卵
ぐーっと背伸びをする。お母さんが朝ごはんを作っていた時だ。
ほんとはまだ眠いけれど朝ごはんをつくる匂いに我慢できなかった。
お母さんが白いまんまるをパカっと割った。そこから黄色いまんまるが落ちてきた。
「ママ!見せて見せて!」
するとお母さんは私と同じ目線になるようしゃがんで、ボウルの中身を見せてくれた。
ボウルの中には黄色くてまあるい小さなお月様が3つも浮かんでいる。朝なのにお月様が浮かんでいて変な感じがした。
「ママこれで何を作るの⁇」
「卵焼きよ。お父さんとくーちゃんが好きな卵焼き。」
お月様から卵焼きができるんだってこの時初めて知った。
そしてお母さんは持っていた菜箸で3つのお月様を混ぜ始めた。すると、その小さなお月様たちは形を変えて1つの大きなお月様になった。
「おー!」
私が驚いていると
「くーちゃんもやってみる?」
私は表情がパァっと明るくなり
「やってみる!」
と答えた。
お月様をぐるぐるするのはとても楽しかった。お母さんが他のおかずを作っている間、私はずっとお月様をぐるぐるし続けていた。
そして出来上がった卵焼きは、それまでなんとなく食べていた卵焼きよりもずっと美味しかった。卵焼きが大好きになった。
それから毎朝お母さんとお月様をぐるぐるするようになった。
喧嘩した次の日だって、辛いことを引きずっていた日だって、風邪ひいたときでさえもお母さんと一緒にお月様をぐるぐるすれば少しだけ気持ちが晴れた。
高校受験の当日、私はいつものルーティンでお月様をぐるぐるするために起きるとボウルの中にはお月様が10個も浮かんでいた。
「これ、どうしたのお母さん?」
お母さんはニコニコしながら
「縁起があるかは知らないけど、今日くらいいいじゃない。」
それだけ言って、お弁当を作り続けた。
それから何か大事な日に限って、お母さんはお月様を10個も使った卵焼きを作ってくれた。
大学受験の日、第一志望の企業の最終面接の日、家から出て一人暮らしを始める日。
それは私が決めるんじゃなくて、お母さんが決めた日だった。
今私には家族がいる。お母さんは数年前に鬼籍に入った。
私がいつも通り朝ごはんとお弁当を作っていると娘が
「ママこれなぁに?」
私はあの日を思い出しながら、お母さんがしてくれたのと同じようにボウルの中身を見せる。
娘はお月様みたいだね。と言った。
私と似たんだなと思ってクスッと笑った。
その日娘はあの日の私と同じように大きなお月様を知った。
10個のお月様を使った卵焼きをこの子と作るのが楽しみになった。