18.それでまともな生活が
「それでまともな生活ができると?」
ポッコリーギルド長が、鋭い眼差しを向けてきた。
そこなんだよな。政府が補助金を出すなどしなければ、一生懸命働いても最低限の生活費すら稼げない人は存在する。貧困層を救う制度が存在しないこの世界では、ポッコリーギルド長の疑問は必然。
とはいえ取り繕うつもりも、口車に乗せるつもりもない。
『無理だな』
はっきりきっぱりと答えた。
とたんにポッコリーギルド長の顔が、すんっと無表情になる。ガドルも真剣な表情で私の意見に耳を傾けていたのに、眉をひそめて困惑気味だ。
『いや、無理とは断言できないけれど、難しいのは事実だろう? そうだな。貧困者が暮らす住宅を用意するとか、食料を安く仕入れて配給するとか、別の対策も並行して行わないと難しいと思うのだ』
現実世界では、農作物の形が歪だったり、色が悪かったり、わずかな傷が付いているだけで規格外として処分されたり、捨て値で売られたりしていた時代があったと習った。だけどそんなの、限られた地域の限られた時代だけだ。
傷の付いた林檎だろうと、二股の人参だろうと、この世界では普通に市場に並び買われていく。そして美味しく頂かれる。店で出す料理だって、余ったからといって捨てられることはない。
それでも探せば、知恵を出し合えば、どこかに改善策は転がっているはずだ。
ポッコリーギルド長が私を見定めるように、じいっと見つめる。最初に会ったときの小物臭は消えていた。校長先生とか社長さんと対峙している気分になってきて、今度は私のほうが皮に薄っすら滲む露を拭きたい気分だ。
「わー……」
そろそろ撤退したいな。時間も押してきたことですしとか言ったら、帰れるだろうか?
「なるほど。面白い」
長い沈黙を経て、ポッコリーギルド長がにまりと口角を上げた。
「わー?」
どういった心境の変化かと見上げていると、ポッコリーギルド長の視線がガドルに移る。
「こちらのマンドラゴラを、譲っていただくわけには――」
にこやかに微笑むポッコリーギルド長が言い終わる前に、ガドルから凄まじい殺気が迸った。
私に向けられたわけではないのだけれども、表皮が摩り下ろされるような寒気が走り、総根毛立つ。直接殺気を当てられたポッコリーギルド長に至っては、顔を土気色にして、がくぶるがくぶると震えている。
「にんじんは俺の相棒だ。ふざけたことを言うのなら容赦はしない」
「はひっ!」
今までに聞いたことのない、怒気をこれでもかと含んだ低く太いガドルの声。声量はいつもと変わらないし、怒鳴るように荒げたわけでもない。なのに、維管束がきゅっと縮こまった気がした。
ガドルの気持ちは嬉しいけれど、今彼の顔を見たらトラウマになりそうだ。ぜったいに振り向かないぞ。
とはいえ怯えきっているポッコリーギルド長を眺めているのも、気の毒で維管束が痛い。
「わー……」
視線を動かし、壁に掛かった絵画を鑑賞することにする。
縁に果物が描かれた平皿の上で、分厚いステーキが湯気を立ち昇らせる写実的な描写だ。中々斬新な題材だな。
少し待って、ポッコリーギルド長が落ち付いたところで話を再開する。
ファードで店を出す許可を貰い、パンケーキを作れそうな、元飲食店の物件を紹介してもらう。
スラムで暮らしている人たちは家を持っていないだろうから、部屋が多い物件があれば住み込みができていいな。
提示されたのは二店舗。どちらも賃貸物件だ。
一つは表通りに面した元喫茶店。二階が居住スペースになっていて、部屋数は二部屋。
もう一つは元食堂兼宿屋。一階が食堂になっていて、二階に客室と主人部屋があった。客室はあまり広くないけれど四部屋もある。
客入りを考えれば前者。住み込みで雇うと考えると後者がいいな。賃料は前者のほうが高い。
とはいえ人気が出れば辺鄙な場所でも客は来るものだ。山奥にぽつんと立っているのに、客が途切れないパン屋もあるからな。
それに最初は閑古鳥が鳴く程度のほうが、仕事に慣れていない人たちにはやりやすいかもしれない。
『食堂兼宿屋のほうで頼む』
「承知しました。では家主さんとの交渉に移らせていただきますが、見学はよろしいですか?」
「わー……」
そうだよな。普通、見学してから決めるよな。書類だけ見て決めるとか、博打過ぎる。
迂闊な自分を反省して、見学を申し込む。見学は家主さん立会いの下で行われるそうで、明日以降となった。簡単な面接も兼ねているそうで、そこで嫌われたら借りられない場合もあるそうだ。
一先ず必要な内容はまとまったので、商業ギルドを後にした。
・・・
ニホンアマガエルの着ぐるみを装着し、ガドルの肩で揺られる。
「この後はどうする?」
ガドルに聞かれて考えた。
「わー……」
そうだな。薬師ギルドに行ってパン粥を作ろうか。それとも、先にスラムへ顔を出すか……。炊き出しならその場でも作れるな。
『スラムへ行こう』
噴水広場を通り過ぎ、路地を通ってT字路へ。左右を見ると、以前に比べて人の数が格段に減っていた。数えるほどしかいない。特に女性と子供の姿がないな。
「わー?」
どうしたのだ?
不思議に思っていたら、ガドルが近くにいた人に聞き込みをする。
「あ? 他の連中だ? 神殿の奴らが連れて行ったよ」
どうやら神殿が、私との約束を守ってスラムの人たちを保護してくれたみたいだ。
「わー」
よかったよかった。
傷病人から子供や女性、老人も多かったからな。こんな雨風さえ防げないような場所だと、いつ体を壊して儚くなってしまうか分からない。
ほっと根を撫で下ろしている間も、ガドルは男との会話を続けていた。
「お前は行かなかったのか?」
「行くわけねえだろ。こちとら信仰心なんかないし、決められた生活なんて御免だからな」
止むを得ない理由でスラムに行きついた人がほとんどだろうけれど、自由を求めてスラムへ辿り着いた人もいるのだな。
『では神殿へ行ってみるか』
「そうだな」
くるりと向きを変えて、神殿へ向かう。
そうしてファードの神殿に到着した私たちは、ドドイル神官と対面した。スラムについて質問すると、驚いた顔をされる。