16.困っていたら
「わー……」
困っていたら、ガドルの手が伸びてきた。私を軽く握ると、親指で器用に生地を取り除く。
「わー」
くすぐったいぞ。
根を捩ったら、ガドルが面白げに笑った。
洗い終わると、布巾で拭かれる。
『ついでに濡らして絞っておいてくれるか?』
「分かった」
頼んでから、隻腕のガドルでは濡れ布巾を絞れないことに気付いたけれど、無用な心配だった。片手で握りこみ、水を絞る。たぶん現実の私が両手で絞るより、しっかり絞られていると思う。
硬く絞った布巾はテーブルの上に置いてもらい、広げていく。
「わー……」
二股の根で広げようとしたのだが、私だけだと巧くいかなかった。端をガドルが抑えてくれたので、反対側の布端を片根冠で押さえ、引き摺って進む。何度か繰り返すと、ちゃんと広がった。
『さて、後は焼くだけだ』
コンロで熱したフライパンを布巾の上へ移動してもらおうとして、思いとどまる。
布巾越しでもテーブルを傷めそうだな。高そうな机だから、万が一があってはならない。このまま焼くか。
生地を引く前にフライパンを熱源からおろし、濡れ布巾の上で冷ますことで、焼きむらを減らせる。だけどガドルは気にすまい。
とりあえず火力は弱めておこう。何のために布巾を敷いたのやら。
『生地をすくってフライパンの上に垂らしてもらえるだろうか?』
「いいぞ」
私が伝え忘れている物があると思われたのか、コンロと共に様々な調理器具が運び込まれていた。その中からお玉を選び、ガドルに使ってもらう。
生地をすくってフライパンの上に落とす。続けて二杯目を入れようとしたので、いったん止める。
手慣れた人ならば大きなパンケーキでも問題ないけれど、ガドルは料理初心者。そして私はマンドラゴラ。小振りのパンケーキでなければ、綺麗にひっくり返せまい。
「わー?」
待てよ。
慌ててテーブルの上に並ぶ調理器具を確認。次いでアイテム一覧を開いて目を通す。
危惧した通り、フライ返しがなかった。
「わー……」
どうしたものかと悩んでいる間に、生地に火が通っていく。私が人型なら箸でひっくり返すけれど、ガドルに頼むのは無理があるだろう。仕方がない。このまま焼き上げてしまおうか。
そう思っていたら、ガドルが私の様子に気付いた。
「どうした?」
『生地をひっくり返したいのだが、返すための器具がないことに気付いてな』
正直に答えると、ガドルがそんなことかと呆れ交じりに苦笑する。そしてフライパンに手を突っ込み、パンケーキを鷲掴みにした。
「わ?」
え? ガドル?
戸惑う私など置き去りにして、フライパンから離れていくパンケーキ。ひっくり返されて、再びフライパンに戻った。
「……わーっ!?」
驚く私に、ガドルが目を丸くする。
「にんじん? どうかしたか? ひっくり返せばいいのだろう?」
そうだけど! そのフライパン、熱々だぞ? パンケーキだって熱々だぞ?
私が叫んだことで、ガドルは自分が失敗したとでも思ったのか。私とパンケーキを交互に見る。だがそこではない。
『火傷しなかったか?』
慌ててガドルの手元に駆け寄った。
きょとんっと丸くした目を瞬いたガドルが、白い歯を見せて笑う。
笑い事ではなかろうに!
「この程度で火傷するほど、薄い皮膚ではない」
ガドルは私が何に慌てたのか知り、落ち付きを取り戻していく。手を差し出して、私に指先を見せた。
近くまで寄ってしげしげと観察する。
赤くなったりはしていないな。だけど念のため、【友に捧げるタタビマの薫り】が入った小瓶を一本取り出した。
ガドルは眉をひそめつつも、袋から取り出したように偽装するのを忘れない。
「怪我はないというのに、心配性だな」
呆れ混じりに肩を竦める。だけど彼はすでに小瓶の蓋を開け、舌なめずりしていた。
タタビマを原料にして作った【友に捧げるタタビマの薫り】は、彼にとっては回復薬であると同時に嗜好品。酒のようなものだ。怪我がなかろうと差し出せば喜んで飲む。
「わー……」
強くて格好いい男なのに、ここだけが残念なんだよな。
私が注ぐ、じとりとした視線に苦笑しながら、ガドルは美味そうに【友に捧げるタタビマの薫り】を飲み干した。
焼き上がったパンケーキは、ガドルがやっぱり素手でフライパンから皿へ移す。いい子は真似をしてはいけません。
しかしこれで完成だ。
「わー!」
歓声に被さるように、天から声が降ってきた。
≪薬膳が作成されました。名前を付けますか?≫
「わー?」
ただのパンケーキなのに?
疑問を抱いたけれど、使った材料を思い返し納得する。
卵の栄養価が高いのは誰もが知るところ。乳豆の成分は知らないけれど、豆乳をモデルとしているのなら、こちらも健康にいい飲料のはず。全粒粉もビタミンやミネラルが豊富だ。そして――
「わー……」
私だな。水に浸かっているだけでマンドラゴラ水と判定されるのだ。生地を混ぜ混ぜした工程で、マンドラゴラエキスが染み出たのだろう。
まあいい。
「わー!」
『友と作る基本のパンケーキ』でお願いします。
≪【友と作る基本のパンケーキ】がプレイヤーレシピとして登録されます≫
よし。これで次からは自動でパンケーキが作れるぞ。
というわけで、ポッコリーギルド長用に二枚目を自動調薬で焼く。私が駆け回った生地で焼いたパンケーキを、初対面の人に食べさせるのは気が引けるからな。
しかし――
「わー……」
どうやって作ったか、ちゃんと考えてから発動させるのだった。
見えない手によって泡立て器代わりに使われ、生地を掻き混ぜさせられる私。逆らっても仕方ないので、されるがままに任せる。
「わぁぁぁぁ……」
ガドルとポッコリーギルド長が、唖然とした顔で私を凝視していた。気持ちはとてもよく分かるよ。
混ぜ終わると、根も葉も生地でべとべとにされた姿で、ぽいっと予備のボウルに放り出される。
「わー……」
振り回されて根冠下はふらふら。起き上がる気力もない私を、無言でガドルが洗ってくれた。
「にんじん……」
「わー……」
色々と言いたいことがあるだろうに呑み込んで、虚無の表情で私を見下ろす。奇怪な相棒ですまぬ。