33.すでに【祝福】を与えている物に
「ふふ。――さて、すでに【祝福】を与えている物に、重ねて【祝福】を与えることはできません。どうしましょう?」
小首を傾げる女神様。【友に奉げるタタビマの薫り】を供えたせいで、【祝福】を与えられないみたいだ。
そして尋ねてくるということは、【祝福】を与える対象を私が選べるということだろうか?
『ならば、ガドルに【祝福】を頂けないだろうか?』
「にんじん!?」
私はすでに充分、恩恵を受けている。これから危険に飛び込むガドルにこそ、【祝福】が必要だろう。
女神様は眇めた目で、しばし私を見つめる。
「本当にいいの? もう私と会えないかもしれないわよ?」
『構わない』
「それは、あなたのため?」
『無論だ。友の命は何物にも代えがたいからな』
「にんじん……」
私の名を呼ぶガドルの声が震えていた。感動しやすい男である。
しかし然したる信仰心も持たず、立ち寄ったついでに祈る程度のプレイヤーに【祝福】を与えるよりも、住人たちに【祝福】を与えればいいのに。
そんなことを思っていたら、女神様が動き出した。
「いいわ。でもこの世界の人に【祝福】を与えることはできないの。この世界に生まれた時点で、すでに与えているみたいなものだから。だから――」
ガドルが装備していた【鋼鉄の鎧】が光る。そちらに目を奪われている隙に、女神様の姿は消えていた。
「信じられない……」
ぽつりと零れたガドルの声は、驚愕で満ちている。
彼の鎧は白さが増して、白銀色に輝く。しかし、色が変わっただけということはあるまい。
「わー」
【鑑定】。
【神鉄の鎧】
神の祝福を受けた、神の力が宿る鋼鉄でできた鎧。
予想通りだった。
だがどう凄いのかは、私の【鑑定】ではさっぱり分からん。【神金塊】を見た神官たちが騒いでいたから、これも同じく凄いのだろう。鉄だから金より価値は低そうだけど。
「【聖騎士の鎧】より性能が高い。というより、こんな馬鹿げた性能の鎧、初めて見るぞ? にんじんに返したほうがいいのではないか?」
「わ?」
待て。
私の【鑑定】では見えない何かが、ガドルには見えているのか?
まあ見えたところで、私には必要な情報ではなさそうなのでいいけど。
それはそれとしてだ。
『莫迦を言うな。返されても、私に着れると思うのか? それに女神様はお前に【祝福】を与えたのであって、私にではない』
「しかしな……」
ぐだぐだ言うガドルの鎧を這い上がり、肩に乗る。本当に便利だな、【イエアメガエルの着ぐるみ】。
『ほら、宿に行くぞ。取り損ねたら野宿になる』
「はぐらかすな、にんじん」
わいわい騒ぎながら神殿を出て、宿に向かう。
途中ですれ違ったプレイヤーたちが、私とガドルを見て何やら囁いていた。
おそらくガドルの鎧か虎耳に目が行ったのだろう。異界の旅人が選べる獣人に、虎はなかったからな。
それとも私の装備が気になったのだろうか?
ふふん。再現度抜群な【イエアメガエルの着ぐるみ】だ。羨ましかろう。
「わーわーわー!」
「ご機嫌だな? にんじん」
「わー!」
つい歌が零れていたようだ。
適当な宿に入ると、採ってきた【タタビマの実】をマンドラゴラ水に浸けておく。それから【神樹の苗】君を収納ボックスから取り出して、【友に奉げるタタビマの薫り・劣化】を一本。
「にんじん……」
物欲しそうな視線を感じたので、ガドルにも差し出す。
HPは削れていないはずなのだが、タタビマの誘惑に勝てないらしい。
喜んで飲み干すガドルをジト目で眺めてから、改めて【友に奉げるタタビマの薫り・劣化】を吸収した【神樹の苗】君を見る。
今夜も葉を艶やかに煌めかせて、嬉しそうだ。
「わー!」
元気に育てよ。
「植物同士、会話ができるのか?」
『いいや? だが感情は分かるだろう?』
「さっぱり分からんな」
「わー……」
こんなに嬉しそうに煌めいているというのに、鈍い男め。
『それじゃあ、先に寝るぞ? おやすみ』
「おやすみ」
ガドルに挨拶をして、ログアウト。
いつもの時間にログインしたら、森の中にいた。森林浴万歳。
後ろを見ると、木の幹に背を預けたガドルが、【神樹の苗】君ごと私を抱えた状態で干し肉を齧っている。
どうやら朝になって起きた彼は、私を連れて西の森に入ったみたいだ。
この世界の住人であるガドルと、現実世界の生活の合間にやってくる私とでは、どうしても生活時間にずれが出てしまう。
中には一日の大半をゲーム世界で過ごす人もいるそうだが、私はそこまで時間を作れない。
だから私と共に行動するガドルが、私の生活リズムに合わせられないことは理解している。理解しているが、ログアウト中に話が進んでいるのは、ずるをしている気がしてしまう。
ガドルに頼りっぱなしな時点で、今さらかもしれないけれど。
「お? 起きたか? にんじん」
「わー」
土から出て【イエアメガエルの着ぐるみ】を装備。ガドルの鎧に移ってから、【神樹の苗】君を収納ボックスにしまった。そのタイミングで送られてくる、パーティ申請。
「わー」
承諾っと。
「よし。じゃあ早速だが、大蜘蛛に挑みに行っても大丈夫か?」
『問題ない。ところで、何回目だ?』
「……」
目を逸らされた。いったいどれだけ挑んだんだ?
待たせてしまったことを詫びるべきか、ガドルの引きの悪さに同情するべきか、少々悩む所である。
ガドルが移動を開始した途端、聞き慣れた音が聴覚を刺激してきた。夏の夜に睡眠を妨害する、あの不愉快な音だ。
「わー……」
言わずもがな蚊である。しかも五十センチ超えの巨大な蚊だ。口もストロー並に太い。
刺されたら痛そうだな。そして草汁を吸われたら痒いどころでは済まず、干からびそうだ。
「わー!」
ガドルさん、やってしまいなさい!
「にんじん? お前らしくなく好戦的だな?」
「わー……」
寝室に迷い込まれた翌日の寝不足は辛いのだよ。それに、奴らは伝染病を媒介する。赤道近くでは深刻なんだぞ! 日本でも昔は大変だったんだからな!
巨大な蚊も、ガドルは難なく処理する。羽を掴んでぶん投げた。
「わー……」
羽があるのだから、地面にぶつかる前に飛んで生きているだろう。
飛んでいく巨大蚊を眺めていると、ガドルの呟きが聴覚に触れる。
「まあ、にんじんが警戒するのは分かる。吸血蚊が進化すると、吸血鬼になるからな」
「わっ!?」
吸血鬼って、人間か蝙蝠が進化してなるんじゃないの? 蚊から進化するの? 服は縞々なのか? 羽はもしかして透明? ……それって妖精なのでは?
混乱してきた。
でも血を吸う蝙蝠って少数派だよな。虫を食べたり、果物を食べたりと、人間にとって害にならない蝙蝠のほうが多い。
農耕を営んできたアジアの国々では、害虫を駆除してくれるので大切にされていた。
西洋文化が入ってきてから、蝙蝠は嫌われるようになったけどね。
なんてどうでもいいことを考えてしまったのは、木の枝から、ぼとりと落ちてきた物体のせいだろう。