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天空詠みの巫女  作者: 鷹矢竜児
叙章 アガルタの記憶に徒花を
9/28

端書、その三 真夜中の訪問者に戦雲の夢を

「見ツケタ」


「アァ、見ツケタ」


「鍵ダ」


「コノ子ガ?」


「アァ、コノ子ガ鍵ダ」



 その夜、昔の夢を見た……それは、どこか見覚えのある風景。


 鬱蒼と生い茂る、山の木立。


 その近くを流れる、小川の細流。


 耳を劈く蝉の合唱。


 牧歌的な土の香り。


 炭窯から立ち昇っていく白煙……。



「唯姫ちゃん、出てきてはだめ!」


(唯姫って誰だろう……? もしかして、私のこと?)



 でも、それは私の知らない『私の記憶』――



     ☆



 ’二三年〇九月一一日(約束の日まで、あと四八〇九日)



 三重県は熊野の里山――そこは小高い山々に囲まれた谷沿いに、ひっそりと数十軒の民家が寄り集まって形成された、いわゆる『限界集落』である。


 中でも一際大きく、最も古そうな日本家屋に幼少時代の御神みかみ唯姫いつきは預けられていた。物心がついた頃から、小学校入学を機に両親が迎えに来るまでの数年間を、自然豊かなその環境で祖父の手によって育てられる。


 成長した唯姫は、いつぞや母親にその頃の事情を聞いてみたことがあった。だが、「んー、貧乏だったから……かな?」と一蹴されて以来、それ以上のことは突っ込んで聞く気にはなれないでいる。


 ただ、当時はそれが当たり前のことであり――現在いまの生活にその身を置くまでは、自分が『普通』とは少し違った家庭環境にあったことなど、その頃の唯姫には知る由もなかった。


 家主である祖父は、朝になるといつもどこかへ出掛けていき、夕刻まで帰ることはない。そのため、屋敷にはもう一人『沙依さより』という家政婦と思しき女性が、住み込みで唯姫たちの世話や家事に従事していた。しかし、彼女は子供の扱いが得意ではないらしく、唯姫とは少し距離を置いていた感が見受けられる。


 祖父の書斎には本が山積みになっていたが、幼い子供が読めるものは、ただの一冊も見当たらない。広い屋敷は部屋数も多く、『かくれんぼ』には打ってつけだったのだが、共に遊んでくれる同世代の子供の姿など、集落のどこを探しても見つからない。


 そんな唯姫の唯一の友だちは、番犬の『タローさん』だけであり、天気のよい日などは朝から晩までいつも一緒に過ごしていた。


 野生児の如く野山を駆け回ったり、田んぼや畑の畦道で野花を摘んだり、近くの小川へ行っては、膝まで浸かって小魚や蛙と戯れる……そのほとんどの日々を、少女は白い雑種犬と遊ぶようになっていた。



 そして、あの日(・・・)も……。



 その“声”は、遊び場のひとつでもある小川を越えた先――薄暗い、竹藪の奥から聞こえていた。ざわざわと風に揺れる笹の葉音に紛れて、唯姫の耳には確かにその“声”が届いている。


 竹藪は外から見ると中は暗く、それがどこまでも続いている感じがとても怖くて、いつもは決して近寄ることのない場所であった。しかし、幼い子供がすすり泣くようなその“声”に導かれて……はたまた誘われるがまま、唯姫はその中へとつい足を踏み入れてしまう。


「だれ? どこにいるの……?」


 恐る恐る“声”の主を探しながら、唯姫の小さな足は深い竹藪の中を、奥へ、奥へと、さらに分け入っていく。帰り道がわからなくなりそうで、気がきではなかったが、タローさんの鳴き声が心強くもあり、その時は不安を拭い去ることができた。


 いち早くそれ(・・)を見つけたのは、犬のタローさんであった。


 退屈な里山での暮らし……そして、変化のない毎日に飽き飽きしていた唯姫は、犬の吠える方へと向っていくうちに、ついには駆け出してしまう――その時、少女の好奇心は頂点へと達していった。


 竹薮のかなり奥の方まで来てしまっていたが、その中は思っていたよりも明るく、しかし想像通りにどこまでも続いている。だが、そんなことはお構いなしに、唯姫は小さな足で必死に駆けていく。



 そして、唯姫(しょうじょ)は出会った――



 遠くから見えた泣き声の主は、ぼんやりとした白磁色の光を全身から放ちながらも、かろうじて人の子の形(・・・・・)をしていた。


 唯姫の気配に気がつくと、その子は慌てたようにジタバタしながら必死に抗ってみせる。しかし、罠にでも掛かったかのように、その場所からどうしても身動きが取れないでいる様子であった。


 唯姫は内心、恐怖に打ち震えていた。だが、その子はどう見ても自分と同じ位の背格好であったし、なによりも今は、“彼”を助けることを優先しなければならない。


 もしかしたら、一緒に遊んでくれるかもしれない……()()()()()()()()になってくれるかもしれない……そんな期待を秘めた少女は、一歩一歩と彼に近づく毎に、その小さな胸を高鳴らせていく。気づけば、唯姫はその子の直ぐ傍まで近寄っていた。


「……どうしたの? だいじょうぶ? どっかいたいの?」


 べそをかいて途方に暮れているその子に向けて、できるだけ優しい態度で声を掛けていく唯姫。よく見ると、かなり深そうな穴に片足が嵌り込んで、どうにも抜けずにいる様子であった。


 引き抜いてあげようと思い、穴に向かってそっと手を伸ばていくと、唯姫の掌から丸い光輪が出現し彼の足を覆っていく。その途端、みるみるうちに穴は小さくなり、間もなくして跡形もなくその場から消滅していくのだった。


 スッポン! と、穴から一気に抜ける――と、今度はその反動で、竹藪の中を勢いよく転がり出してしまう。光を纏った子は斜面を下るようにして、どこまでもどこまでも転がり続けていった。


 太い幹に当たってようやく止まったその子は、ボーっと放心状態で目を回している。その様子を目の当たりにした唯姫は、プッっと吹き出すと、お腹を抱えて笑い出した。ややあって、その子も照れ笑いを浮かべる……。


 あれほど怖かった竹藪の中は、いつしか二人の明るい笑い声で包まれて、陰湿な雰囲気を払拭していた。



     ☆



 夕餉の時、唯姫は目を爛々と輝かせながら、昼間に起きた出来事を祖父に話して聞かせた。


「そりゃあ、カシャンボやな……言うなれば、山の河童ってとこや」


 それが祖父の口から出た言葉だった。


「カシャ……? かっぱさん……?」


「そりゃ、子供やったんやろう?」


「うん、そう。わたしくらいのおおきさだった」


「ほなら、そいつはカシャンボや」


「カシャ……ンポ?」


「ここらじゃ山に住む河童を、『カシャンボ』ゆうてな。それが大きくなると、今度は天狗になる。ほんで、終いには鬼や……よかったなあ、相手がまだ子供で。鬼やったら、唯姫なんぞ直ぐ食われてまうな?」


 そう言って、祖父は唯姫を散々脅した挙句、“このことは、誰にも言ってはならない”と強く釘を刺す。また、念入りに“竹藪の中へは、二度と近づいてはならない”とも諭した。



 その夜、昼間の出来事から興奮状態にあった唯姫は、布団の中で眠れぬひと時を過ごしていた。暫くすると深夜にもかかわらず、集落中の大人たちがこぞって祖父の屋敷へと集まり、なにやら深刻な話をしている様子であった。


 壁越しにその雰囲気を察すると、なにか自分がとんでもなく悪いことをしてしまったのではないか? と、幼心からも罪悪感に苛まれる。その恐怖から、唯姫は益々眠れなくなってしまうのだった。



「“奴ら”か?」


「そやな……あの子から聞いた限りやと、たぶん地下の方の連中やな」


「結界を越えた所で、罠にでもかかったんやろうが?」


天巫女(いつき)が、無意識に罠を外したみたいやに」


「ほんなら、ここも安全やのうなったちゅうことか?」


「ほたら、伊勢に戻ればええんじゃ」


「それは到底無理やわ……もう、伊勢には戻られん。ここから移るんやったら、伊賀方面か甲賀……」



 その時、臥間の向こうから人の気配がした。


 誰よりも早く、それに気がついた神矢(かみや)沙依(さより)は、そっと臥間を開ける……と、そこに立っていたのは、熊のぬいぐるみを抱きながらぐずる、寝間着姿の唯姫であった。


「ごめんなさい……もう……いかないから……もう……しないから……」


 その姿を見た沙依は、思わず唯姫を強く抱きしめてしまう。


「大丈夫……大丈夫だからね」


 その場にいた全員の視線が沙依と唯姫に注がれている中、外では犬のタローが尋常ではない吠え方をしていた。間もなく、玄関の引き戸がガタガタと揺れ始める。


「――来たか」


 なにかの気配を察した唯姫の祖父は、ゆっくりと腰を上げる……その刹那、引き戸がパーンと開け放たれた。



「見ツケタ」


「アァ、見ツケタ」


「鍵ダ」


「コノ子ガ?」


「アァ、コノ子ガ鍵ダ」


 玄関の土間にポッカリと黒い穴が開くと、その中から徐々に黒い霧が渦を巻いて溢れ出す。すると今度は、黒い霧と共に穴の奥から何本もの“大きな腕”が次から次へと這い出てきた。その“大きな腕たち”は唯姫の存在に気がつくと、うねりを帯びながら部屋の中までどんどん這い寄ってくる。


「沙依さん、その子を連れて奥へ!」


「唯姫ちゃん、出てきてはだめ!」


 沙依は、咄嗟に唯姫を臥間の奥へ押し戻していく。その瞬間、一本の”大きな腕”の先――鋭い爪が背中を引き裂いた。グッ……と、一瞬うめき声をあげた沙依は、身をよじって懐に忍ばせた短刀を振り下ろし、鋭い爪の数本を切り落とす。


「アガルタヘ」


「アガルタヘ連レテイケ」


「アァ、吾等ヲアガルタヘ」


 唯姫らを庇うように、集落の男たちが“大きな腕たち”の前へと立ちはだかる。


「押し返すで!」


元柱固具(がんちゅうこしん)八隅八気(はちぐうはつき)五陽五神(ごようごしん)陽動二衝厳神おんみょうにしょうげんしん害気(がいき)攘払(ゆずりはらい)し、四柱神(しちゅうしん)鎮護(ちんご)し、五神開衢(ごしんかいえい)悪鬼(あっき)(はら)い、奇動霊光四隅(きどうれいこうしぐう)衝徹(しょうてつ)し、元柱固具、安鎮(あんちん)を得んことを、(つと)みて五陽霊神(ごようれいしん)に願い(たてまつ)る……」


 集落の大人たちが“大きな腕たち”を取り囲み、鬼門封じの言呪符(ごんじゅふ)を一斉に唱えると、それらは見事に動きを封じられていく。そんな中、沙依が再び懐から御札を数枚取り出し、小指の皮を短刀で切って素早く呪符を書き殴った。


朱雀(すざく)玄武(げんぶ)白虎(びゃっこ)勾陣(こうちん)帝久(ていきゅう)文王(ぶんおう)三台(さんたい)玉女(ぎょくにょ)青龍(せいりゅう)……呪符退魔(じゅふたいま)急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」


 呪符を口に咥えながら、刀印をもって『九字』を切る――沙依は、呪文と共に呪符を投げつけていく。集落の大人たちが慌てて耳をふさぐ中、轟音と共に雷光が家屋の中を駆け抜けると、侵入者たちを次々と貫いていった。


 雷に打たれた“大きな腕たち”は、今度は苦しそうにのたうち回る。ともすれば、元来た穴の中へと、ぞろぞろ去っていくのだった。侵入者たちが退散していく中、唯姫は沙依たちの傍らで気を失っていた。


「あーあ……奴ら、つっかけやら長靴やら、みーんな飲み込んで行きよった」


「俺ら、どないして帰ったらええの……?」


「……」


 首輪だけを残して、番犬のタローさんは奴らと共に姿を消した――恐怖の一夜は、ようやく明けたのだった。


 以来、御神唯姫は暗闇を人一倍怖がるようになり、あの竹藪の中へも二度と近づくことはなくなったという。




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