第1話 無垢な想い、高潔な志
初夏。煌々と燃え盛る太陽の光が注がれ、わたしの赤髪をきらきらと輝かせてくれる。眩しい陽光を一身に浴びながら、わたしは幼馴染の名前を呼んだ。
「ジェット!」
父が治めるロディアの国花が美しく咲き誇る庭園を抜けた先には、広々とした修練場がある。そこで、ジェットは指導係の騎士から剣術を教わっていた。
彼は剣を振る手を止め、こちらを振り返る。
「グルナ様」
涼やかな黒髪に薄く日焼けした健康的な肌。ジェットは黒瞳を細めて、出会ってからずっと変わらない笑顔を向けてくれる。おかげでわたしの頬は少し赤くなってしまった。
――もう、他の人も見ているのにわたしったら……!
高まる胸の鼓動を宥めつつ、平静を取り繕ってジェットの元へ歩いていく。
「どうなさいましたか? いつもならまだ魔法の訓練をされているはずですが」
「今日は早く目標を達成できたから、先生がもうお昼にしてくれていいって言ってくれたの。それで、頑張っているジェットにご褒美をあげようと思って」
わたしは持っていたバスケットの蓋を開けて、特製のサンドイッチを見せる。
「サンドイッチだ! これ、グルナ様が?」
「ええ。今日はお天気も良いし、一緒に庭園で食べましょう」
「はい!」
ジェットは嬉しそうに頷いて、指導係の騎士にこれからしばしの休息に入ることを告げた。騎士は護衛のためお供すると申し出てくれたけれど、他でもないわたしがその申し出を丁重にお断りした。
だって、せっかく二人きりになれるいいチャンスだから。ジェットと過ごせる貴重な時間を誰にも邪魔されるわけにはいかない。
先ほど通った王宮庭園に行き、ザクロの木の根元にわたしたちは腰を下ろす。
ザクロはロディアの国花で、庭園に限らず国土全体に芽吹いている。今は艶やかな大輪の花を咲かせているが、秋になれば丸い果実が成ってまた変わった佳景を見せてくれる。
「鍛錬お疲れ様。暑かったでしょう? はい、これ」
タオルで汗を拭いていたジェットに、わたしは冷たいザクロジュースを手渡す。
彼はお礼を言って、そのままボトルに口をつけた。相当喉が渇いていたのか、ボトルが瞬く間にからになってしまった。
「おかわりいる?」
「いえ、今は大丈夫です。サンドイッチ、いただいてもいいですか」
「ジェット」
「はい?」
「今はわたしたちだけなんだから、敬語は使わなくてもいいわよ」
いつものように呼んで。
わたしが照れくさそうに視線を伏せがちにして言うと、ジェットは苦笑した。
「最近二人だけになれる時間が少なかったから、つい」
ジェットはわたしを見据え、口元を綻ばせる。
「サンドイッチ、もらってもいいかな? グルナ」
「ええ!」
わたしは満面の笑みを返して、サンドイッチをバスケットから取り出す。
わたしはロディアの第一王女、そしてジェットは近衛騎士団長の子息で物心ついた時から一緒に過ごしてきた。けれど、立場はわたしのほうが上で、数年前までジェットはいつも敬称敬語で接してくれていた。本当はそれがあるべき形なのだろうけど、兄妹のように育ってきた幼馴染から恭しい態度をとられるのは気にくわない。だからわたしは彼にお願いした。二人きりの時だけでも、お互いの立場を忘れて対等でいてほしいと。
ジェットは最初こそ戸惑っていたものの、少しずつ砕けた言葉遣いに慣れていったおかげで今では何の躊躇いもなく話してくれる。
「いただきます」
ジェットはサンドイッチを受け取るや否や、勢いよくかぶりついた。
「うん、美味しい!」
「良かった」
美味しそうに食べるジェットを見ていると、こちらまで幸せな気持ちになれる。
わたしもザクロジュース片手にサンドイッチを頬張った。
「とうとう明日は王剣騎士団の叙任式かぁ」
二つ目のサンドイッチに入ったところで、ジェットはそう口火を切った。
王剣騎士団は六年に一度編成される精鋭の騎士団で、数百年前にこの国を滅亡寸前にまで追いやった悪竜ヴィーブルを討伐することを使命としている。
かつて、どこからともなくやってきてロディアを襲い、国土を火の海にした半人半竜の怪物は優秀な魔導士によって南方にある地下洞窟に封印された。あまりの強さに完全な討伐にはいたらなかったのだ。
その封印の効力は六年。それゆえヴィーブルが目覚めるたびに王剣騎士団が編成されて現地に赴き、今度こそ悪の根源を断ち切ろうと試みるのだが、やはり再封印が限界で現在に至る。
「僕も六年後には陛下から王剣のアコレードを賜ることができたらいいんだけど」
六年後だとジェットは十九歳、わたしは十八歳と、立派な紳士淑女になっていることだろう。
――それならわたしだって、ジェットのお嫁さんに……。
ふと、そんな願望が脳裏を過ってぼうっと彼を見つめていると、
「グルナ?」
顔を覗きこまれ、わたしは頬を赤らめつつ「ううん、何でもない!」とかぶりを振った。
――何考えてるの、わたし!
再燃した恋の熱を冷ますのに苦労しつつ、わたしは努めて笑顔で相槌を打った。
「ジェットなら絶対に王剣騎士になれるわ。でも、その言い方じゃ今回の騎士団もヴィーブルに負けてしまうってことになるけど?」
「あ、いや! そういう意味で言ったわけじゃ……。僕はただ、ずっと王剣騎士に憧れているからそれで……」
「ふふ、わかっているわ。でも――」
わたしは視線を伏せて、声音を暗くする。
「これまでどんなに強い騎士たちが挑んでも、ヴィーブルは倒せなかった。もし、ジェットに万が一のことがあったら……」
「大丈夫だよ。グルナ」
頭に柔らかくて温かい感触がして、わたしはジェットのほうを見る。
彼は優しく頭を撫でながら言った。
「万が一のことが起きないように、僕はこうして毎日鍛錬しているんだ。この国と、ここで暮らす民――それから、他でもない君を守れるように」
「ジェット……」
「それにほら、今年で決戦に終止符が打たれるかもしれないし」
「うん。そうね」
わたしが塞ぎこんでいる時、ジェットはいつもこうして励ましてくれる。心安らぐ笑顔と声音に何度助けられてきたことか。
「心配してくれてありがとう」
「どういたしまして」
わたしたちは笑い合って、サンドイッチを口に含んでは談笑を繰り返す。
楽しい休息の時間はあっという間に過ぎ、侍従に呼ばれて帰路についた。それからわたしたちはまた別れて、各々やるべきことを果たす。最後にはベッドに入って夢の世界へと誘われる。これでわたしたちの一日はつつがなく終わった。
そして翌日。
父上が優れた青年騎士六人に王剣のアコレードを行い、正式に王剣騎士の称号を授与した。
彼らは国の期待を背負い、長き因縁の地へと旅立つ。わたしとジェットも、王宮の門から彼らの逞しくて勇ましい背を見届けた。
けれど、何日経っても王剣騎士団が凱旋することはなく。
唯一わたしの耳に入ってきたのは、彼らは己の命と引き換えに悪竜を再び眠りにつかせたという訃報だけだった。