11.スラムでの出会いに
スラムでの出会いに気分をよくしていた私は、草笛交じりに道を歩いていく。テンションが上がっているので根取りも軽やかだ。
「わーわーわー」
ただ一点。片足を引き摺る足音が、スラムからずっと付いてくるのが気になっているけれど。
足音の主が私を付けているのは明確だ。マンドラゴラの歩く速度は遅い。人ならすぐに追い越してしまうのに、一定の間隔を保ったままだからな。――否。時々近付き過ぎて、足を止めていた。
初日同様、薬草マンドラゴラを狙っているのかもしれない。
さて、どうしたものか。
考えがまとまらないので、気付かぬ振りをして歌いながら歩き続ける。
「わわーわわーわー」
薬師ギルドに逃げ込めば安全だが、私の二股の根では時間が掛かる。たどり着く前に捕まってしまうだろう。
ならば、マンドラゴラでなければ入り込めない小さな隙間を探して、逃げ込むのがいいか。
先が行き止まりだったり、人間の力なら簡単に動かせる物の隙間だったりしたら、余計に追い込まれそうだ。
「わー……」
ふうむ。
考えた末に、二股の根を止める。
今いるところは人気が多く、争いになれば騒ぎになるだろう。そうなれば、親切な誰かが助けてくれるかもしれない。
運任せは好ましい策とは言えないが、緊張したまま歩くのは疲れるのだ。さっさと決着を付けてしまおう。
……後のほうが本音かもしれない。
【幻聴】発動。
『何の用だ?』
振り返ると、茶色いブーツが見えた。根を反らして上を見る。
身長差がありすぎて、顔が見えぬ。
尾行者は左腕の肘から先がなく、柱のように太く高い足の後ろから、猫に似た尻尾が覗いていた。白と黒の縞模様から、猫か虎の獣人と推察する。
うん、スラムにいた獣人だ。片手でお椀を持ってパン粥をすする、虎の獣人を見た記憶がある。
髪と髭が鬣みたいに伸びてるせいで、虎なのかライオンなのか微かに迷ったけど、尻尾を見て虎だと確信した。
私が振り返って問うたのに、虎獣人に動揺する気配はない。たかがマンドラゴラ一匹、容易く捕まえられると侮っているのだな。
否定はせぬが。
「マンドラゴラが一本……一匹? で歩いていたら危険だろう? 捕まって売り飛ばされるぞ?」
虎獣人が私の前に膝を突いたので、顔が見えた。
近くで見ると、野性味のある精悍な顔立ちをしている。髪と髭を整えれば、ハードボイルドな役が似合いそうだ。
眉を寄せた心配そうな顔をして私を見つめる。どうやら悪意はなく、私を心配して付いてきてくれたようだ。
それなら一言掛けてくれればいいのに。
『心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ、たぶん』
「たぶん、か。どこに行くんだ?」
『薬師ギルドかな?』
他に行くあてはないからな。
「ならば連れて行ってやろう。乗れ」
掌を差し出されたので遠慮なく乗せてもらう。
手間を取らせて申し訳ない気もするけれど、彼もスラムでぼんやり過ごすよりも気晴らしになるだろうと前向きに考える。
『名前を聞いてもいいか? 私はにんじんだ』
「……。そのままの名前なのだな。俺はガドルだ」
『運んでくれてありがとう、ガドル』
お礼を言うと、ガドルは少し驚いた顔をしてから、ふっと微笑を浮かべた――気がする。
目元が優しくなったけど、あまり表情は変わってないんだよ。
「礼を言うのは俺のほうだ。マンドラゴラの悲鳴を聞けば死ぬと聞いていたが、お前の声は傷を癒すのだな。……本人が瀕死になっていたが」
「わー……」
そこはツッコまないでほしい。私自身も驚いたのだ。
「気を付けろ。今日のことで、お前の価値は跳ねあがったぞ?」
「わー……」
つまり、狙われるってことか。
元々希少な薬草という立ち位置だったから、狙われるのは今更な気もするけれど。むしろ歌わせるために切り刻まれなくて済む可能性が出たと、喜んでもいいかもしれない。
自由を奪われるなんて、ごめんだけどな。
薬師ギルドのカウンターに私を下ろすと、ガドルは何も言わずに戸口へ向かう。
「わー!」
ありがとう!
わっさわっさと葉を揺らして挨拶すると、ちらりと振り返ってから出ていった。
親切な獣人に出会えたみたいだ。
「わー!」
さて、調薬室を借りよう。ガドルを見送って根の向きを変え、調薬室のレンタルを申し込む。
【上級MP回復薬(にんじんオリジナル)・不良】大瓶と【パン粥にラニ草を添えて】をひたすら作った。
予定の時間になったので調薬室から出ると、受付のお爺ちゃんが、なぜか私をじっと見つめる。どうしたんだろう?
「君、毎日のように来ているよね?」
「わー」
そうだね。今日は来るつもりなかったけど、結局来ちゃったものね。
「そして、作ってもあまり納品しないよね?」
「わー……」
初日はほとんど売ったけど、懐に余裕があるから自分やスラムの人たち用に作ってるからな。
薬を作ったなら納品しろという叱責だろうか?
「中古のコンロがあるんだけど、買うかい?」
「わ?」
違った。
私が中古コンロに興味を持ったと察したお爺ちゃんが説明してくれる。
なんでも異界の旅人がやってきて調薬室の利用が増えたため、今まで使っていた旧式のコンロが幾つか壊れたそうだ。それでまだ使えるコンロも含めて、一斉に取り替えることにしたらしい。
「新品だと五万エソするんだけどね。いつ壊れるか分からないし、処分予定だから千エソでいいよ。どうする?」
薬師の多くは自分の工房を持って、そこで調薬をするという。中古のコンロは工房を持つまでの繋ぎに使うといいとアドバイスされた。
「それに君、ここまで来るの大変でしょう?」
「わー……」
仰る通りです。
購入する意思を告げると、お爺ちゃんは奥の部屋に下がり、しばらくしてコンロと鍋を持って戻ってきた。
「これが一番状態がいいね。鍋とナイフも持ってきたけど、どうする?」
「わー!」
ありがとうございます。そして鍋とナイフも買います!
ナイフは包丁の代わりらしい。小さなマンドラゴラの体では包丁を操れないだろうという気配りだ。ナイフでも大変そうだけどね。
今後、調薬室を使わなくなるから素材を多めに買っていこうとしたら、再びお爺ちゃんに声を掛けられる。
「ラニ草はそんなに買わなくていいんじゃないかな? Fランク冒険者でも取りに行ける薬草だから、さっきの彼にでも頼めばいいよ」
Fランクは登録して最初のランクらしいので、私自ら採りに行ってもよさそうだ。……行けるよな?
ガドルに迷惑を掛けるのは気が進まないが、暇なときに手伝ってもらえないか、今度会ったら聞いてみよう。
スラムにいたということは、収入や食糧に困っているのだろうし、報酬を出せば頼まれてくれるかな?