46.悪い。今
『悪い。今、……えーっと、そう、クエスト中なんだ。もう行ってもいいか?』
「それは失礼。よろしければクエストの内容を、後で掲示板に書き込んでください」
背中に向かって手を振ってくれる中華饅戦隊。
応援してくれるのは嬉しいけれど、声を潜めてほしいと思うのは、私のわがままだろうか。彼らは事情を知らないからな。
「わー……」
若干疲れたが、意識を切り替える。
焦燥に駆られているのは、私よりもガドルのほうだろう。
『すまん』
「にんじんのせいじゃないだろ? だが急ぐ。しっかり捕まっていろ」
「わー」
了解。
走り出すガドルの肩に、腹までぴっとりと貼りつく私。
しばらくして、ガドルの表情が険しくなった。
木々の先に小さな岩山があり、そこに見張りと思われる兵が数人立っている。ついでにプレイヤーらしき存在が数名。後を付けていた人たちだろう。
危惧した通り、ダンジョンは見つかってしまっていた。
「ここってダンジョンじゃないの? どうやったら入れるんですか?」
「ここは立ち入り禁止だ。帰れ!」
「えー? せっかく見つけたのに……」
「イベントをこなさないと、入れないんじゃないか?」
私とガドルは木の陰に身を潜め、様子を窺う。
「あの槍を持った男の後ろから入れそうだな」
「わー」
囁くガドルに、私も小声で返す。
ダンジョンの入り口は板で塞いであるが、人がすり抜けられる隙間がある。
ここから駆け込むだけならば、一分と掛からないだろう。だが気付かれないようにあの隙間を抜けた後、更に入り口から見えない場所まで移動しなければならない。
『行けるか?』
「問題ない。にんじんこそ、覚悟はいいか?」
『無論だ』
視線を合わせて頷き交わしたところで、嫌な台詞が聞こえてきた。
「さっきのNPC冒険者は入ったんだろ?」
「冒険者? どんなやつだった?」
「どんなって……。全身鎧?」
「猫の獣人じゃない? 縞模様の白い尻尾が見えてたぜ?」
「なに!? それは白虎の獣人ではないのか?」
「言われてみればそうかも?」
最悪だ。ガドルのことが知られてしまった。
苦虫を噛み潰した思いでいると、ぐっとつかまれる。
「行くぞ。声を出すなよ?」
いつの間にか鎧を外していたガドルが、私を掴んだ右手で器用に【妖精の悪戯な飴玉】を口に放り込む。視界の端にカウントダウンが表示された。
私を握ったまま、駆け出すガドル。
さすがはネコ科の獣人と賞賛すべきか。足音がない。
ジェットコースターのほうがまだ優しいと思える、酷い揺れと風圧が私を襲う。
【イエアメガエルの着ぐるみ】を着たままだから大丈夫そうだけど、裸のままだったら葉っぱが折れそうだ。
悲鳴を上げる余裕さえないまま、明るかった視界に影が差し、そのままどんどん暗くなっていく。たぶん、ダンジョンに入ったのだろう。
絶叫マシーンで悲鳴を上げる人たちって、絶対に余裕があるよな。
「ここまでくれば、もういいだろう」
「わー……」
足を緩めたガドルの手の中で、私はぐったり萎れていた。
カウントダウンは消えている。
「大丈夫か? にんじん?」
「わー……」
手を上げようとしたけれど、手、ないんだったな。
仕方ないので葉を揺らそうとしたら、吐きそうになった。三半規管はないはずなのに。
『な、何がどうなったのだ?』
まだ気持ち悪いが、どうにか声を出す。
「あのままなら警戒が増して、応援の兵が出て来そうだったからな。とっさに飴を食べてダンジョンへ突入した」
日を替えたところで、兵が増えるだけに留まらず、入り口がしっかり封鎖されかねない。今を逃せばチャンスは失われていただろう。
小声で話しながら、ガドルは歩を進める。
追手を警戒しているのだろう。速度は落としたけれど小走りだ。
ダンジョンの中は灯りがなく暗かった。私には何も見えない。
けれどガドルには見えているのか、はたまた鋭い嗅覚と聴覚で分かるのか、迷いのない足取りで進んでいく。
音が出るのを避けるために鎧を脱いだままのガドルは、私が落ち付くと義手にくっ付けた。
しばらく進んでいくと、少し明るくなる。
ごつごつとした岩窟を想像していたが、鍾乳洞を思わせる滑らかな壁の洞窟だった。そして光源は、松明などではなく火の玉だ。
「にんじん、空き瓶を貰えるか?」
『小瓶と大瓶があるがどちらがいい?』
「……小瓶で」
「わー」
了解。
何に使うのかと眺めていると、火の玉の横をすり抜ける際に、虫を取るように瓶を素早く振った。
すっぽりと小瓶に納まる火の玉。即席ランプの出来上がりだ。
「わー」
巧みな業に、思わず感嘆の声が漏れる。
「火玉だ。核を瓶に閉じ込めれば光源になる。これで見えやすくなっただろう?」
「わー」
はっきりと周囲が見えるわけではない。それでもダンジョン内の様子が分かるようになった。
ガドルが迷いなく進んでいるので一本道かと思ったが、道は幾つもに枝分かれしている。
細い道に太い道。緩やかな登り坂もあれば下り坂もあった。中には腰ほどの高さに空いた穴から伸びる道まである。
そして時々何かの気配があるのだが、私が視認する前にガドルが打ち払ってしまうため、どんな魔物がいるのか分からない。
どのくらい進んだのだろうか。
階段を下りたところで、ガドルが足を止めた。
敵が現れたのかと身構える私。
「安心しろ。二層目に下りた。ここまでくれば、多少喋っても大丈夫だろう」
「わー」
了解。
ガドルは【神鉄の鎧】を装備する。
私は定位置である彼の肩の背中側に移動した。
『忘れていた。私、【聖水】を持っているのだ。あと、その効果を高める付与魔法も教わったのだが、掛けるか? ついでに鎧にも掛けておこう』
せっかく準備してきたのに、忘れていたな。戦闘なぞ慣れておらぬから、タイミングが分からん。
「聖水には限りがあるだろう? 先は長い。浅層は聖水なしで倒せるから、下に行ったら頼む」
『遠慮はいらんぞ? 三十樽用意してきたからな』
「……」
ガドルが無言になった。
ちなみに小瓶サイズは九十九本ある。
だって、材料が神殿の奥にある祈りの泉の水だけなのだ。
神官長は自由に使っていいと言っていたし、私が聖水を作ると神官が喜ぶ。さすがに泉を干上がらせるわけにはいかないので自重したが、作り溜めた私は悪くないはずである。
ちなみに神殿には、五樽ほど寄付してきた。
……今度から薬を作る時は、【聖水】を使うといいかもしれぬ。
なぜもっと早く気付かなかったのだろうか。