32.あらあら、にん
「あらあら、にん――」
「わああぁぁぁぁー――」
今、誰かが私を呼ぶ声が聞こえた気がするけれど、空耳だろうか?
あっという間に九層目を駆け抜けて、十層目に繋がる階段に到着。
「わー……」
私、もう駄目……。
超長距離のジェットコースターに乗った気分だよ。しかもずっと下り坂で、左右にぐおんぐおんと振り回されるタイプ。葉っぱが萎れそうだ。
「大丈夫か? にんじん」
「わー……」
気遣わしげな表情で私を労わりながら、十層目に入っていくガドル。
休憩なし!? 容赦ないなっ!?
「わー……」
まな板の上のマンドラゴラとなった私は、ガドルの肩で天井を見上げていた。
どごーんっと、岩が砕ける音がして、ぱらぱらと地面に落ちる小石の音が後を追う。
「終わったぞ」
「わー……。わ?」
って、もう終わったのか? 私、階層ボスの姿を見ていない。
慌てて部屋の中をきょろきょろと見回す。あ、急に動いたから眩暈が。
ちかちかする視界で捉えたのは、大きな赤鬼さん。浅層の階層ボスは鬼だった。お化けの頭目はぬらりんひょん説もあるけれど、戦うならやはり鬼が選ばれるか。
赤鬼が消えて手に入れたアイテムは、鬼のパンツ。つまりは虎の皮で作られた縞々トランクス。
「わー……」
き、気まずい……。
そろりとガドルの顔を窺うと、彼は苦々しい顔をしていた。
「わー……」
私が狩ったのではないのだ。無実なのだ。ガドルの仲間に危害を加えたりはしないと誓うから許してほしい。
耐え切れずガドルから視線を逸らそうとして、彼の手に握られているアイテムに気付く。
彼の手にも、鬼のパンツがあった。しかも白黒。
「わー……」
なぜこんな時だけレアを引くのか。……レアだよな?
運営よ。もう少し配慮してもいいのではなかろうか? 白虎獣人のガドルにこの仕打ちはなかろう? せめて私と同じ、黄色と黒の縞模様にしてくれ。
≪浅層の階層ボス酒呑鬼が初討伐されました。これにより、十層目の転移装置が解放され、十層目から迷宮外へ転移できるようになります≫
ガドルにどう声を掛ければいいのか分からず戸惑っていると、空気を読んではくれないワールドアナウンスが流れて、さらに微妙な気分になる。
酒呑鬼は以前にガドルが倒しているのだけれども、それは私がログアウトしている間の出来事。ゆえにノーカウント扱いなのだろう。
何はともあれ、名前を晒さない設定にしておいてよかった。そして先頭を争っていたハッカたちと中華饅戦隊よ、すまぬ。私、何もせずして初討伐を遂げてしまった。
「わー……」
混乱している間に、ガドルが私を連れてさっさと奥の部屋へと向かう。切り替えが早いな。
「宝箱を開けたら寝ていいから、もう少し頑張れ」
「わー……」
私、眠たくてぼげーっとしているわけではないのだよ?
ガドルが私を宝箱の蓋に貼り付ける。そして宝箱を、ガドルが開けた。
こんなやり方で私が開けた判定になるのか?
箱と蓋を繋ぐ蝶番のほうへ頭を向けられていたため、逆立ち状態になる私。葉っぱに人参ジュースが上りそうだ。
意識が遠退きそうになりながら、頑張って向きを変え蓋を這い登る。よじよじと上まで到達すると、ガドルが眉を寄せて訝しげな顔をしていた。
「わー?」
今度は何があったのだ?
ためらいながらも宝箱の中を覗くと、泡立て器が入っていた。
「わーっ!」
なぜ鬼で泡立て器なのかは困惑するところだが、これでパンケーキ作りが楽になるぞ!
わーわー喜んでいると、ガドルの表情が緩んでいく。
「それが何か俺には分からんが、にんじんにとっては当たりみたいだな」
「わー!」
ガドルにとっては無用の物だろうに、一緒に喜んでくれる。
必ずパンケーキ屋を成功させて見せるからな、相棒よ!
うむ? もしかすると、鬼の棍棒に見立てての泡立て器だろうか? 形が似ていないこともない。用途はまったく違うけどな。
初討伐報酬として、名刀『鬼切太郎』も貰った。刀だな。鞘に蒔絵が施されていて美しいけれど、私もガドルも使わぬな。
とりあえず、手に入れたものを全てリングにしまう。
すると空になった宝箱が輝き出し、中から水晶玉みたいな大きな球体が出てきた。
「さすが聖人参様は女神様に愛されている。見事、転移装置を引き当てたか」
にやりと笑ったガドルが水晶玉に触れる。どうやらこの水晶玉が、迷宮仕様の転移装置らしい。
私の運は関係ないのだけど、ガドルには私が転移装置を引き当てたように見えたのだろう。
ぺかーと光る水晶玉。これで地上に――
「わ!?」
待って! 地上のどこに戻るの? 迷宮の入り口に転移したら、私が酒呑鬼を倒した犯人だってばれてしまうではないか!
「わーっ!」
慌ててガドルを止めようとしたけれど、遅かった。転移装置が光り、視界に移る映像が切り替わる。
「わー?」
ここはどこだ?
危惧していた光景は現れなかった。視界に広がるのは見慣れた景色。
「ファードの神殿を選んだが、不味かったか?」
「わー!」
さすがガドル! 気が利くぞ! これなら目撃者がいても、別の町から来たとしか思われないだろう。
しかし迷宮の転移装置を使った場合も、他の転移装置がある場所に飛べるのだな。これはありがたい。神殿から死霊系迷宮の十層目に転移できるのなら、油を集めやすくなる。
「さて、宿を取って寝るか」
「わー!」
神殿を出ると、外はすでに日が暮れていた。暗い空には星が瞬き、赤、黄、青の月が浮かぶ。高さや大きさはまちまちで、欠け具合も異なる。この世界に来て初めて夜空を見たけれど、月が三つもあるのだな。
町に視線を下げれば真っ暗だ。店を構える建物の入り口に灯されたランプの灯りだけが、道行く人々の足下を照らしていた。住民たちは、もう眠っているのだろう。
「……もうじき、夜も明るくなるだろう」
町を眺めながら歩いていたガドルが、ぽつりと呟く。
「わー?」
なぜだ?
視線を私に寄越したガドルの目元は柔らかい。
「迷宮の攻略が進めば、油が出回り手に入れ易くなるだろう? そうすれば、庶民だってランプを使える」
「わー」
なるほど。