53.俄然やる気を出す私
「わー!」
俄然やる気を出す私。
一方のガドルは、辛そうに口を一文字に引き結ぶ。
「上るんじゃなくて、下っていれば……」
飛ばされた場所から地上を目指すより、ダンジョンボスを目指したほうが、日数は掛からなかったかもしれない。クリアできれば、炎の嵐のメンバーも助かった可能性がある。
そんな後悔が、ガドルの動きを鈍らせたのだろう。
『ガドル!』
視界を覆う、白い手。
「くっ!」
強い衝撃が、私とガドルを襲った。
ボス骸骨に平手打ちされ、私たちは吹き飛ぶ。
壁か床にぶつかったのだろう。間を置かずして、二度目の衝撃が来た。
「わっ」
しかし私はまだ生きている。ガドルが私を庇ってくれたのだと思う。
舞い上がった砂塵が周囲を覆い、視界は真っ白。痛みはないけれど、体がくるくると回っていて、上も下も分からない。
いったい私はどうなっているのだ?
「わー……っ!?」
「にんじん! ――かふっ!?」
私を呼ぶガドルの絶叫が聞こえた。その声が、いつもより遠い。
もしかして私、空中に放り出された? ならばこのまま壁や地面にぶつかれば、私はそこで尽きるのだろう。
だがそんなことよりも、私を呼ぶ声の後に聞こえた、空気を吐き出す音が気になる。
怪我をしたのか? 大丈夫なのか?
考えている時間はない。
「わーっ!」
【聖水(樽)】を収納ボックスから全部取り出す。
「わわーっ!」
【癒しの歌】発動!
「わわわわ~」
届け! ガドルへ!
そして衝撃と共に、私の意識は闇に呑まれた。
***
砂埃が収まり、ガドルは辺りを見回した。蛙の姿も、マンドラゴラの姿も見当たらない。
耳を立てて、友の声を探す。鼻を動かし、匂いを嗅いだ。
そうして分かったことは、この部屋に小さなマンドラゴラは存在しないという事実。
「にんじん……。なぜ……」
絶望が、彼の心を凍らせていく。
ボス骸骨に殴られて折れたはずの骨も、ダメージを受けたはずの内臓も、違和感すらない。最後ににんじんが、【癒しの歌】で回復してくれたのだろう。
「ばかやろう……」
拳を握りしめ、奥歯を食いしばる。
嘆くのは後だ。今は目の前の敵を倒すことだけを考えよう。
友の命を無駄にしないために――。
ガドルはボス骸骨を睨み上げる。鋭く冷たい、敵と認識したものを葬るためだけの空洞の眼。
白い骨の手が、振り上げられた。
ガドルは跳躍する。彼を潰さんと振り下ろされた、その指の隙間から飛び出すと、白い指を足場代わりに、踏み抜くように蹴って跳ぶ。
樽の傍に着地した彼は、反転しながら樽をボス骸骨に向けて蹴った。
「ふんっ!」
ボス骸骨に当たって砕けた樽から、【聖水】が飛び散る。白い骨から蒸気が上がった。
にんじんが使っていた小瓶とは、量が違う。ボス骸骨の骨が爛れていく。周囲にいた骸骨たちは、巻き込まれ消えていった。
ガドルは容赦なく次々と樽を蹴り、【聖水】でボス骸骨を攻撃する。
骸骨にも痛みがあるのか。暴れるボス骸骨は、狙いが定まらない無様な攻撃を繰り出し始めた。
なんなく躱したガドルは、急所を狙って樽を蹴り込んでいく。
「これで、終いだああっ!」
最後の樽を受けて、ボス骸骨はとうとう崩れ落ちた。周囲にいた骸骨は、戦いに巻き込まれたのか、知らぬ間に全滅している。
ガドルの勝利だ。
けれど、彼の表情に喜びはない。胸を埋める感情は、虚しさだけ。
「にんじん……」
流れ落ちる一筋の涙。
奇妙なマンドラゴラだったと思う。底抜けにお人参好しで、どこか抜けていて。
傷付いていたガドルの体だけでなく、心も癒してくれた。
ガドルを友と呼び、ガドルの代わりに怒ってくれる。だから、憎しみを捨てることを選び、笑えるようになれたのだ。
天上を見上げて、涙を呑み込む。
ここで立ち止まることを、小さな友は望んでいないと知っているから。
足を前に進め、部屋の奥にある扉を開ける。
がらんとした部屋の中央にあるのは、大きな丸い水晶。
≪何を望みますか?≫
無機質な声が、ガドルに問うた。
自分と、炎の嵐がダンジョンに入った時の映像を――。
そう言おうと開きかけた唇が震える。
――友を、にんじんを返してくれ。
咽元まで出かかった叫び声。
汚名を着たままで構わない。あの小さな友が傍にいてくれるのなら、他には何もいらないから――。
けれど、ガドルの理性は訴える。
何のために、ここへ来たのか?
何のために、友は命を懸けてくれたのか?
友の善意を無下にするわけにはいかなかった。そんなことをすれば、顔向けできない。
――いや。にんじんなら、許してくれるだろう。
だから、彼はもう一度、口を開き直す。
自分の願いを叶えるために。
「にんじんを……」
言いかけた言葉が潰えた。
脳裏に、ダンジョンでの休憩中に、友が告げた言葉がよぎる。
『もし私が命を落としても、嘆いてはくれるな。私は必ず戻ってくる。……そうだな。ファードの神殿で待ち合せるとしよう。――私を信じてくれ』
ガドルは拳を握りしめた。掌に爪が喰い込み、血が滴り落ちる。食いしばった歯からは、錆びた鉄の味がした。
溢れ出てくる涙を無理やり目蓋で堰き止めると、血を吐く思いで叫ぶ。
「俺と炎の嵐が、このダンジョンに入った時の記録をくれ!」
応えるように、大きな水晶から、硬貨ほどの小さな水晶が吐き出された。失くさないよう、義手の隠しポケットに入れておく。
代わりに取り出した【妖精の悪戯な飴玉】を持つと、ぐっと涙を拭う。そして大水晶に触れた。
「帰還を」
大水晶が光り、ガドルを包み込んだ。
ダンジョンは制覇すると、入り口まで転移で戻れる。
とはいえガドルはこっそり潜ったので、見張りの兵に姿を見られることは好ましくない。
「なんだ!?」
驚く兵の声を捉えるなり、ガドルは【妖精の悪戯な飴玉】を口に含む。そして光が収まり視界が色を持つより先に、駆け出した。
空は赤く染まり、草木の香りが鼻をくすぐる。
外に出てこられたのだ。
……また、一人だけで――。
「くっ」
悔しさや怒りが込み上げてきて、呻き声が零れた。双眸から溢れる涙が、顔をぐしゃぐしゃに濡らす。
それでもガドルは止まらない。
「待っていてくれ、友よ!」
森を抜け、セカードの町へ入る。真っ直ぐに神殿へ向かうと、ファードの町へ転移した。
「ガドル様ではありませんか。にんじん様は、ご一緒ではないのですか?」
ドドイル神官に尋ねられて、ガドルは声を詰まらせる。
「……来て、いないのか?」
「ええ。王都の神殿に向かわれてからは、御無沙汰をいたしております。お元気でしょうか?」
ガドルは答えられない。
訝しげに眉を曇らせたドドイル神官から、顔を逸らす。
「しばらく待たせてもらってもいいだろうか?」
「もちろんでございます」
「感謝する」
女神像の前に並ぶ椅子に腰かけて、ガドルは友を待った。