54.夕食と部屋を用意したという
夕食と部屋を用意したと言うドドイル神官に首を振り、夜を徹してひたすらに待つ。
朝が来ても、小さな友は現れない。
「にんじん……」
やはり死んだ者が戻ってくることなどないのだ。あの言葉はきっと、ガドルが無茶をしないようにと言っただけだろう。
どうして彼を守り切れなかったのか。どうして自分の願いを優先してしまったのか。
後悔が何度も彼を責め立て苛む。
「女神キューギット様。どうか、にんじんを返してください」
跪き、祈った。
太陽は高く昇り、下っていく。窓から差し込む明かりが、赤く染まっていった。
ガドルはまだ祈り続ける。
「どうか、にんじんを――」
『待たせたな。友よ』
反射的に顔を上げたガドルは、入り口を振り返った。
赤い夕陽を背後に、小さな影が一つ。
「にんじん?」
そこにいたのは、一株のマンドラゴラ。けれど彼が知るマンドラゴラとは、何かが違う。
「本当に、にんじんなのか?」
マンドラゴラの個体識別が出来るほど、彼はマンドラゴラに詳しくない。なのになぜか、目の前のマンドラゴラは、彼の友だったマンドラゴラと同じ存在ではないと感じた。
『住人は、蘇った異界の旅人を、同一人参と認識できないとは聞いたが……。私が分からないとは、酷い友だ』
そう言って、根元を竦めるマンドラゴラ。
≪それはあなたの知るマンドラゴラではありません。あなたの友は、もう存在しないのです。惑わされてはいけません≫
頭の中で、マンドラゴラの言葉を否定する言葉が繰り返される。そしてノイズが視界を歪めていく。
世界がガドルの思考を拒絶していた。
双眸から溢れる熱い涙の向こうで、マンドラゴラがゆっくりと近付いてくる。
『また、一緒に冒険をしてくれないか? 友よ』
ガドルの耳の奥で、ガラスが割れる音が響く。そして――
「ああ。もちろんだ、友よ」
一瞬だけ、くしゃりと顔を歪めたガドルは、にやりと不遜な笑みをマンドラゴラに向けた。
***
デスペナルティのせいで、二十四時間ぶりにイセカイ・オンラインの世界を訪れた私は、すぐにファードの神殿を目指した。
初日に見たスライムは、別スライムだったんだな。
住人は、死に戻りした異界の旅人を本人だと認識できないという。だからガドルも、私のことを忘れているかもしれない。
そんな不安を覚えながら辿り着いた神殿で、彼は待っていてくれたのだ。最初は本当ににんじんなのか訝しがっていたけれど、結果として受け入れてくれた。
『あの後、どうなった?』
椅子に並んで腰かけて、私が落ちた後の話を聞く。
ガドルの顔は濡れていて、目が赤くなっている。
……きっと夕日のせいだな。
「にんじんが残してくれた【聖水】のお蔭で、見事ダンジョンを制覇したぞ。目的の映像も手に入れた」
「わー!」
おめでとう!
最後の瞬間。とっさにありったけの【聖水】を出したのが、役に立ったみたいだ。
「全部、にんじんのお蔭だ」
『ガドルの頑張りだ。私は少し手を貸したにすぎん』
魔物のほとんどは、ガドルが倒したからな。私はガドルにくっ付いていって、おこぼれを貰っただけ。
「お前は本当に、変なマンドラゴラだな」
「わー?」
その日は特に何をするでもなく、ガドルと他愛のない話をして過ごした。
そして翌日。
ログインした私はガドルと合流して、久しぶりにファードの薬師ギルドを訪れる。
「……マンドラゴラだね。少し前にもマンドラゴラが来たけれど、最近のマンドラゴラは、薬になるのではなく、薬を作るのがブームなのかい?」
「わー……」
たぶん、そのマンドラゴラも私です。
調薬室を借りて、【妖精の悪戯な飴玉】を作った。【砂糖茸】はないので、白砂糖を使う。
それから王都へ。
「ガドル様、にんじん様はご一緒ではないのですか?」
「わー……」
転移した先にいたピグモル神官長に問われて、私とガドルは苦い顔だ。
無言で私を示すガドル。
「ガドル様? 御冗談はおやめください。いくらガドル様といえども、聖人参様を騙るなど……」
眉をひそめてガドルをたしなめていたけれど、途中で声が止まった。
「聖人参、様? ……もしや、にんじん様の御子様?」
「わー……」
知らぬ間に、子供が出来ていた件。
私を見つめるピグモル神官長の視線が、ガドルへ戻る。
「ダンジョンへ向かうと仰っていましたが、まさか、にんじん様は……っ!」
愕然とした表情を浮かべ、よろめくピグモル神官長。
「神官長様!」
ポーリック神官が、慌てて支えた。彼の顔色も真っ青だ。
「わー……」
途方に暮れてしまう私。
ガドルが私だと気付いてくれたから、他の人も大丈夫かと期待したけれど、ピグモル神官長とポーリック神官は、私をにんじんだと認識できないらしい。
慌ただしくなった神殿から逃げるように出て、今度はキャーチャー閣下の館に向かう。
約束は果たさなければな! 私だと認識されなくても、【妖精の悪戯な飴玉】を渡さねば。十秒しか効果ないけど。
館に着くと、使用人に案内されて応接室へ案内される。
アポなしでも入れてくれるとは、懐が広いな。警備の面では不安になるけれど。
しばらくすると、キャーチャー閣下がやってきた。
「ガドル、しばらく見なかったが、ダンジョンに潜ったのか?」
人払いするなり、本題に入る。
「ええ。攻略してきました」
ガドルが小さな水晶玉を取り出し、キャーチャー閣下に差し出した。それに目的の映像が治められているらしい。
キャーチャー閣下は目を瞠って水晶玉とガドルを見比べる。
「驚いたな。本当に攻略するとは」
「わー」
思わず同意してしまう。
魔物の強さはよく分からないけれど、数は多かったからな。ガドルの無双は凄すぎた。
「ところで、そのマンドラゴラはなんだ? にんじん殿はどうした?」
「わー!」
キャーチャー閣下も駄目か!
『友よ。改めて礼を言う。私を憶えていてくれてありがとう』
「にんじん……。当然だろう?」
ふっと渋い笑みを向けられる。
なんてイケメン。
AIちゃん、勝手なことをしてと呆れていたけれど、イセカイ・オンラインに注文を変更してくれてありがとう。帰ったらお礼のアプリをプレゼントしよう。
「まさか、そのマンドラゴラが、にんじん殿なのか?」
私とガドルのやり取りを見て、察したらしい。
「わー!」
「にんじんですよ」
こんな美味しそうなマンドラゴラが、私以外にいるものか。
ガドルも言葉を添えてくれた。
「そうか……。いや、違う……。……嫌な気分だな」
頷こうとしたキャーチャー閣下の顔色が真っ青になり、口元を押さえる。かなり気分が悪そうだけど、それでも真偽を見極めようと、私をじっと見つめた。
「わー……」
無理はしないでほしい。
にんじんジュニアと名乗ったほうがいいだろうか?
「正直な話、マンドラゴラはどれも同じに見える。むしろ『にんじん殿ではない』と明確に感じることこそが、にんじん殿である証なのかもしれない」
「わー……」
哲学的だな。
「まあよい。それよりも、映像を見よう」
「はい」
「わー」
私がにんじんであるかどうかよりも、ガドルの冤罪を証明するほうが大切だ。
ダンジョンで手に入れた水晶玉に、体調が戻ったキャーチャー閣下が魔力を流す。すると、空中に立体映像が現れた。