21.お母さん、美味しいね
「お母さん、美味しいね!」
「ええ。そうね」
ディリレさんは試食のために一口だけ食べて、後はポル君にあげていた。
『まだ食べるかい?』
私の言葉を聞いてポル君が目を輝かせたけれど、ディリレさんが首を横に振った。
「いいえ。充分です。私たちだけ頂くわけにはいきませんから」
「わー……」
そうだな。他の人たちも、きっと甘いものに飢えている。
ディリレさんの言葉を聞いて、ポル君の輝いていた笑顔が引っ込んだ。ぐっと我慢の表情を浮かべてから、強い光を宿る瞳で私を見る。
「あのね、にんじん! 僕も頑張って働くから、皆にも食べさせてあげちゃ駄目、かな?」
意気込んで聞いてきたのに、徐々に尻すぼみになって私の表情を窺う。
マンドラゴラだから、根を見ても分かりずらいよね。怒ってないから安心してほしい。
『もちろんだ。お話が終わったら、皆に配ろう。手伝ってくれるかい?』
全員を雇うことはできないから、ごめんなさいの気持ちも込めて後で振る舞おう。今ある材料では、少しずつしか行き渡らないだろうけれど。
「うん! ありがとう、にんじん!」
ぱああーっと、輝く笑顔。
「わー!」
癒しだよ。この子、天使だよ! 天使がいたよ!
軽い気持ちでパンケーキ屋を開こうと考えていたけれど、ちゃんと売り上げが出るようにしないといけないな。
今度、現実世界でパンケーキ屋さんの食べ歩きをしよう。我が家で作ると緑のパンケーキになるから。
維管束を引き締めて、仕事の説明に入る。
『必要なのは、生地を焼く人。盛り付ける人。料理を運ぶ人。注文を取ったり会計をする人。後は生地やトッピングを準備する必要もあるけれど、ディリレさんにできそうな仕事はあるだろうか?』
現実であれば皿洗いも必要だけれども、ここはVR世界。使い終わった食器はぴかぴかになって戻ってくる。
「盛り付けと料理を運ぶのは難しいですけれど、料理の下拵えや生地を焼くのは出来ると思います。会計も出来ます」
『料理は火を使うけれど、大丈夫だろうか?』
「コンロの位置を憶えれば問題ありません」
見えないと火傷しないだろうかと心配したのだけれども、凄いな。私が目をつむって料理をしたら、酷い結果になる自信があるぞ。
「にんじん、僕もお母さんを手伝うから大丈夫だよ。僕は料理を運べるよ。お客さんの所へ持って行けばいいんだよね?」
ポル君まで懸命にアピールしてきた。
「わー!」
天使! 天使が運ぶパンケーキ! ぺったんこパンケーキを予定していたけれど、ふわっふわのスフレタイプのほうがイメージにあっているかもしれない。
これ、ポル君目当ての客が押し寄せるのではなかろうか? ちゃんと虫除けを用意しなければ!
子供に労働をさせるのは賛否両論あるけれど、この世界では子供でも働く。それに本人がやりたがっているのなら、むしろ手伝ってもらったほうがいいと思うのだ。
特にポル君は、お母さんを働かせて、自分だけ遊ぶことに罪悪感を抱いてしまうタイプに見える。お母さんのお手伝いをして役に立つことで、満足感と喜びを得る子供だっているのだ。彼の意思を尊重しよう。
もちろん、環境が変わって遊びたい気持ちが出てくれば、労働を強いるつもりはない。しっかり遊んで、心も体も大きくなあれ。
『では、ポル君にも頼めるかな?』
「うん! 僕、頑張るね!」
眩しいほどに、いい笑顔を見せてくれた。尊いって、こういうことを言うのだな。
ポル君がこのまま真っ直ぐ育てるように、パンケーキ屋を軌道に乗せてみせるぞ。
ますます意気込んでいたら、ポル君がなにやら言いにくそうに私を上目づかいで窺う。
「わー?」
どうした? 遠慮することはないぞ?
促してあげると、ためらいながら喋り始めた。
「あ、あのね。お婆ちゃんも一緒に行っちゃ駄目かな?」
「ポル?」
ディリレさんが窘めるけれど、ポル君は困った顔で私に救いを求めてくる。
『続けて』
ディリレさんの眉がポル君を咎めるように寄った。けれど彼女も、お婆ちゃんを一人残していくことを心配しているふうに見える。
ポル君は私に促されて、ほっとした顔で話を続けた。
「お婆ちゃんね、一人ぽっちなんだって。それに、お料理が上手だったって言っていたよ。あ。お婆ちゃんがお料理したら、お母さんのお仕事がなくなっちゃう?」
失言に気付いて、慌てて口を両手で押さえる。可愛いな。
『大丈夫だ。お婆ちゃんが料理をしてくれるのなら、ディリレさんには会計をお願いするから』
一人で厨房を回すのは大変だろうから、実際は二人とも調理に携わってもらうかもしれないけれど。
「よかった」
にっこり笑ったポル君に、私は芯抜きにされた。
どこぞのマンドラゴラよりも、ポル君を聖人にすべきではなかろうか。
「わー」
ほっこりする私と違い、ガドルは思案顔だ。
「わー?」
どうした? 難しい顔をして。
「念のため、男も雇ったほうがいい。問題を起こす客もいるからな」
「わー」
そうだな。
ファードは治安が悪いと言うほどではないけれど、いいとも言いきれない。時々揉め事を見かけることもある。恥ずかしいけれど、異界の旅人が住人たちをNPCと侮って、無茶な要求をすることもあると聞く。
『では次は、男性の従業員を探すか』
売り上げがどうなるか分からない。しばらくは赤字になっても私のポケットマネーでどうにかできると思うけれど、雇用を続けるならば黒字化しなければ。
最初は少ない人数で始めて、必要に応じて従業員を増やしたほうがいいだろう。
とりあえず、お婆ちゃんに働く意思があるか確認するため、宿泊所に戻った。ちなみにお婆ちゃんの名前は、ポッタさんというらしい。
・・・
で、ポッタお婆ちゃんにも説明をして、拝まれながら了承を頂いたのだけれども。
「話は聞いたよ! にんじん君、僕を雇わないかい?」
「わー?」
パンケーキを焼いて配っていたら、何か変なのが湧いてきた。
舞台俳優みたいなオーバーリアクションをしながら語り掛けてくる男。たぶん三十代だと思うんだけど、まったく自信がない。痩せているし、微妙にイケメンなんだよ。睫毛長いな。