第152話 カイト、帝国に行く〜アベル砦〜
山道が終わると、目の前には長く横たわる深い峡谷がある。峡谷と言っても、俺がイメージしていたものよりも幅が広くてとにかく深い。話には聞いていたが、スケールの大きさに圧倒されてしまった。
ずっと降ったり止んだりしている雨の影響なのか、峡谷を流れる川は強い濁流となっていて、此処までその音がゴォォォォォォと重低音を響かせて聞こえてくる。
峡谷には勿論の事なのだが柵等は無く、誤って落下したら先ず助からないだろう。特にこの雨だ。道も泥濘んでいるので気を付けなければいけない。
俺達の進行方向の左手には、その峡谷があり、馬車がぎりぎり離合出来る幅の道を挟んで、右手には鬱蒼と生い茂る深い森が続いている。時折、森の奥からは、かん高いモンスターの声が聞こえて来た。
このような場所でのモンスターとの戦闘は、出来れば避けたいと誰もが思う事だろう。
「普通よりも早く山を越えられましたね、カイトさん」
アマンダさんが煎餅を齧りながら言う。この煎餅は、チューロ村の地震災害の時に王都のギルドマスターが作った物で、アマンダさんにも煎餅を炙る作業を手伝ってもらっていた。
元はおむすびを作っていたのだが、ギルドマスターが作ると何故か煎餅のように固くなるので、それならばと大量に醤油煎餅を作ったのである。
その後、俺もチャレンジしてみたが、一向に煎餅のように固くなる事は無かった。
今の在庫が無くなったら、普通にもち米で作ってみようと思う。
「俺達の場合は夜営の準備とかしなくても良いし、モンスターが出てもワラビとキナコのおかげで、足を止める事も無かったからな」
何時ものように、モンスターが行く手を遮っても、ワラビがブレスや踏みつけで、キナコが風の刃や雷で倒していたところを思い出しながら、緑茶の入った湯呑を片手に答えた。
「ほんと、普通じゃあ考えられませんよ。馬車を引く馬がモンスターを倒しながら進むって、誰に言っても信じてもらえないと思います」
「まあ、別に誰かに言う必要は無いと思うぞミウラさん。ワラビは普通の馬だし、キナコも普通のラージピジョンだからな」
「普通って何なのかしら……」
「バカイトの言う事なんて考えるだけ無駄よミウラちゃん!」
今まで外の雨を眺めていたミントが、俺をバカイトと呼ぶ。
「誰がバカイトだ!? ちびミント!」
「私は妖精だから、ちびなのは普通なんだけど? やっぱりバカだ。バーカ、バーカ」
あれ? 悪口になってなかったのか?
「おバカなカイトはバッカイト! きゃはははは!」
「くっ……こ、この……ちび虫……。ちび虫! ちび虫! ちび虫! ちび虫!」
「む、虫って言ったわね……?」
「ああ、それがどうした? ちび虫」
「う〜っ、バカイトのくせに、何だかむかつくわね。このバッカイト! バカイト! バカイト! バカイト! バッカイト!」
「ちび虫! ちび虫! ちび虫!
ちび虫! ちび虫! ち〜び〜む〜し〜ちび虫! ふんっ! どうだ?」
俺とミントの言い合っているそばでは、サトミ、アマンダさん、ミウラさんが口をぽかんと開けていた。
「子供か!? あんたねぇ、中身はいい歳のおじさんだったわよね? や〜い、カイトはお子ちゃまでちゅね〜。お子ちゃまお子ちゃま〜」
得意気な俺の顔を見て、ミントが俺を子供扱いしてくる。オレが何か言い返す言葉を探していると……。
「まあまあ、お二人とも、お戯れはそのへんにして、お食事に致しましょう」
フェルナンさんが、苦笑気味に俺とミントの口喧嘩を止めに入り、テーブルの上にカレーとサラダを人数分置いた。
「やった! カレーだねフェルナンさん」
「はい、サトミ様。勿論サトミ様とミント様の分は甘口にしていますよ」
フェルナンさんが優しく微笑んで一礼して、カウンターの奥に戻って行った。
今では、それぞれの好みに合わせたカレーの辛さを用意している。サトミとミントは甘口でアマンダさんとミウラさんは中辛。そして、俺のカレーは勿論辛口カレーだ。
「仕方無いわね。今日はこのくらいにしておいてあげるわ。お子ちゃまカイトちゃん」
「何だと? 俺を子供扱いするのは辛口カレーを食べられるようになってからするんだな。ほら、食べてみろ」
俺は、辛口カレーをスプーンにすくってミントの前に差し出す。
「い、いらないわよ。そんな辛いカレーは食べられないわ」
そう言って、ミントはサトミの頭の後ろに隠れる。
「ふん、辛口カレーが食べられないって事は、どうやら子供はミントの方だったみたいだな」
どうだ! 言ってやったぜ!!
「あはははは! カイト、ミントちゃんはまだ子供だよ」
ミントはサトミの頭の後ろから俺を涙目で見ながら、そうだそうだと肯いている。
俺は何だか負けたような気がして、肩を落としながら美味しい辛口カレーを黙って食べるのだった。
新月の館に帰って昼食を食べずに、馬車の中で食べているのは、少しでも早くバルモア帝国に着く為である。
俺が新月の館に帰ると、そこで足を止める事になって移動距離が稼げなくなるので、新月の館に帰るのは暗くなってからにしている。それに、ワラビも休まないといけないからな。
これから馬車は、一旦峡谷を離れて森の中に入って行く。ミウラさんが調べて来た情報に依ると、この森の中にある道も驚異の一つで、モンスターが頻繁に襲って来るのだとか。
高ランクモンスターは、森の奥から滅多に出て来ないそうだが、そうではないCランク以下のモンスターは、森の外周を縄張りにしているそうである。
俺達が乗る馬車は今まさにモンスターの縄張りに入ろうとしていた。
「ダイフク、下に降りて先行してくれないか?」
(うん、良いよ。モンスターが出たら食べても良い?)
俺が馬車の屋根に居るダイフクに指示を出すと、直ぐに了解の念話が送られてきた。
人形形態から本来の姿に戻ったダイフクが馬車の前を先行する。そうする事でこの辺りのモンスターは近付いて来なくなる。ゴブリン等の一部のモンスターは、ダイフクの前に現れるだろうが……。
「ダイフクちゃんが居ると安心して森の中を進めますね」
ミウラさんが、窓からダイフクを見ながら言う。
「ああ、これなら余計な戦闘をしなくても済むからな」
「ギルドの地図に依ると、この森を抜けると直ぐに、アベル砦と峡谷に架かる国境の橋が見えて来るはずですよ」
森の中を抜けるのに三日もかかってしまった。一切モンスターとの戦闘はしていないというのにだ。
ミウラさんの情報通りに、森を抜けると目の前が開けてアベル砦が先ず目に入り、それから大きな橋が掛かっているのが見て取れた。
「此処で止まれ! 何だ? 御者が居ないぞ」
「よく見ろ、猫人の人形が手綱を握っているぞ」
恐らく国境を守る兵士なのだろう。俺達が乗る馬車を止めて、検問を始めた。
「凄いなこの馬車は……。何処かの王族か?」
「ふむ、乗っているのは、冒険者か? それと、神父に聖騎士、町娘、妖精……? 人形……? はっ! もしかしてお前はカイトではないか?」
今日はミシェル神父達も一緒に馬車に乗っている。それにしてもどうしてだか、この兵士は俺の事を知っているようだ。勿論、俺は此処の兵士達を見るのは初めてなのだが……。
「はい、雨の中ご苦労さまです。俺がカイトですが……?」
「不思議そうな顔をしているな。これは国王様の御達しでな、お前達が来たら直ぐに通してやる事になっている。何ならもてなしてやってくれとも言われているが?」
あの国王が? 俺はこれといって何もしていないのだがな。強いて言えば、ビショップ達の仲間ということだけだ。前に会った時も思ったが、優しい国王だな。
「それにしても、お前達はあの森を抜けて来たのか? 山には盗賊が居るし、襲って来るモンスターも多かった筈だが、良く無事で来れたもんだな。このルートで来た者は大抵の事、馬車が壊れていたり、けが人や死人が出ているからな」
「そうなのですか? 盗賊も出ていないし、強力なモンスターも襲って来なかったから、俺達は運が良かったのかもしれませんね」
盗賊はどうだか知らないが、モンスターに関しては、ダイフク、キナコ、ワラビのおかげだな。
「そうだな。普通はほら、こっちの広い道を通って行くと、直接王都まで繋がっているからな。道も整備されているし、警備兵も巡回しているから安全だ」
俺達が来た道とは逆の方に、広くて整備された道があった。丁度今、先のカーブになっている所から、巡回していた兵士なのだろう、馬に乗った五人の兵の姿が見えた。巡回を終えて砦に戻って来たところのようだ。
その後、兵士達のもてなしは丁重に断り、俺達を乗せた新月の馬車は、国境に架かる大きな橋を渡るのであった。
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