09.今日呼んだのは
「今日呼んだのは、神殿の件もあってだ」
「わ?」
神殿に何かあったのか?
「件の迷宮が解放されたことは知っているな?」
「わー」
問われて頷く。
私がガドルと封鎖されていた地下迷宮へ潜っている間に、地下迷宮から魔物が溢れた。それらは住人たちと異界の旅人が協力して討伐したと聞く。
その出来事を受けて、地下迷宮は王家が管理することが決まる。そして迷宮内の魔物を間引くために、冒険者たちに解放された。
「死霊系迷宮を攻略するには、聖魔法を使える神官か、聖水が必要になるだろう」
「わー」
死霊系迷宮と呼ばれることになった地下迷宮に棲む魔物は、新しく付けられた名前が示す通り死霊系だ。ちょっと、いやかなり、一般的な死霊系からずれている気がしなくもないけれど。
その死霊系の魔物を討伐するには、聖魔法や聖水が威力を発揮する。
「神官長の話では、聖人参様が作る聖水は、質がいいとか?」
「わー……」
閣下。今、『聖人参様』のくだりで吹き出しそうになりましたね? ガドルも横を向くな。
「わー?」
ガドルをじとりと睨み上げると、更に顔を背けられた。
憶えているがいい。しばらく禁タタビマさせてやる。
「にんじん殿が神殿にいるのなら問題なかったのだが、そうでないのであれば、どうであろう? 聖水を王家に提供してもらえないだろうか? 無論、祈りの泉の水はこちらで用意するし、報酬も出す」
『構わない。役に立つのなら、無理のない範囲で作らせてもらおう』
特に大変なスキルではないからな。魔力が減るから、無尽蔵に作れるわけではないけれど。
などと安易に承諾したのだが、直後に嫌な予感が駆け巡る。キャーチャー閣下が真面目な顔を一瞬で取り払い、満面の笑みを浮かべたのだ。
「そうか、そうか。それはよかった」
「わー?」
閣下が手に取った鈴を鳴らす。
間を置かずに入室した執事の手には、大きな樽が抱えられていた。話の流れから、中身はたぶん、神殿の奥にある祈りの泉の水だろう。
「わー……」
すでに用意済みなのね。
ところで私、執事さんに目撃されている気がするのだけど、問題ないのだろうか? 私の正体は一応秘匿されているはずだけれども。
まあいいか。町中では普通に歩いているし、スラムでは治癒魔法も使いまくってるからな。正直なところ、隠す意味があまり見出せなかったりする。
執事が出て行ったところで、キャーチャー閣下が期待の籠った眼差しを私に向けてきた。そんなに聖水が不足しているのだろうか?
「祈りの泉の水だ」
「わー」
でしょうね。
とりあえず頷く。
「神官長から、聖人参様の素晴らしさを聞かされてな。通常は小瓶一本分の聖水を作るのも大変だと聞くのに、一株で樽ごと聖水に変えられるそうではないか。ぜひ、この目で見てみたくてな」
「わー……」
これはあれか。閣下の前で披露しなければならない流れか。
ついっと視線を外し、おもむろにチャコガエルの着ぐるみに潜る。
『きりっ、きりっ』
私はただのチャコガエル。聖人参などではありません。
キャーチャー閣下が思わずといった様子で目尻を緩めたけれど、眼は早くしろと急かしていた。逃がしてくれる気はないらしい。
「わー……」
くっ。権力者め!
恨めしく思いつつも、新たな着ぐるみを頂いてしまった恩がある。
「わっ!?」
はっ! このために先に渡してきたのか! 受け取ってしまった以上、断りづらい。なんて策士だ!
「わー……」
青汁を呑みつつ、チャコガエルの着ぐるみを脱いだ。
閣下からは期待の眼差しを。ガドルからは興味津々な眼差しを受けながら、樽の前に立つ。
ガドルはすでに私の踊りを見ているはずなのだが、なぜ注目するのだ? 聖水を作る所は見せていなかったからか? まあ、いいか。
「わ!」
行きます!
二股の根で、前横後ろとステップを踏み、ぴょんっと跳ねる。これを四回繰り返し、続いて前進。
「わー、わー、わー、わー」
葉を反らして。
「わわわ、わっわわわっ!」
マイムベッサンソ! っと。
そして光り出す、樽の中の水。
ちらりとガドルとキャーチャー閣下を見やると、ガドルは顔を背けて肩を震わせ、閣下は腹を抱えて笑っていた。
「わー……」
くっ。なんたる羞恥プレイ。
そもそもガドルはこの踊りを見慣れているはずだろうに。なぜ笑う?
「神官の秘術と聞いていたが……。たしかにこれは、秘術にせねばなるまいな」
笑いを耐えきれないキャーチャー閣下が、息を詰まらせながら仰る。
秘術だったのか……。
「いやあ、いいものを見せてもらった」
大満足の閣下とは対照的に、私はアンニュイな気分だ。
「わー……」
だが高貴な身分である閣下に文句を言うのは気が引ける。なので、先ほどから口を手で押さえて視線を合わせないガドルを睨み上げた。
「わー?」
「すまん。そう怒るな」
「わー……」
怒っているわけではない。拗ねているのだ。
申し訳なさそうに謝ってくれたけれど、維管束のもやもやは解消されなかった。
「許してやれ、にんじん殿。にんじん殿が踊るのは愛らしかったが、ピグモル神官長や神官たちが真面目くさった顔で同じ動きをするのかと思うとな」
「わ!? わわっ」
未だ口元が笑っているキャーチャー閣下の指摘を聞いて、私まで噴き出してしまう。
聖水の作り方も聖魔法の使い方もポーリック神官に教えてもらったから、実際に踊っているところは見ている。その時も呆気にとられたものだけど、厳かな雰囲気の中で神官たちが真剣な表情をして踊っているところを想像すると、かなり滑稽だ。
外部の人間には、たとえ王族であろうと見せたくはなかろうよ。秘術とされるわけだ。
「さ。これで機嫌を直してくれ」
「わー? わ?」
根元を向けると、いつの間にか部屋に執事が入ってきていた。キャーチャー閣下に箱を差し出すと、流れるように扉から出ていく。見逃しそうなほど自然な動きである。
そうして机の上に置かれた箱から出てきたのは、ニホンアマガエルの着ぐるみ。目元に凛々しい茶色の線が伸びる、日本では御馴染の蛙だ。指に吸盤が付いているため、ガドルの鎧にぴとりと貼り付ける。見た目も機能も素晴らしい一品だ。