03.壁沿いに進んでいくと
壁沿いに進んでいくと、右側にも道があることが分かった。矢印はその先を指している。どうやらその道を進んだ先に目的地があるらしい。
「わー……」
私は絶望を覚えてしまう。
人混みだ。
右側の道は祭りでもあるのかと聞きたくなるほどに、人口密度が酷い。ゲーム開始初日なので、露店はなくても祭りで合っているのかもしれない。
あの人混みに入って行ったら、私はほぼ確実に蹴られ、踏みつぶされるだろう。チュートリアルで死に戻りは勘弁してほしい。
スタートダッシュに命を掛ける攻略組と呼ばれるプレイヤーもいると聞くが、私はそこまで熱心ではない。この混雑は数日すれば落ち着くだろう。それまで町を観光と洒落込もうか。
壁に沿って更に歩いていくと、ちょうどスタート地点から反対側に来たところで人混みが緩和した。
最初に出現したところからまっすぐ伸びていた道や、矢印が示す道と違い、細くて暗い道が伸びている。
人間ならば、二人並んで歩くのがぎりぎりといったところだろうか。体形によっては一人でいっぱいになりそうである。私なら、集団で歩いても問題ない広さだが。
なんとなく怪しいけれど、人混みを避けるのが先決だ。右見て、左見て、安全を確認するなり、とてとてと早歩きで進む。
走りたいのだが、まだこの体に慣れないため転びそうなのだ。爪先歩きをしている感覚である。腕がないせいでバランスが取れないのも、走りにくい一因かもしれない。
≪冒険者ギルドに行き登録しましょう≫
指示された道から逸れたためか、天から声が降ってきた。
空いたらね。
危険地帯を抜け、無事に細道へ入れたところで一息吐く。休憩がてら、改めて先程までいた場所を振り返ってみた。
離れて見ると、城壁のように思えた壁は、噴水を囲む円形の縁だと分かる。白い煉瓦で囲まれた丸い池の中央に、剣を天に向かって突き上げる騎士の像が立つ。その剣の先から水が噴き出ていた。
「わー……」
水芸かよ……。
ちょっと残念なデザインに居たたまれなさを感じながら、向きを戻して道の奥へ進んでいく。もちろん壁沿いに。
表から見えた家の裏側にまで到達すると、窓から窓へと渡されたロープに、洗濯物が干されていた。古びた椅子や樽に腰かけて井戸端会議をするお年寄りもいる。
この世界で暮らす人たちの生活感が滲み出ていた。
全てのNPCに人工知能を搭載しているというだけあって、表情が自然だ。ここが現実世界にあるどこかの町だと言われたら、信じてしまうかもしれない。
プレイヤーの頭上には名前が浮かぶので、NPCよりもプレイヤーのほうが異質な存在にさえ思えてしまう。
見た限り、この路地には人間しかいないようだ。たまたまなのか、人間が多い世界なのかは、まだ判断できないな。
≪冒険者ギルドに行き登録しましょう≫
空いたらね。
脇道には入らず真っ直ぐ奥に進んでいくと、壁が現れ行き止まりになった。今度は噴水の縁ではなく、民家の屋根より高い、本物の壁である。
壁に沿って左右に伸びる細い道は、日当たりが悪いというだけでは説明できないほど、陰気な雰囲気を醸し出していた。
壁の対面に当たる建物は、まともな手入れがされていないのだろう。汚れていて、剥げた漆喰もそのままだ。
人の姿はあるけれど、皆疲れたように壁にもたれ掛かって座っていたり、地面にそのまま横たわったりしている。
ここにいる人々は、噴水広場から一本入った脇道で見かけたNPCたちと違って、顔つきまで暗い。服も質素で古びた服を着ている。スラムというやつだろうか。
怪我を負っているのか汚れた布を巻いた人や、顔色の悪い病人らしき人が目につく。子供の姿もあるけれど、どの子もやせ細っていた。
美味しい人参の姿をした私が見つかったら、捕まって食べられてしまいそうだ。きっとサラダとかごった煮とかにされるのだろう。
どうせなら星形になって、シチューに浸かりたいけれど、贅沢は言うまい。
とはいえ自分の身を差し出して食料となるほど、私は善人ではないのだ。
「わー……」
戻ろう。
引き返そうとしたところで、近くにいた人間と目が合った。いや、私に目はないのだが、視線がばっちりとぶつかってしまったのだ。
「わー……」
嫌な予感がする。
「マンドラゴラ?」
予感は当たり、逃げるより先に捕まってしまった。私は見ず知らずのおじさんの手に握られてしまう。
≪冒険者ギルドに行き登録しましょう≫
「わっ!?」
この状況で!?
ずいぶんと無茶振りをしてくるシステムである。
私を捕まえたおじさんは、嬉しそうな顔で噴水広場に出て、そのまま広場を突っ切り、最初に見えた道に入っていく。
私はどこへ連れていかれるのだろうか。
≪冒険者ギルドに行き登録しましょう≫
「わー……」
緊張感が台無しである。
今更だが、マンドラゴラやスライムが冒険者ギルドに行って、登録できるのだろうか? その場で討伐される気がする。
そもそも魔物プレイヤーは、人間プレイヤーとはスタート地点を別けるものではなかろうか。それぞれの生息地などから開始するとか、そういう状況を想像していたのに、何だろうこのゲームは。
などとどうでもよいことを考えている内に、私を捕まえた男は建物に入っていく。
白く清潔感のある建物の前には、小瓶が描かれた看板の下に『薬師ギルド』と書かれていた。私は薬草として売られるらしい。
「わー……」
≪冒険者ギルドに行き登録しましょう≫
まだ言うか。残念だが私は冒険者ギルドではなく、薬師ギルドに来てしまったのだ。
「わ?」
ん? 待てよ? 冒険者ギルドに登録できるのなら、薬師ギルドにも登録できるのではないだろうか?
男が『買い取り』と書かれた台に私を乗せようとして、指を緩める。その一瞬を逃さず、私は根を捻って男の手から逃げ出し、必死に駆けた。
目指すは二つ先の窓口。『会員受付』カウンターである。
「待て!」
「わー!」
待つか!
迫る男の手を姿勢を低くすることで躱し、そのままスライディングで目的のカウンターに滑り込んだ。
「わー!」
登録カモン!
きりっと根元を引き締めて、受付のお姉さ……お爺ちゃんにお願いする。
ギルドの受け付けは綺麗なお姉さんだと思っていたのに、よぼよぼのお爺ちゃんだった。
冒険者ギルドはお姉さんなんだろう。きっと。
……私の我が儘ではあるが、マッチョだったらちょっと切ない。
「薬師登録かね?」
「わー!」
よろしくお願いします。
立ち上がってぺこりと葉を垂れると、お爺ちゃんが書類を出してくれた。
私をここへ連れてきてくれたおじさんは、見えない壁にぶつかって悔しそうな顔をした後、薬師ギルドから出ていく。肩を落とした背中に哀愁が漂っていた。
次は美味しい人参を見つけられるよう、祈っておこう。
≪冒険者ギルドに行き登録しましょう≫
そろそろ諦めて。