19.王都の神殿で
「王都の神殿で聞いておられませんか?」
「わーわー」
葉を左右に振ると、ドドイル神官が考える仕草を見せた。
これ、私が神殿を避けていたせいで、情報を貰えなかったという落ちか。
済んだことはしょうがない。ドドイル神官から話を聞こう。
「御父上様の御達し通り、スラムにいた人々には職業訓練を施しています。キャーチャー閣下からの援助も潤沢ですし、今のところは順調といったところでしょう」
「わー」
よかった。初めての試みだから、色々とトラブルが発生するのはないかと予想していたけれど、いい感じみたいだ。
ドドイル神官が穏やかに説明してくれいたのは束の間だった。彼の表情が翳っていく。どうした?
「ただ、働くのは難しい者もいまして」
「わー……」
まあ、そうだろうな。
子供はもちろん、体が弱ったお年寄りや傷病人だと、普通の労働は担いにくい。神殿や国が奨励したとしても、そういうことに不慣れな社会構造では、互いに戸惑って受け入れるまでに時間が掛かることもあるだろう。
仮に便宜を図ってもらえても、労働どころか日常生活でさえままならない人だっているはずだ。
この世界、怪我や病気がぱっと治る薬や魔法が存在する一方で、怪我や病気で苦しむ人が多い。
怪我のほうは、事故などよりも、魔物が存在するからという面が強いだろう。町の外へ出る人たちは、軽い怪我など日常茶飯事。命に関わる大きな怪我だって珍しくはないのだから。
優れた薬や治癒魔法の恩恵に預かるには、それなりの金額が必要になる。それにガドルみたいに手足が欠損してしまえば治せない。五体満足で健康な身体のありがたさよ。
とりあえず、まだ働き口が見つからず、神殿で保護している人たちの所へ連れて行ってもらう。移動中に、神殿の一角にある倉庫を片付けて、間に合わせの宿泊所にしたと説明してくれた。
入ってみると、中は仕切りもない空間が広がる。まばらに残っている人たちの中には、体の調子が悪いのか、横たわっている人もいた。
子供を連れた女性の姿もある。彼女たちは真剣な目を手元に落とし、繕い物などの手仕事に精を出していた。スラムでは虚ろで思いつめた目をしている女性が多かったけれど、今は目に力がある。
やっぱり、好んでスラム生活を選んだ人ばかりではないのだ。劣悪な環境から抜け出せる道があるのならば、そちらに進もうと歩き出す人たちは存在する。
「御父上様のご提案で、簡単な作業を斡旋しております。ここにいない者たちは教会の奉仕活動に参加していただいたり、職業訓練を受けさせております」
「わー」
改めて様子を観察していると、私に気が付き立ち上がる子供がいた。始めてスラムで炊き出しをしたときに、私が提供したパン粥を食べずに持ち帰った少年だな。
彼の隣で繕い物をしていた女性が手を止めて、不思議そうな顔をしている。少年のお母さんかな? 傍にいたお婆ちゃんも手を止めて、少年に何か話しかけた。
じっとこちらを見つめていた少年が口を動かすと、お婆ちゃんが私のほうを見る。お母さんが唇を動かすと、少年の顔が笑顔に変わった。
「人参!」
「わー!」
駆け寄ってきてくれた彼は元気そうだけれども、服の袖から覗く腕は細い。背丈や顔を見るに、就学前の幼児っぽい。
ガドルのすぐ前に立った少年は、私をじっと見上げる。だけど徐々に笑顔が曇り、困った顔をして首を傾げてしまった。
「わー?」
どうした?
「あの時の人参じゃないの? 兄弟? お母さんが、パン粥をくれた人参に御礼を言いたいって言っていたんだけど……」
「わー……」
ここでも死に戻りの弊害か。
私が本人参なのだけれども、それを伝えればこの子に無用な苦しみを与えることになる。
『そのにんじんは、私の父だ。私は息子のにんじんジュニアという』
不本意だが、ジュニアとして名乗りを上げよう。
少年は納得した様子で、向日葵みたいな笑顔を咲かせた。
「そうなんだ。僕はポルだよ。お母さんに会ってもらってもいい?」
「わー!」
もちろんだとも。
ガドルも頷いてくれたので、一緒にポル君のお母さんの所へ向かう。そこには彼のお母さんだけでなく、お婆ちゃんもいる。
女手一つでポル君を育て、お婆ちゃんのお世話もしていたなんて、大変だったろうな。まだお若いのだろうに、腕は骨と血管が浮くほどに痩せていて、顔もやつれている。
「お母さん、にんじんを連れてきたよ」
お母さんの隣に座ったポル君が、手を取って優しく声を掛けた。
「にんじんさん、ポルの母のディリレと申します。お父様にはたいそうお世話になりましたの。パン粥を頂いた上に、こうして神殿のお世話になれるように配慮までしてくださって。返しても返しきれない御恩があるというのに……。とても素晴らしいお父様でしたわ。ありがとうございます」
涙で声を詰まらせるディリレさん。どうやら聖人参が死霊系迷宮で枯れ果てたことを、彼女は知っていたらしい。
感謝の言葉を頂いているのに、維管束がほかほかするどころか、きりきりと締め上げられる複雑なマンドラゴラ心よ。
ガドルも密かに目を明後日の方向に向けて、口を一文字に引き結んでいる。
居心地が悪いのだな? よく分かるぞ、相棒よ。
それはそうとディリレさん、私のほうを見ていない。薄い水色の瞳は、もしかすると見えていないのではなかろうか。だとすると幼いポル君がいるからではなく、彼女自身の問題で居残り組にいる可能性がある。
「私からもいいですか?」
ディリレさんの事情を予想していると、お婆ちゃんも声を掛けてきた。小柄な体が猫のように丸くなっている、優しそうな顔をしたお婆ちゃんだ。
「わー」
どうぞ遠慮なく。
一つ頷いたお婆ちゃんは、丸い身体を更に丸める。
「お父様にはお世話になりました。以前は起き上がることすら難しかったのに、こうして座るくらいは出来るようになりました。なぜあのように素晴らしい御方が、先に旅立たれてしまうのか」
涙を拭うお婆ちゃん。
「わー……」
ごめんなさい。私、生きています。お婆ちゃんの目の前にいるマンドラゴラが、そのお父様です。
土下座して謝りたい気分だよ。無駄に悲しませて本当にごめんなさい。
悲嘆にくれる私の葉を、ガドルが優しく撫でてくれた。彼も複雑な表情をして、込み上がる感情を呑み込もうとしている様子なのに。