08.装着を終えて
装着を終えて、テーブルの上に戻される。湖面のように磨き上げられたテーブルに映る私は、チャコガエルになっていた。
角ばった体形をした、騎士を思わせる凛々しい姿。腰に剣を装備したら似合いそうである。リングの中に細剣があったはずだ。私が装備すれば、大きさが調整されないだろうか?
身体に対して短い前足で動きは鈍そうに見えるが、蛙だけに跳躍力は抜群だ。緑と茶色の斑模様は、ジャングルではよい迷彩効果となるだろう。
『ジャングルでぱっくん~蛇が降ってきてギャーッ!~』の前作、『田んぼでばったり~蛇が泳いできてギャーッ!~』にも、チャコガエルがいた。南米のチャコ地方に生息する蛙がどうして田んぼにいたのかは、ゲームの都合だ。土の中に潜って暮らす地中棲だから、水深が深いと溺れることもあるのに。
そのため、『田んぼでばったり~蛇が泳いできてギャーッ!~』で出会ったチャコガエルのチャコパパは、田んぼに水が張っている間は畦道が棲みかという、特殊プレイを強いられていた。かと思えば、田んぼが乾いている時期には土に潜って半月ほど出てこなくなったりと、癖が強かったな。
彼は奥さんを娶って子供を百八匹作るという目標を達成できたのだろうか? 一度の産卵で五百個ほどの卵を産むから、巧くいけばすぐに達成できそうだけれども。
ほんのりと『田んぼでばったり~蛇が泳いできてギャーッ!~』を思い出してしまったが、今はキャーチャー閣下の御前である。余計な思考は振り払わねば。
「うむうむ。似合うぞ、にんじん殿。さ、動いてみてくれ」
御礼を言おうと根元を上げたら、キャーチャー閣下から、さあさあと促された。
「わー……」
閣下。これ、私へのご褒美というより、閣下のお楽しみになっていませんか?
嬉しいけどね! ありがたく頂くけどね!
「わー。……わ?」
立ち上がろうとして、こてりと転んだ。
前に閣下から頂いたイエアメガエルの着ぐるみは、立って歩くこともできた。でもチャコガエルの着ぐるみは、二股の根で立てそうにない。骨格の問題だろうか?
だが私にとっては然したる問題ではない。『田んぼでばったり~蛇が泳いできてギャーッ!~』で鍛えた蛙プレイ。しかとお見せしようではないか。
『きり、きり』
チャコガエルの鳴き真似をしてから、ぴしょんっとテーブルの上を跳ねる。着地も見事に決まった。
初チャコガエルなので巧くいくか不安もあったのだけれども、さすが私。『田んぼでばったり~蛇が泳いできてギャーッ!~』で知り合った蛙たちも、賞賛を贈ってくれることだろう。
満を持して、きりりとキャーチャー閣下を見上げる。
「わー?」
如何であろうか?
キャーチャー閣下は子供のように目をきらきらと輝かせて、私を見つめていた。
「さすがだ、にんじん殿!」
満足気に頷き、賛辞を贈ってくださる。
「わー」
ふっ。ご満足いただけて何よりだ。
「……にんじん。……閣下……」
ガドルの目からハイライトが消えているけれど、きっと照明の位置が悪いのだろう。
・・・
「ところで、二人はもう神殿には住まないのか?」
一しきりチャコガエル姿の私を堪能したキャーチャー閣下が、紅茶を飲みながら問うてきた。
私もチャコガエルの着ぐるみを脱いで机に座る。ソファに座ると机の陰になって、キャーチャー閣下が見えないからな。
行儀が悪いって? 植物だからいいのだ。花瓶に挿されるどころか、植木鉢のままテーブルに居座る観葉植物もいる。マンドラゴラがテーブルに座るのも許されるはずだ。
さて、キャーチャー閣下の問い掛けに、どう答えるべきか。
私とガドルは神殿で暮らしていた時期がある。手に入れたアイテムが神殿にとって貴重なアイテムだったり、私が治癒魔法を使えたりといった幸運が重なって、ピグモル神官長が部屋を用意してくれたのだ。
そのときに神官になることを勧められて、なぜか神官ではなく聖人参になってしまったけれども。
「わー……」
本当に、なぜだろうな。
だけど私はガドルの汚名を雪ぐために地下迷宮へ潜り、巨大骸骨との戦いでゲームオーバーになってしまった。
この世界の住人たちは、ゲームオーバーになったプレイヤーを、ゲームオーバー前の人物とは別人だと認識する。同じ人物ではないかと疑うだけで、ひどく気分が悪くなるそうだ。
親しくさせてもらっていた神殿の人たちは、このシステムのせいで私を見るたびに苦しそうな顔をする。だから神殿に行くのは避けていた。
『元々分不相応な扱いだと思っていたし、今は私のことを考えると混乱するみたいだからな』
私の言葉を受けて、キャーチャー閣下の眉間にしわが寄っていく。
「まったく面倒なことだ。コツは掴んだがな」
にやりと不敵に笑うキャーチャー閣下は、どこか楽しげだ。
本来ならば、誰も私を『最初のにんじん』と認識できないはずだった。だけどガドルは、私を『にんじん』だと分かってくれた。
そしてキャーチャー閣下は、理性で私を『にんじん』だと認識している。未だに私が過去の『にんじん』と同一人参だと意識すると、不快感が生じるらしい。だけどそんな強制力さえも、彼にとっては遊戯扱いみたいだ。
「神官長たちは神への信仰心が篤い。逆らえないだろうな」
「わー」
神殿に祀られているのは女神様だけれども、この世界を創ったのは運営だ。創造神が決めた仕組みを、神に仕える者たちが否定することは難しい。寂しいけれど、仕方のないことである。
この世界をゲーム世界と考えるならば、呪縛から外れたガドルとキャーチャー閣下のほうが異常だろう。……単に好感度が関係するだけかもしれないけれど。
「わー?」
ふと思い立ち、ガドルを見上げた。
ガドルは不調を隠したりしていないよな? 平気だと言っているけれど、苦しくても私に心配をかけまいとして隠しそうだから心配だよ。
私の言いたいことを読み取ったのか、ガドルは軽く眉を跳ね上げてから苦笑を零す。
「俺が不調を感じたのは最初だけだな。今は平気だ」
「不思議なものだな。なぜガドルだけ問題ないのか」
「わー」
キャーチャー閣下に深く同意する。だがそれだけガドルが私を相棒として認めてくれていたのだと思うと、嬉しくもある。
「わー!」
私もガドルを裏切らぬぞ!
決意を新たにしていると、キャーチャー閣下がこほりと咳払いをした。思考を切って根元を上げる。
キャーチャー閣下からは、砕けた私人の顔が消えていた。国政を司る王族の顔となった彼を見て、私とガドルは気を引き締める。