薔薇のもうひとつの読み方ご存知ですか?
ごきげんよう、ひだまりのねこですにゃあ。
皆さま、本日6月3日公開の映画『冬薔薇』ご存知ですか?
この映画、『ふゆばら』じゃないんですよ、なんて読むかわかります?
答えは『冬薔薇 (ふゆそうび)』
古典好きな人なら何を今更と言われそうですが、現代ではあまり使われない読み方なので、多分知名度低いのではないでしょうか?
バラは書き方も読み方もネタになる罪作りなお花なのです。
たまたまこの映画の宣伝を見て、あ、これエッセイにしようと急遽思いたちまして。
映画や品種の話ではなく、歴史を交えて少しだけバラにまつわるエピソードを。
◇◇◇
欧米の花というイメージが強いバラですが、実はアジアが原産の花です。
現在2万に迫る品種がありますが、元を辿ればたった8種類のバラの原種に辿り着くそうです。
その8種には、日本のノイバラ、テリハノイバラ、ハマナスが含まれていて、実は日本は世界的なバラの国であるのです。
現在のバラという言葉は、「いばら」が転訛したもので、昔からある和語。
一方、今回の『薔薇 そうび(しょうび)』というのは中国から輸入したバラのことで、音もそのまま中国読みの漢語です。
日本のバラと中国の薔薇が時代と共に一体となって、現在の薔薇=バラという形になったわけですが、いつ頃そうなったかについては諸説あってよくわかっていません。
ちなみに英仏語のローズ、ドイツ語のローゼ、イタリア、ロシア語のローザ、スペイン語のロッサなどは、すべてラテン語の rosa が語源です。
前述したように、日本には太古よりバラの原種が自生しています。
古くは、奈良時代の「万葉集」や「常陸風土記」にも登場するので、身近な花であったことは間違いないでしょう。
常陸風土記 (今の茨城県)には、黒坂命が茨で城を築き賊を撃退した説話(バラの棘を城の防御に使った)もあって、「茨城」という県名はここから由来しているそうです。バラは現在の茨城県の県花でもありますよね。
そんな昔から親しまれてきたバラですが、なぜかほとんど和歌に詠まれていないという謎があります。
たとえば古今和歌集(905年)では、紀貫之の一首があるのみです。
我はけさ うひにぞ 見つる花の色を あだなるものと いふべかりけり
一般的には、けさ(今朝)の”さ”と、うひ(初)の”うひ”を足して”さうひ(薔薇)”となるように遊び心が込められていると解釈されていますが、私は違うのではないかと。
バラが和歌に詠まれない理由と同じ。
菅原道真公が原因だと思うのです。
道真は、東宮(皇太子、のちの醍醐天皇)に所望されて、薔薇に関する漢詩を二つ作っています。
どちらの詩も、薔薇を皇太子になぞらえて褒めたたえたと解釈される内容。
道真は、右大臣としてその後も献身的に醍醐天皇を支えました。
しかし、後年、道真は、薔薇と称えた醍醐天皇によって左遷され失意のうちに大宰府で亡くなってしまうのです。
その後の展開は有名なのであえて書きませんが、怨霊と化した道真? によって、都は大変なことに。
当時の人はもちろん、後世の人々にとっても、ながらく畏れの対象であったことは容易に想像できますから、道真と醍醐天皇を連想させる薔薇を和歌の題材として扱うのは、言霊信仰が強い日本では忌避されたのとしても不思議ではないでしょう。
だからこそ紀貫之は、道真公の祟りに触れまいと、単なる遊び心ではなく、警戒心から直接的には書かなかったのかなと私は妄想しているのです。
そこまで計算して詠んだのだとしたら、やはり彼は大した度胸とセンスの持ち主ですよね。
あれほど可憐なバラの花が和歌に詠まれなかった理由も、それなら仕方ないよねと納得できるのではないでしょうか。
強引なこじつけですけどね。
ちなみに日本が誇るバラの原種であるハマナスやノイバラの実は、ハーブティーで有名なローズヒップになります。実と言っても、植物学上、正確には果実ではなく花の根元が膨らんだ偽果ですが。
女性に優しい薬効満載のローズヒップ。
直訳するとバラのお尻になりますけど、実は英語のhipって、日本でいうところの桃の部分じゃないんですよね。気になる方は調べてみてください。
元々は、hipという言葉自体がバラの実のことを意味していたそうですよ。