害は加えんと約束しよう』

『そして、これから六年に一度――今日と同じ六月六日に必ず青年六人を我に差し出せ。我とて一匹の生物。食糧が無ければ息絶えてしまうのでな』

『これは契約だ。国王を呼んで我と取引させろ』



 契約を遵守できなければどうなるか、わかっているな?



 ヴィーブルの有無を言わさぬ契約に、当時のロディア国王は断腸の思いで承諾した。以降、ヴィーブルを討伐する精鋭騎士団という名目で生贄となる六人の青年が選ばれるようになり、現地に派遣されてはヴィーブルの餌食となり続けた。

 歴代の王は重い業を背負い、この残虐な真実をひた隠しにしていたのだ。


「……じゃあ、今までの王剣騎士たちは何も知らないまま、生贄としてヴィーブルに喰い殺されてきたということ?」

「……そうよ」

「僕も、彼らと同じ運命を辿るということか」

「……ええ」


 右手で顔を覆い、項垂れるジェットに私は涙ながらに訴えた。


「だから、叙任式には出席してはいけないの! お願い。私はあなたを殺したく――」


 涙ながらの訴えを遮るように、ジェットは私を自身の胸元に引き寄せた。


「ありがとう、グルナ。とても、話しづらいことだっただろうに」

「ジェット……」

「でも、僕は最後まで役目を果たすよ。君のアコレードはちゃんと受ける」

「なっ……!」


 予想外の返答に、私は思わず目を剥いた。


「王剣騎士はいわば人柱なのよ! アコレードを受けてしまえばそれが最後――あなたはヴィーブルにっ」

「僕は何の抵抗もせず、大人しく食べられるつもりはないよ」


 静かな――けれど、雄々しい情念を宿した睛眸が私を射抜く。

 その気迫にたじろいでしまい、言葉に詰まってしまう。


「何も難しく考える必要は無い。食べられる前に僕がヴィーブルを倒せばいいだけの話だ」

「あなたはまだそんなことを……!」

「僕の強さが信じられない?」


 君が一番近くで、僕の剣を見てきたというのに。


 確かに、ジェットの剣術は幼い時から光るものがあった。その卓越した才能は歴代の王剣騎士団団長を凌ぐほどだと、指南役の騎士や近衛騎士たちから賞賛されている。だとしても、相手は国を滅ぼすほどの凶悪な竜。ジェットを含めた六人の人間だけで打破できる敵ではない。


「ジェットは強い。どんな騎士よりも。でも……」

「グルナの心配はもっともだ。でも、契約に従わなければヴィーブルはまたこの国に災厄をもたらす。そしたらロディアに生きるすべての人々が苦しむことになる。もちろん君だって」


 返す言葉が見つからない。

 私は唇を引き結び、俯くことしかできなかった。


「僕はロディアに生まれ、ロディアに生きる人々に育ててもらった。だからこそ、ここで引き下がるわけにはいかない」


 ジェットの両手が私の肩に触れる。


「君も女王だ。この国と民のことを第一に考えるのが、君の務めだろう?」

「……私はまだ、女王じゃない」

「そうだね。だけど、そう言っていられるのも時間の問題だよ」

「なら、ジェットだって私が第一に考えるべき民の一人よ!」


 どうしようもない悲しみと怒りが溢れ、私は滂沱の涙を流す。せっかく彼が涙を拭ってくれたというのに。


「ずっと傍にいて……」


 私を独りにしないで。


 泣き崩れる私の顔をそっと持ち上げて、彼は再び涙を拭い、口づけた。


「大丈夫。君を独りになんかさせない」


 僕はいつも、君の傍にいる。


 ジェットの大きな手が、私の頬を包み込んでくれる。


「……わかった。あなたを信じるわ。早く帰ってきてね」

「もちろん」


 誠実で、誰よりも優しい私の騎士は再度私を抱きしめ、誓いとも言えるキスを交わした。


  





 叙任式当日。

 この世を去った父に代わり、女王となった私は精緻で美しいティアラを戴き、豪奢で壮麗なドレスを身にまとって、祭祀宮殿の壇上に上がった。


 五人の青年騎士の肩を叩き、祝福の言葉を述べている時、すでに私の目は涙に濡れていた。彼らは契約のことを何も知らない。ただ悪竜を倒すという強い信念と希望をもって、この六年に一度の式典に臨んでいる。


 ――ここで取り乱していてはダメ。


 懸命に己を律し、粛々と叙任の儀式を執り行っていく。

 最後は団長――ジェットの番だ。


 私がジェットの前に佇むと、彼は片膝をついたままいつものような柔和な笑顔を浮かべた。

 私も微笑み返すと、ジェットは安堵したように瞼を閉じておもむろに頭を下げた。

白銀の王剣で彼の肩を交互に叩き、朗々と告げる。


「ジェット・イロアス。汝を王剣騎士団団長に任命する。ロディアの地と民を愛し、これらの安寧を守護するために心血を注ぎなさい」

「はっ」

「汝に――」


 不意に、言葉が掠れて二の句が継げなくなった。

 蓋をしていたはずの想いが雫となって、頬をなぞる。


「グルナ……?」

「……大丈夫」


 ジェットが小声で囁きかけ、私は何とか平静を保ってその言葉を愛する人に贈る。


「汝に……クロリスの加護と祝福があらんことを」


 宮殿内が拍手喝采に包まれるなか、騎士たちは一斉に立ち上がり私に向かって敬礼する。

 ジェットと視線がかち合った瞬間、彼は唇を動かして無音の言葉を私に発した。


「ありがとう、グルナ。行ってくるよ」


 彼の言葉をちゃんと受け取った私は、涙を堪えることができず、一瞬顔を伏せてしまった。けれど、すぐに涙を拭ってできる限りの笑顔で最愛の人を見送る。


「行ってらっしゃい。ジェット」


 私のアコレードを受けた騎士たちは、そのまま多くの人々に見送られて戦地へと旅立っていった。王剣騎士団には近衛騎士二名がつき、地下洞窟までの案内役を務める。だが、それは表の役割に過ぎず、彼らの本当の使命は王剣騎士たちの最期を見届けることだった。


 ――大丈夫。ジェットたちは必ず帰ってくる。


 不安と恐怖に押しつぶされそうな心を叱咤して、私はひたすらこの国の守護神に祈った。


「クロリス様。どうかあの者たちをお助けください」







 一週間後、随伴した近衛騎士二名が帰還した。けれど、ジェットたちの姿は無い。


「ジェットたちは……」


 騎士たちは沈痛な面差しで答える。


「立派な最期でございました」


 私はその場でくずおれ、俯いた。

 もう何度流したかわからない涙が零れ落ちる。


「ジェット……」


 もう彼の笑顔を見ることができないのだとわかった瞬間、慟哭どうこくした。

 嗚咽を漏らしていると、近衛騎士の一人がおずおずとジェットが持っていた剣を差し出してきた。


「ジェット殿はその命が尽きる直前、ヴィーブルの胸元に一撃を入れました。心臓に近い部分でヴィーブルも大層苦しそうにしていましたので、あともう一撃あればもしかすると……」


 私は震える手でその剣を受け取り、ひしと抱きしめた。

 あなたは最期までこの国を守ろうとしてくれた。その一心が鋭利な刃となって、あの悪竜をあと一歩のところまで追いつめた。


「ジェット……!」

「陛下……」


 狼狽していた騎士や宰相たちに、私は涙を拭って立ち上がる。


「取り乱してごめんなさい。二人とも、辛い任務だったのにありがとう」


 とんでもない、と騎士たちはかぶりを振って、むしろ事の顛末を見届けることしかできない自分たちが歯痒くて仕方がないと悔しそうに呟いた。


「そうね」


 結局私も、彼らを助けることができなかった。

 顔を顰め、己の不甲斐なさを嘆く。けれど、それでジェットたちが戻ってくるわけではない。


「……もう、誰も死なせない」


 ジェットの形見を握りしめ、私は執務室を出て修練場へと向かった。




「六年後の六月六日までに、私がヴィーブルを倒す」




 それから私は血反吐を吐くような修練を積み重ね、剣技と魔法を融合させた〈魔剣〉を編み出した。

 〈魔剣〉がヴィーブルを討ち果たしたのは、ジェットの命日から六年が経とうとしていた頃。新たな王剣騎士団が旅立とうとしていた日の前日だった。


「ようやく、この国は真なる平和を手に入れることができました」


 これまで犠牲になった王剣騎士たちを弔う墓場。

 私は騎士たちを代表してジェットの墓前に花束と、彼が好きだったサンドイッチを供えた。


「私たち王族があなたたちに課した運命は、決して許されるものではない。あなたたちの光ある未来を奪ってしまった罪は私が一生をかけて償います」


 だからどうか、見守っていてください。


 私は黙祷を捧げ、最後にジェットへ微笑んだ。


「あなたがこれを遺してくれたから、私は悪竜を討つことができた」


 ありがとう。


 ジェットの愛剣も返し、私はきびすを返す。


「ゆっくり休んでね」


 私の愛しい人。


 去り際、緩やかな風が私の頬を撫で、ザクロの花弁が可憐に舞った。

海山みやまです。ここまでお読みくださって、ありがとうございました。

本作はカクヨム様で開催しているカクヨムコンの短編作品として書き下ろしました。


私は普段三人称で書いているので、初めての一人称&西洋ファンタジーに不慣れな部分も多かったのですが、自分が見てみたかったシーンが書けて大満足です。1万字以内という規定があったので、それはそれでまとめるのにかなり苦労したのですが……。


大恋愛の裏に隠された残酷な真相に、気分を害されたら大変申し訳ありません。

ですが、作者である私はよく登場人物にこのような試練的なものを与えてしまいます。試練のなかで彼女たちはどう向き合い、抗い、乗り越えていくのか。その過程で生まれる登場人物たちの葛藤や想いを描くのが、私にとってはすごく意味のあることで小説を書くうえでの醍醐味ではなかろうかと思っています。そんなの当たり前だろ、と思われる方もいるかもしれませんが……。


なので、本作をお読みくださった方に少しでもグルナたちの想いが伝わっていれば幸いです。

改めて、彼女たちに最後まで寄り添っていただいたこと、感謝申し上げます。

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