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貴方に捧ぐ花言葉

作者: 成瀬 雪


 桜の花弁が舞い散るこの季節が、私は嫌いだ。新たな出会いは新しい人間関係を生み、結果的に見たくないものが見えてしまう機会が増える。

 「()()っ、おはよ」

 「おはよう、和葉(かずは)。今日はいつもより嬉しそうだね。何かあった?」

 「なんでわかるの⁈ 実はさっき新学期早々拓真先輩に会えたんだよね。やっぱり千花はすごいなあ」

 「……和葉がわかりやすすぎるだけじゃない?」

 「千花ひどーい!」

 それはいつも眠くてポピーばかり咲いている和葉の頭に、今日はスミレの花が咲いていたからだよ、とはとても言えなかった。


 私には特殊な能力があり、それは「相手の心情を表す花言葉を持つ花がその人の頭上に見える」という奇妙なものだ。具体的に何を考えているかまではわからないし、花言葉や花自体を知らなければ何の意味もない能力であるが、それでも発言と心情の齟齬を見てしまったりと、あまり良い能力とは言えない。この能力に目覚めたのは小学校に上がった頃で、最初は素直に話して変な子供だと気味悪がられたり、相手の気持ちを汲み取りすぎて「心を読んでいる」と噂され、一人ぼっちになった。それからは能力のことを全力で隠し、空気を読みつつ、あまり他人に深く踏み込まないようにして何とか平穏な人間関係を築いてきた。そしてみんなの頭上に突如現れた花達のことを調べていくうちに花の名前や花言葉に詳しくなってしまい、周りからは「植物博士」という評価を得ている。しかし私自身はこの能力のせいで花にはうんざりだ。そんな私が植物博士だなんて、なんて皮肉な称号だろう。


 「……ねえ千花、聞いてる?」

 「え? ……あ、ごめん。何だっけ」

 「だから、拓真先輩との仲を確かめる花占いとか知らない?」

 「いや、だから私はそういうの詳しくないって……ていうか、占うよりもとっとと告白する方が良くない?」

 「それが出来ないから困っているんでしょー! 千花のいじわる!」

 「でも、拓真先輩もうすぐ引退でしょ。受験で忙しくなる前に気持ち伝えた方が良いんじゃない?」

 「それはそうだけどー……」

 そう言いながら頬を赤ちゃんのようにぷくーっと膨らませる和葉を見て、私は思わず吹き出した。和葉は高校で出会った友人で、私が気を遣わずに話すことができる数少ない友人だ。彼女は思っていることを言葉や態度にすぐ出してしまうのだが、その分裏表がない。(こころ)を見てしまったことによって思わぬ悪意に気づいてしまう私にとって、本当に大切だと言える存在だ。

 「あ」

 何かを思い出したかのように、和葉は両手を胸の前でパチンと叩いた。

 「そういえば春休みに浦センから聞いたんだけど、うちらの学年に転校生が来るらしいよ」

 「え」

 イケメンがいいなーと呑気に語る和葉をよそに、一抹の不安から流れる額の汗を隠すことで必死だった。ただでさえ新しい環境になるのに、ついてないな……せめて同じクラスにならないことを祈ろう。ついでに、和葉と同じクラスになれますように。


 私の願いは半分届いた。今年も無事和葉と同じクラスになれた。

 私の願いは半分届かなかった。

 「初めまして。逢坂(おうさか)(れん)です」

 教室に凛とした声が響く。見慣れない彼の姿を初めて見たとき、私は自分の目を疑った。その視線は和葉の望み通りの淡麗な容姿ではなく、彼の頭上に向いていた。

 花が、ない。

 あまりじろじろ見るのも不審がられると思ったので、彼と目が合う前にそっと視線を外した。笑っているが、何の感情もないのだろうか? それとも、急に能力が消えたのか。ふと辺りを見回すが、クラスの半数以上の女の子が頭にネムノキを咲かせ目を輝かせているところを見るに、そういうわけでもないらしい。何らかの理由により彼の花だけが見えないのか。まあこんなに顔の整った転校生が注目されない訳ないし、関わらないように生きていれば大丈夫かな……


 「じゃあ水無瀬(みなせ)、逢坂の案内よろしく頼むな」

 放課後、人もまばらになった教室からそう言い残して出ていく担任を私は恨めしく見つめた。「俺は他にやることあるから」と浦センは足早に教室を後にしたが、スミレの花が咲いているあたりさっき声をかけられた美人で有名な真野先生に用事でも頼まれたのだろう。和葉の部活が終わるのを待って教室に残っていたことを後悔する。

 「ごめんね水無瀬さん、委員長でもないのにこんなこと頼んじゃって……」

 「別に逢坂君のせいじゃないでしょ。和葉来るまで暇だったし、気にしないで」

 私がそう言うと、逢坂君は心配そうな顔から途端に笑顔になり、「ありがとう」と言った。私はよく口調がぶっきらぼうだと言われるが、きちんと迷惑ではないと言う意思が伝わったことに安心した。

 「あ、あれ……何だろう」

 そう言って逢坂君が指差したのは、校舎裏にある小さな花壇だった。

 「ああ、園芸部の花壇かな。幽霊部員だらけって聞いてたけど、一応ちゃんと活動してたみたいだね」

 園芸部が管理しているらしき花壇は小さいながらも綺麗に整備され、美しい花々が咲き乱れていた。こんなに丁寧に手入れされているのに、校舎裏でひっそりと咲いているなんて勿体ない……

 「すごく綺麗なコスモスだね」

 ……幻聴が聞こえた気がした。いや、幻聴に違いないだろう。

 「あっちのヒマワリもすごいね」

 「……サクラソウとマリーゴールドのこと?」

 「え? あの花そういう名前なの?」

 やはり幻聴ではなかったのか。目の前の信じられない現象に私は頭を抱えた。

 「そもそもコスモスは秋の花だし、ヒマワリも夏の花じゃん……」

 「へえ、そうだったんだ。水無瀬さん、花詳しいんだね」

 「……そんなことないよ」

 事実としてはそんなことなくはないが、この程度のことは流石に大半の人が知っているだろう。頭に花が見えないせいで本気で言っているのかからかわれているのかがわからない。その後はつつがなく案内を終え、逢坂君とは別れた。

 「え、じゃあ早速逢坂君と二人っきりだったの⁈ 何それ詳しく!」

 帰り道、先程の話をすると和葉はびっくりするほど食いついてきた。

 「別に何もないよ……ただ校舎の案内しただけ」

 「えーラブな展開はないの?」

 「あるわけないでしょ。そもそも出会ったばかりなのに」

 「やっと千花の恋バナ聞けると思ったのになあ……」

 あーあ、残念、と和葉はわざとらしく溜め息をつく。確かに年頃の女の子が恋バナの一つもできないのは申し訳ないが、他人の心が見えてしまう私にとって、友達はもちろん恋人なんて作ろうとはとても思えなかった。

 「まあ、もし出来たら真っ先に和葉に話すから。ね?」

 「ホントに? 約束だよ!」

 そう言うと和葉は途端に機嫌が良くなり、夕飯前だというのにクレープ二個を平らげた。私は母に怒られそうだったので、和葉のを少しだけもらうに留めた。

 次の日、私と和葉が教室で話していると、登校してくるなり逢坂君がこちらへ近づいてきた。 

「おはよう、水無瀬さん。それに安藤さんも」

 「あ、逢坂君。おはよう」

 「……おはよう」

 「水無瀬さん昨日はありがとう。お礼と言っては何だけど、今日の放課後空いてたら一緒に帰らない? 好きなもの奢るよ」

 「え?」

 あまりに唐突な誘いに一瞬思考が停止する。が、ほどなくして我にかえった。

 「いや、お気持ちだけ受け取っておくよ……」

 「はいはーい、行きます行きます、逢坂君、千花をよろしく!」

 「ちょ、和葉……」

 「良いじゃん、恋は動かなきゃ始まらないよ?」

 和葉の耳打ちが聞こえていないかヒヤリとしたが、逢坂君は相変わらず淡麗な笑みを浮かべていた。

 「じゃあ水無瀬さん、放課後昇降口で待ってるね」

 「あ、ちょっと……」

 こうして和葉の策略により、私は仕方なく逢坂君に付き合うことになった。

 「お待たせ。それじゃあ行こっか」

 放課後、逢坂君は相変わらずの爽やかな笑顔で現れた。急用ができたとすっぽかしても良かったのだが、流石に転校したての人間の、一度乗った誘いを断るのは気が引けた。

 「どこ行きたい? 水無瀬さんのオススメ知りたいな」

 「じゃあ、駅前にあるカフェで……」

 「了解。とりあえず駅に向かえば良いかな?」

 「あ、うん」

 それじゃあ行こう、と一歩先を歩き始めた。電車通学なのか、駅までの道は覚えているようですんなりと目的地に着いた。道中は他愛もない話をしたが、相変わらず爽やかな笑みを浮かべるばかりだった。はっきり言って私は一目惚れされるような容姿でもないので、何の意図があって私を二人っきりで誘ったのかが疑問で仕方がなかった。彼の花が見えない私には、その爽やかな笑顔が本心から来るものなのか、はたまた作りものなのかを知る術はなかった。

 「ねえ、どうして私を誘ったの?」

 カフェに着いて注文を済ませると、私は思い切って逢坂君に尋ねた。この能力を手に入れてからは他人の心情がわからないことなかったので、彼の心情がわからないことには恐怖にも似た感情を覚えた。

 「どうしてって、朝に言った通り昨日のお礼だけど?」

 「だって、別に大したことしてないし……それに、出会って二日目の異性と二人っきりって、気まずくないの?」

 「それって、水無瀬さんは気まずいってこと?」

 爽やかな顔で痛いところを突くなあ、と一瞬渋い顔をしてしまう。何て答えようか迷っていると、飲み物が届いた。それを一口啜ると逢坂君がゆっくりと口を開いた。

 「俺さ、花とか植物とか好きなんだよね。でも全然詳しくないから、見て『ああ、綺麗だなあ』ってただ思うだけなんだ。昨日案内してもらったとき、水無瀬さん花に詳しかったよね。あの時俺ももっと花のこと知って好きでいたいって思ったんだ」

 「昨日も言ったけど、あれはそんな詳しいとかいうレベルじゃ……」

 「でも、植物博士なんでしょ?」

 その言葉に、私は思わず紅茶のカップを落としそうになった。慌ててカップをソーサーに置いたせいで、ガチャンと大きな音が鳴る。

 「今日クラスの人から聞いたんだ。だからお願い、俺にも植物について教えて欲しいんだ」

 そう言う彼の目はあまりにも真っ直ぐで、花がなくても真面目に話しているのだと言うことがわかった。正直、近くにいる人を増やしたくはない。だからクラスの人ともそれなりに話はするけれど、深い付き合いはしないように心掛けてきた。しかし、ここまで真摯にお願いされては、無下にもできない。

 「……私は詳しいって言っても、花の名前とその花言葉くらいしか知らないよ。それくらいで良ければ」

 「ありがとう! 師匠!」

 「ちょ、師匠はやめて!」

 「じゃあ、千花で。俺も廉で良いから」

 「わかった、廉」

 そう言うと、廉は驚いたように目を見開いた。

 「……何」

 「いや、抵抗ないんだなって。名前呼び」

 「いや別に。嫌がられたかったの?」

 「そんなマゾじゃないよ」

千花ってこんな面白いやつだったんだな、と廉が笑った。反論しようとした最中(さなか)にケーキが届き、私たちは近くに飾ってある花なんかの話をした後に帰路についた。

 それからというもの、私は廉と度々一緒にいるようになった。最初は花が見えないことに戸惑ったけれど、相手の気持ちをいちいち察してしまわずに済む廉といるのは心が安らいだ。また程なくして和葉が拓真先輩と付き合い始めたこともあり、必然的に廉と二人で過ごす時間が長くなった。廉はというと持ち前の高いコミュ力のおかげで早々とクラスの輪に溶け込んでいったが、擦り込み効果なのか私といる時間も大切にしてくれていた。


 そうして、私は、

 ーーーー恋に落ちたのだった。


 「まだ治療法の見つかっていない難病です。対症療法を続けたとしても、もって一年でしょう」

 医師からの冷たい宣告を受けたのは、葉も落ちきった十二月の頃であった。凍るほどに手が冷たいのは窓からの隙間風のせいなのか、はたまたショックのせいなのか、判断することはできなかった。医師の頭を見るが、その頭上には何もない。まあ彼らにとってはこれが仕事なのだから、いちいち心を動かしている暇などないのだろう。

 「かかりつけの先生から引き継いだ資料を読んだよ。君の特殊な能力は、脳が何らかのダメージを受けて引き起こされるものだったのだろう。その副作用とでも言うべきか、脳が少しずつダメージを受けたことによって神経に影響を与えてしまったようなんだ。まだ高校生の君にこんなことは言いたくないけれど……治療は難しいと思う」

 たった数日、頭痛が続いたから痛み止めでももらおうと思っただけなのに。この能力を知っている心配性でおせっかいなかかりつけ医がうるさいから、仕方なくこんなに大きな病院に来ただけだったのに。

 「先生……私が『健康』でいられるのは、あとどれくらいなんですか」

 「脳へのダメージはいずれ全身に出る。とりあえず半年は持つとは思うが……」

 「わかりました、失礼します」

 そう言い残し、私は診察室を後にした。後日保護者と来るようにと医師が叫んでいたが、私の耳にはもう届かなかった。

 あと、半年。私が私でいられる期間。その使い道を私は見つけてしまった。

 それから三週間ほど経ち、世間は聖夜に心踊らせる頃、私と廉は学校から電車で五駅ほど離れた繁華街のイルミネーションを見に訪れていた。「せっかくのクリスマスだし、どこか行こうよ」という廉の提案だった。その提案を呑んだのは、まだ微かに葉の残る一ヶ月ほど前のことだけれど。

 「近場だけど、綺麗だね」

 「そうだね」

 ふと見上げた廉の顔が何故かまっすぐ見られなくて、イルミネーションのライトが眩しい振りをして腕で顔を覆った。

 「そうだ、これ」

 廉はジャケットの胸ポケットから小さな包みを取り出した。

 「クリスマスプレゼント。良かったら受け取ってくれる?」

 「いや、でも私何も用意してないし……」

 「クリスマスにわざわざ付き合ってもらったお礼だから。気にしないで」

 「……ありがとう。開けても良い?」

 もちろん、という廉の言葉に甘えて、包みのリボンをそっと取る。

 「これ……」

 そこにあったのは、黄色い薔薇をモチーフにした小ぶりなイヤリングだった。

 「千花には薔薇が似合うと思って。でも、流石に真紅の薔薇を渡したら重いかなって思ったんだよね。」

 照れくさそうに廉が笑いながら言った。

 「千花はもちろん知っていると思うけど、黄色い薔薇の花言葉は『友愛』。転校してきてから今まで仲良くしてくれてありがとう」

 はにかみながら笑う顔に、赤みが増していく。

「……でも、できればこれからは」

 駄目だ、

 「すごく可愛い! ありがとう!」

 その先の廉の言葉を遮るように、私は少し大袈裟に喜ぶ。

 「何にも用意してなくて本当にごめんね。始業式の日に必ず渡すから」

 「……気にしなくて良いよ」

 「ありがとね、じゃあ早く行こ!」

 「……うん」

 少し気まずそうで、犬のようにしゅんとした廉を強引に引っ張る。今の私は、決して受け取るわけにはいかなかった。

 彼の言葉の続きと、後ろ手に隠された真紅の薔薇を。


 それから始業式まで私たちは会うこともなく、始業式には無難なマフラーを贈った。そして二月の下旬、一週間学校を休んだ後に事実上の退学を受理してもらった。母にはギリギリまで学校に通ってはどうかと最後まで言われたが、最終的には「身辺整理をして心残りをなくしたい」と言う死期の近い娘の意見を尊重してくれた。高校には万が一にも病気が完治したときのために周りには転校すると伝えてもらい籍だけは残しておく手筈を取ってもらったが、おそらくそのまま退学となるだろう。何せ今まで有効な治療法が全く見つからない奇病である。一年かそこらで見つかるはずもない。それに何より、弱っていって醜い姿となってしまった私を和葉や廉に見られることは耐えられなかった。

 私は和葉にだけ一月に「二月の終わりに転校する」という旨を伝えた。なぜと質問の猛攻撃にあったけれど、母親の都合でありずっと女手ひとつで育ててくれた母を支えたいと伝えたら大粒の涙を幾つも流しながら納得してくれた。和葉は本当にこの手の話に弱い。今は有難い限りだが、素直な和葉を騙していることに罪悪感がちくりと胸を刺す。けれども事実を伝えるわけにもいかないので、感情を押し殺し申し訳なさそうに「ごめんね」と笑った。その後しばらくは通常通り登校した後に一週間、バイト先への挨拶やら身辺整理やらを終え、一週間ぶり、そして最後の登校日を迎えた。担任が終礼で私の転校を告げると、たちまちにクラスがざわめきたつ。「何で言ってくれなかったの」と怒りや悲しみをぶつけてくるクラスメイトの言葉が本心によるものだとわかり、この能力も捨てたもんじゃないなと場違いにも思った。その後の送別会の開催を丁重に断り、私は部活がある和葉に挨拶をして一人帰路についた。すると、三メートルほど後ろをつけられているような感覚を覚えた。振り向くと、そこには少しムッとした表情の廉の姿があった。

 「久しぶり。ていうか何気に今日話すの初めてだね?」

 わざととぼけた挨拶をすると、いつもより低いトーンの声が返ってきた。

 「……何で、何も言ってくれなかったんだよ」

 「何もって、何を?」

 「転校のことに決まってるだろ。何も言わずに、あんなに急になんて……」

 「本当に急に決まったことなんだから、仕方ないでしょ。あと、仮に分かっていたとしても廉には言わなかったよ」

 廉の顔から赤みが少し抜ける。怒りと戸惑いの混ざったような表情をしていた。

 「廉、クリスマスの日に私に告白しようとしてたでしょ。困るんだよね、ああいうの」

 「……どういうこと?」

 「私、本気の恋愛って興味ないんだよね。性欲溜まったら発散できるような関係が一番気楽でさ」

 「千花、いきなりどうしたの」

 「廉は顔が良いから侍らせておくには丁度良かったんだけど、本気になられると面倒くさいんだよ。だから、最後にかこつけて告白でもされたらたまったもんじゃないな、って思ったの」

 「……本気で言ってるの?」

 廉の顔がみるみる青くなっていく。震えた口からでたその言葉は懇願にも思えたけれど、その思いを無視して私は希望を踏み躙っていく。

 「当たり前じゃん。まあ、もう会わないし言いたいこと言ってやろうと思ってさ」

 「……見損なったよ、千花」

 「それはあんたが勝手に押し付けた私の理想でしょ、じゃあね」

 そう言うと、廉は早足にその場から去った。私は安堵で思わずこぼれそうになった涙を拭う。良かった。あれ以上会話を続けていたら、演技であることがバレていたかもしれない。それに、廉を傷つけた私に、涙を零す資格なんてないのだから。


 それから三ヶ月の月日が経ち、一日に何通も来ていた和葉からのメッセージが数日に一回のペースに落ち着いた頃、母のいない間にアイスを買おうと外へ出た。外は初夏とは名ばかりのうだるように暑く、その暑さに一瞬目の前が真っ白になり、足元がふらついた。やはり涼しくなる夕方まで待とうかと思った瞬間、聞き馴染みのある凛とした声が耳に届いた。

 「千花?」

 あまりの懐かしさに抗えず、私は振り向いた。

 「久しぶり……廉」

 思わず応えたものの、反応に困りしばしの沈黙が二人を包む。

 「元気だった?」

 「うん。廉はどう?」

 「俺も相変わらずだよ」

 当たり障りの無い話で沈黙を濁す。

 「……ごめん」

 そう切り出したのは、廉の方だった。

 「最後、あんな別れ方してずっと気になってたんだ。千花があんなことするなんてどうしても信じられなくて、調べたけどそんな話は一つも出てこなかった。挙げ句の果てには安藤さんに思い切って聞いたら、こっぴどく怒られた上に強烈なビンタをもらったよ」

 「ああ……和葉馬鹿力だから、ごめんね」

 「謝るのは俺の方だよ。あのとき、前半の『告白されて困る』ってのは本当だったんだろ? だからあんな嘘ついてくれたんだよな。俺のために汚れ役やらせてごめんな」

 「そんなこと無いよ……」

 思わず叫び出したくなった。本当は貴方の告白を受けるつもりだったんだよ。でももうすぐ居なくなる私が貴方のことを縛るなんて嫌だったんだよ。喉まで出かけたその言葉は、ある一人の女性の出現によって押さえ込まれた。

 「廉? どうしたの?」

 「あ……美果」

 廉の影から出てきた女の子は、華奢な身体で小さな顔にくりっとした大きな目を持ったとても可愛らしい容姿をしていた。……廉の隣に立つと、まるでお互いのために生まれてきたようにお似合いだった。

 「昔の友達なんだ。すぐ追いつくから、先に行ってて」

 廉がそう言うと美果と呼ばれた女の子は素直に従い、私を一瞥すると小さな会釈を残して立ち去った。

 「彼女?」

 そう聞くと、廉は顔を赤らめ、少し気まずそうに首を振った。

 「違うよ……まだ」

 「そっか。良かったね、こんな酷い女よりああいう可愛い子の方が、廉にはお似合いだよ」

 視界の滲む(まなこ)を隠すように、目を細めて思いっきり笑った。それにつられてか廉も笑顔を見せる。

 「千花は酷くなんかないだろ。あの時はショックだったし……正直、今でも告白されるのが嫌だった理由が転校のせいなのか、単純に俺と付き合う気がなかったのかはわからない。でも、千花はこれから居なくなる自分を思いっきり恨むことで俺が未練を断ち切れるようにしてくれたんだろう?」

 そう言うと廉は改まって私の方を向き、向日葵のように眩しい笑顔で言った。

 「ありがとう、千花」

 「こちらこそありがとう、廉。バイバイ」



 良かった。廉はもうあの時のことを笑って話せるくらい、気持ちの整理がついたんだ。

 新しい恋に踏み出せるくらい、私の存在が薄くなったんだ。

 それなら、私も勇気を出して踏み出そうかな。

 昼に薬を飲み忘れてしまったせいなのか、足が震える。膝の笑いを必死に手で押さえ、一歩一歩ゆっくりと歩みを進める。目的地に行く前に、一つだけ買い物をする。そういえば廉は黄色い薔薇の花言葉を一つしか知らなかったなと気づく。本来なら今こそが黄色い薔薇の出番なのに。目的地へ辿り着くと、私は服装やメイクを整えた。用意は全て家で揃えてきた。まあ元々身辺整理は進めていたから、あれから一日で全ての作業を完了することができたのだ。

 そうして、私は一歩を踏み出しーーーー



「こりゃあひでえな……」

 警察官の一人が、ぽそりと呟く。

 「まだ若いだろうに、どうして……」

 「何でも、彼女は余命宣告をされていたのだとか。何か思うところがあったのでしょう」

 若い警察官が、その問いに答える。

 「それにしたって、何も病院の屋上から飛び降りることは無いだろ。せっかくの綺麗な身体が台無しだよ」

 「警部、それは死者であってもセクハラです」

 病院の屋上から飛び降りたと思われる少女の死体は、身体の原形こそ保たれているものの、その姿は周りに円を描くかのように広がった血によって紅く染まりきっていた。

 「でも、これは自殺で決まりでしょうね」

 「おいおい、それは少し早計じゃないか」

 「だって見てくださいよ。この顔、とても穏やかじゃありませんか?」

 若い警察官にそう言われ覗き込むと、確かにその顔に恐怖や苦痛の色はなく、寧ろ安堵や喜びを感じているようにも窺えた。

 「まあ監視カメラの映像からも事件性はなさそうだな……ん?」

 警察官は少女の手元をふと見る。

 「これは……紅い薔薇か?」

 胸元に置かれた少女の両手には、一本の薔薇が握られていた。

 「この辺に薔薇は生えていませんし、初めから持っていたんですかね……あれ? 警部、それ黄色い薔薇ですよ」

 若い警察官に言われ薔薇をよく見ると、血に覆われた花弁の奥から鮮やかな黄色の花弁がところどころ覗いていた。どうやらこの黄色い薔薇は落下後少女自身の手によって自らの血で紅く染められたもののようだ。

 「一応これ鑑識に回しておいてくれ。しかし薔薇かあ……やはりお前の言った通り、これは自殺かもな」

 「え、どうしてですか?」

 「落下による死亡だと、血液が綺麗に同心円状に広がるだろ? 彼女の血は、まさしく薔薇のように広がっているじゃないか」

 警察官は少女の死体を上から見下ろして言った。

 「じゃあこれは身体に咲く大輪の薔薇と、手に持った黄色い薔薇、そしてそれを紅く染めた真紅の薔薇を表しているってことですか?」

 「まあ、そうかもなって思っただけだ」

 「警部って意外とロマンチストなんですね」

 「うるせえ。いいから仕事するぞ」

 先を行く上司に慌てて追いつこうと走り出した若い警察官は、一瞬少女の死体へ目をやった。走り出す間際、少女が笑みを浮かべたように見えたのだ。しかしそんな訳ないだろうと、若い警察官は上司の後を追うべく立ち去った。

 そして死体は回収され、そこには鮮やかな真紅の大輪の薔薇が一つ残された。








黄色い薔薇の花言葉:「笑って別れましょう」

三本のバラの花言葉:「告白」

真紅の薔薇の花言葉:「死ぬほど恋焦がれています」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 思春期の切なさ、恋の痛み、救われない運命、とても美しく哀しいお話でした。 地の文もとても丁寧で読みやすかったです。 [一言] 拝読させて頂きありがとうございます。
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