第70話 カイト、バローの商店街に行く
マツリが抱きかかえた女性は呼吸が浅く、青白い顔色をしている。
「カイト様、この人の命の火はもうすぐ消えそうです」
俺はもう、目の前で誰にも死んでもらいたくない。
この人にも家族が居るはずだ。悲しむ顔も見たくない。
「少しだけ血をもらいますわ」
マツリは女性の首に牙を突き刺した。
「マツリ!何をしている!?」
女性の血を吸ったマツリは俺を見て、そして女性の胸の辺りを見ている。
女性の首には牙の跡は無く、血も出ていない。
「カイト様、この人は胸を患っていますわ」
僅かな呼吸に異音が混じっている。
「肺か?肺炎かもしれない。患部がわかれば……」
俺は両手に魔力を集めて、昔に何かの本に載っていた写真や、映像で見た正常な肺を思い浮かべる。
何時もよりも長くイメージする。
「アルティメット……ヒール」
両手から溢れ出る青みがかった銀色の強い光が女性の胸部を覆って行く。
光が消える頃には、青白かった女性の顔に赤みがさし、呼吸も正常に戻りつつあった。
「これで、大丈夫なのか?」
「カイト様、命の火が少しずつ大きくなって来ています」
「良かった。マークはそんな事までわかるんだな」
「漠然とですが、その人のオーラですか?その強弱でわかるのです」
それからマツリだ。
「マツリ、お前は血を少量飲んだだけで患部がわかるのか?」
「血は身体中を巡っていますわ。だから私達ヴァンパイアはその血から情報を読み取るだけですわ」
「凄いなヴァンパイア……」
俺は心底感心した。マツリはまた胸を張ってたゆんたゆん……コホン、あ~誇らしげに、満面の笑顔で抱きかかえたままの女性を見ている。
「お母さん!!」
誰かが伝えに行ったのだろう、小さな男の子の手を引いて10歳くらいの女の子が走って来た。
母親の方はまだ意識を取り戻していない。
「あの……お母さんは……?」
「大丈夫だよ、胸の病気はこのおじさんが魔法で治したから、もう心配は要らないよ」
サトミ?誰だ、おじさんって……俺か?俺なのか?
「あ、ありがとうございます。おじ……お兄ちゃん」
女の子はお礼を言いながら俺の顔を見て、言い直した。
うん、良い子だ。
「お母さんはまだ眠っているから、家まで運ぼう。案内してくれるか?」
「あ、は、はい!」
「良し、マツリ、頼むぞ」
「任せて下さいですわ」
マツリに女性を抱えてもらって、女の子の後を付いて行く。
少し歩いただけで、女の子の家に着いた。
小さい家で物も少ないが綺麗に掃除がされている。
俺は女の子の手を見てみた。手指が荒れて、あかぎれもできている。
女の子の案内で寝室に入り、母親をベッドに寝かせた。
ベッドに寝かせて、はい、サヨナラって訳にもいかず、少し話をする事にした。
女の子の名前はターナで、男の子の名前はレイト。
母親がカリーナで父親がジェットだそうだ。
「お父さんは冒険者で、今日もお母さんの薬を買う為にダンジョンに行きました」
「そうか、お父さんも頑張っているんだな。何か、栄養のある物は食べているのか?」
「今は殆どダンジョンの儲けも薬で無くなるから、食べる物が買えないってお父さんが言っていました」
「なるほど……」
毎日帰って来るには、浅い階層でしか活動が出来ない。
浅い階層では収入も少なくなるから、薬だけで精一杯だという訳だろう。
「カリーナ!!」
ターナと話していると、家の中にモヒカンが入って来た。
「ターナ!!カリーナは!?カリーナは大丈夫なのか!?」
「お父さん、静かにして。お母さんは今、寝てるから」
「そ、そうか、済まな……おい、ターナ、こいつ等は誰だ?」
やっと俺たちに気が付いたようだ。
「いや、カイ……トさん?カイトさんですか?」
「ああ、そうだ。そのモヒカンは、バーグマンの所の冒険者だよな?」
「あ、は、はい、クラン“暁”のジェットです!」
「そうか、奥さんはもう大丈夫だと思うぞ」
「それは、どう言う事でしょうか?」
「お兄ちゃんが魔法で治してくれたんだよ」
「本当か?信じられねえ……」
「マツリ、今の状態がわかるか?」
マツリはカリーナさんの指先に牙を刺して少しだけ血を吸った。
今回も傷は残っていない。
「な、何を……」
「大丈夫だよ、お父さん」
娘の方がしっかりしているな……
「病は無くなっていますわ。でも……栄養が足りていませんわ」
「栄養?そうか!じゃあ何か精の付くものを買って来るぞ!」
「お父さん、お金はどうするの!?」
「心配するな。さっきバーグマンさんが、見舞金だと言って金貨を3枚くれたんだ。これで何か買ってくる」
バーグマンも中々やるな。本当に、顔に似合わず良い奴だ。
「消化の良いものを買って来るんだよ」
「わかった!!」
元看護師のサトミは最後に付け加える事を忘れていない。
ジェットは金貨を握りしめて、飛び出して行った。
「さてと、俺達が居なくても、もう大丈夫そうだな」
「あ……」
「どうした?不安ならお父さんが帰ってくるまで居ても良いぞ」
俺はアイテムボックスから紅茶とロールケーキを出した。
「あ、私達がやります」
メロディーちゃんとマークがロールケーキをカットして、皿を並べ、ティーポットからカップに紅茶を入れてくれた。
マークも慣れてきたようで、手際が良くなっている。
その様子を、呆気にとられた表情でターナちゃんが見ている。
「さあ、ターナちゃんとレイト君も座って」
アマンダさんに促されて二人が座った所でお茶の時間が始まった。
メロディーちゃんとマークは給仕の為に後ろに控えている。
レクス達は近所の子供達と遊んでいるようだ。
外から賑やかな声が聞こえてくる。
「うわ〜、このお菓子、柔らかくて、甘くて、凄く美味しいです」
ターナちゃんは、ほっぺたを両手で挟んで、暗かった表情が花が咲いたように一気に明るくなった。
「お母さんに半分あげても良いですか?」
本当に、この子は優しくて良い子だ。
「お母さんの分は、ちゃんと取ってあるから、それはターナちゃんが全部食べても良いぞ。マーク」
マークは新たにロールケーキをカットして、皿に乗せた。
「あの……あなた達は?ターナ?」
どうやらカリーナさんが起きたようだ。
「アマンダさん、説明を頼む」
「はい、カイトさん」
アマンダさんから話を聞いて、事情を飲み込んだカリーナさんは、何度も礼を言い、今は俺達と一緒にロールケーキと紅茶を飲んでいる。
「もう大丈夫そうだな」
「はい、お陰様で、身体が軽く、気分もとても良いで……」
「何だ、これは!?」
ジェットが帰って来てこの状況に驚いている。
「お茶会か!?カイトさん、この状況はどういった……」
「ジェット、お前が帰って来るまでターナちゃんが不安そうだったからな。こうやって、お茶を飲みながらお前を待っていたんだ」
「そ、そうだったんですね。お手間を取らせてしまい、申し訳無いです」
俺達はジェットの家を出て、当初の予定通り、多種多様な商店を見て回った。
「何か欲しい物があったら遠慮なく言ってくれ。メロディーちゃんとマークも遠慮は要らないぞ」
「はい、カイト様、ありがとうございます」
サトミとマツリは木工品の店に入り色々と見ているようだ。
サトミは足を止めて一点を見つめている。
マツリは、あちらこちら行ったり来たりして楽しそうに見て回っている。
アマンダさんとミウラさんは木彫りの人形、メロディーちゃんは木製の器を見ている。
キョウヤとマークは興味無さげにブラブラとしているだけだ。
「カイト、私はこれが欲しいんだけど良いかな?」
サトミはずっと見ていた横笛を手にして俺の所に来た。
「ああ、良いぞ。他にも欲しい物があったら言ってくれ」
「うん、ありがとう、カイト」
次はマツリだ。ずっと動き回っていたマツリが持って来たものは、首から上だけの、モアイ像によく似た工芸品だ。
モアイ像と違うところは、糸で作った髪の毛を無造作に貼り付けている所だ。
更に後頭部に魔石を入れる穴が空いているが、これに魔石を入れて何の用途があるのだろう……
「かわいいですわ♪」
「これで良いのか?他にも欲しい物があったら持ってきてもいいし、他の店に行っても良いぞ」
「わかりましたわ。ありがとうございます、カイト様」
かわいいか?これが、かわいいのか?
俺も見て回ったが、これと言った物も無く、ブラブラと手に取っては、棚に戻していた。
木工品店で買い物をしたのは、結局、サトミとマツリだけだった。
次に入ったのは、レクス達が興味深そうに覗いている店だ。
「良いか!もう一度言う。今までもあったように、またいつか、モンスターが大挙して押し寄せるスタンピードがあるかも知れない!或いは、我々人間ではどうする事も出来ないような強力なモンスターが現れるかも知れない」
商店と言うより宗教団体か何かか?
広い室内の演台の上で、黒いマントのフードを目深に被った男が、大勢の民衆を相手に何かの演説をしている。
「天から遣わされた我々の主であるお方は、近い将来に、強大で邪悪な悪魔が地の底から現れると予見なされた!」
会場がざわめき始め、神に祈る者、頭を抱えて震えている者、そして、泣き出してしまう者まで出ている。
「もう、既にその前兆は起きている!不気味なオーラを纏って、正気を失っている見たことの無いモンスターが、王都近郊に突如として現れた!」
会場のざわめきが段々と大きくなって、悲鳴も聞こえて来た。
「だが!!そのモンスターは、天から遣わされた我が主によって、既に討伐されている」
会場に歓声が沸き起こる。
「しかし!!それは前兆に過ぎないのだ!まだまだ不気味なモンスターは、何処からともなく湧いて出るだろう」
デビル化したモンスターの事を言っているのかも知れない……
「俺達はどうしたら良いんだ!?」
「私達は助かるの!?」
会場からの質問を手を上げて制した演台の男は、演説を続ける。
「我々の主は言っている!もう既に勇者はこの地に来ていると!!だが、幾ら勇者でも我々一人一人を守るのは、不可能だ。だから我々は、自分の身は自分で守るしか無い!そこでだ!!」
男は、懐から魔法陣が描かれた紙を全員に見えるように掲げた。
「今から販売するこの御札を、何時も持っているようにして欲しい!身の危険が近づくと魔法陣が赤く光る仕組みになっている!赤く光ったら、安全な場所に避難をするのだ!!そして、黄色く光ったら、まだ見ぬ勇者に力を貸して欲しい!!この魔法陣にお前達の魔力を注ぐだけで勇者の助けになるのだ!!」
まさか高い金額で売りつけるのか?
読んで頂きありがとうございました。
ジェット クラン“暁”の下部メンバー
カリーナ ジェットの妻
ターナ ジェットとカリーナの娘
レイト ジェットとカリーナの息子