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天空詠みの巫女  作者: 鷹矢竜児
叙章 アガルタの記憶に徒花を
23/28

六話 闇の住人に血の洗礼を ②


     ☆



 目覚めると、そこは……まあまあ、見慣れた天井があった。



「……ああ、起きたの? 今コーヒーを落としてる所だけれど、織子も飲む?」


 枕元のデジタル時計が視界に入って、時刻がわかった。七時四十四分――さっきの戦いより、半日以上は経ったのだろう。それとも、何日も寝込んでしまったのだろうか。


「静ちゃん、どのくらい経った?」


 横になっていたベッドから上半身だけを起こすと、織子は白衣姿の女性、池神いけがみしずかに尋ねた。


「ん? 昨晩、ボロボロになったあんたがいきなり訪ねて来て、寝室に直行。ベッドへ倒れ込んでから、そろそろ十二時間ってところかしらね……そんな傷だらけになって、何があったのよ?」


「まあ……厳ついインド人の不良に、ちょっと絡まれただけニャ」


 首や手足の節々が、鋭い痛みを覚えている。傷口はしっかりと塞がっていたが、衣服の血痕だけは隠しようがない。


「どうせ、また無茶でもしたんでしょ? 本当、勘弁して欲しいわ……織子あんたが問題起こすたびに、学校へ呼び出される身にもなって欲しいのよ。まあ、私はいつもシカトしてるのだけれど……」


「そうだねぇ……努力はするけど、オリコはオリコだから諦めて? 静ちゃん。あと、ミルク多めでオニャシャス」


 はいはい……と、呆れながら寝室を出ていく静。その後ろ姿を見送った織子は、つい先刻の戦いを思い起こしていた。



     ☆



 一点突破で怪しいインド人へと向かって行く織子。だが、彼女はいつでも“逃げ”を決め込む算段でいた。勝敗は関係ない……兎に角、池神静の研究室まで繋がっている門扉を、そのまま開きっぱなしにはできないのだ。


 なにぶん、二人を相手にするのもかなり分が悪い。


 ここは、逃げるが勝ち――門扉が閉まる直前まで時間を稼いで、一気にそこへと逃げ込む覚悟であった。



「織子ー!」



 その声は、雑居ビルの真下から聞こえた。そして、織子の意識を一瞬、惑わせる。


「遥夏……ニャんで、こんニャトコに!」


 雲が月を隠したおかげで、辺りは薄ぼんやりとしか見えなかったが、確かに廣瀬ひろせ遥夏はるかの声がした。街並みの中には、彼女のほかに人影は見当たらない。


「――ん?」


 突如として、織子の耳が大きな羽音を捉える。それも、かなり至近距離で……彼女は咄嗟に頭上を見上げた。夜空に覆い被さる翼影は、一陣の風を巻き起こしながら、彼女たちの頭上を通り過ぎていく。それは一旦上空へと浮上すると、一転して急降下――あからさまに遥夏を狙っていた。


「こっちに来ちゃ駄目ニャ! 遥夏、逃げて!」


 爪を壁に引っ掛けて、派手に火花を散らせながら無理やり方向転換をする。織子は、『ドゥルーヴ』と呼ばれた木偶の突進を躱しながら、遥夏に向かって大声を上げた。


 遥夏の眼前に、鷹によく似たシルエットの翼影が舞い降り爪を剥く――その瞬間、強い突風が彼女の周囲に巻き起こり、その攻撃を防いだ。


「おっと、ごめんよ! この子に傷はつけられないんでね」


 雲が移動し、月が顔を覗かせる……月光が銀髪の少年の存在を暴いていく。ハヤトは遥夏を庇うようにして身を挺すると、突風を巻き起こした西洋の長剣で、その大きな翼影を追い払っていた。


旋風つむじ、そいつらに構わなくていいっぽい!」


 新たなる敵――ハヤトの存在に気がついた水縞蓮華は、慌てて旋風を呼び戻す。


「あれは、ヴァグザの工作員……やっぱり、池神織子と繋がっていた感じ?」


 当初の目的である織子を確保するために、蓮華はドゥルーヴに向かって強く念じ、その行動を操っていく。先ほどよりも、さらに眼球を赤く染め上げたインド人木偶は、徐に手にした笛を口に咥える。すると、彼の衣服の中からぞろぞろと数十匹の蛇が這い出て来て、織子めがけて威嚇を始めるのだった。


 その時、織子の持つモバイル・ギアのアラームが、再び鳴り響く。


「うーん、盛り上がってるトコ悪いんだけど……どうやら時間が来てしまったようニャ。ではみニャの衆、サラバニャ!」


 踵を返すと、織子は宙を飛んで元来たビルの屋上に戻っていく。古く錆びついた貨物コンテナの扉に手を掛け一気に開く――そこには、まるで長いトンネルの入り口のように、真っ暗な空洞がぱっくりと口を開け、遙か彼方に光の灯が見えた。


 モバイル・ギアのアラームが鳴り止むと同時に、織子はその中へ飛び込んでいく。ドゥルーヴが必死の形相で追いかけるも、すんでのところでコンテナが閉じられ、門扉も消滅してしまった。


「っていうか、どうして池神織子単体で門扉を操れる感じ?」


 その一瞬の出来事に、呆気に取られた蓮華が感嘆の言葉を漏らす。立ち去りがてら、ハヤトが応える。


堕巫女あれは特別なのさ……僕らでさえも、門扉を扱うにはかなりの労力と時間が必要だというのにね」


 水縞蓮華の双眸が、ハヤトたちの姿を追った。だが、その存在はどこにも確認できず、周囲にもその姿を捕らえることはできなかった。ドゥルーヴと共にその場に取り残された少女は、ひとり爪を噛んで悔しさを滲ませる。



 旋風の襲来に気を失っていた遥夏は、ハヤトの胸に抱かれていた。


 織子の危機を察知した彼女は、ハヤトの静止を振り切ってここまで駆けて来たのだった。その行動の裏側に潜んだ人為的な思惑が、ハヤトの 琴線に触れる。


「これは、僕なんかよりも強い暗示に縛られているみたいだ……単なる、『絆』とも違うなにか。今は調べる暇もないけど、これは報告が必要な案件だね」


 池神織子という得体のしれない存在に、ハヤトは一抹の不安を感じて動揺をみせる。


「こちらも、そろそろタイムリミットだ」


 そう呟くと、ハヤトは遥夏を抱えたまま、ビルの間を跳躍しながら港の方角に向かうのだった。



     ☆



 目的の場所――フッシャーマンズワーフに隣接する植物園に着くと、正面入口のドアには『閉館中』と書かれた看板が掛けられ、丁寧にシャッターまでもが閉じられていた。


 巨大な金魚鉢のような見た目の密閉型植物園。人気もない深夜のそれは、どこか薄気味悪い雰囲気が漂っている。ハヤトはそれを肌で感じながら、二階の非常用扉から中に入っていった。


 一階へと階段を降りたハヤトは、気を失ったままの廣瀬遥夏の身体を近くのベンチへと横たえる。その直ぐ傍では、髪の長いブロンドの男スタンが、門扉ゲイトの座標を設定しているところであった。


「ジュエル君はどうしました?」


「向こうの御庭番に、少々手こずっているみたいだね……連絡は?」


「こちらには、まだありませんね……」


 あれほど、連絡はマメにと言っておいたのに……そう溜息をついたスタンは、雑念を振り払うと意識を門扉の解放へと集中させる。


「間もなく門扉が開きます。そうすると、残りの猶予は三十分……ハヤト、いかがします? このまま待つか、助けに行くのか、はたまた見捨てるのか……」


「見捨てるのは、僕の主義じゃないかな?」


 そのセリフを聞いたスタンは、腕のスピードマスターを見ながらゆっくりと立ち上がった。


「では、行きますか……ジュエル君(かれ)を助けに」



「その必要はないぜ!」



 声のした方を見ると、ジュエルの首元に青龍刀を突きつけて立つ倉田鞍馬の姿があった。


「廣瀬遥夏の身柄を返してもらおうか? それとも、ここでこいつの首を刎ねてみせようか?」


「二人ともごめん……僕じゃあ、ちょっと役不足だったみたいだ」


 ジュエルの様子は、たいして目立った怪我など見られない。どちらかというと、見た目は鞍馬の方が傷だらけで、かなりぼろぼろの状態だった。


「どうやら彼は紳士的なようだね、ハヤト……どうします?」


「では、今度は僕が彼の相手をしようかな? スタンとジュエルは遥夏かのじよを連れて、先に船へ行っててくれないか?」


 そう言うと、ハヤトは細身の西洋剣を空中から抜き出す。


「そこまで廣瀬遥夏に固執する理由はなんだ? お前らが欲しいのは『陽之巫女』の身柄じゃないのか?」


「……どういう意味かな?」


 思いがけない鞍馬の台詞に、ハヤトの思考が一瞬固まる。


「くくくく……やっぱりな。知らなかったのか? 廣瀬遥夏は『陽之巫女』の影武者だってことを」


「なっ……そんなはずはない! これは一年掛かりで計画された……まさか、証拠はあるのか?」


 自信ありげにそう話す蔵馬に対し、ハヤトは剣を構える。


「俺がその証拠だ。俺は『陽之巫女』の……双子の兄なんだからな!」


「スタン……やはり、ジュエルを連れて先に戻ってくれないか。僕は、色々と勘違いをしてしまったようだ。このケジメは、自分でつけたい」


 そう言うと、ハヤトは剣を下ろし鞍馬の真正面へと歩み寄った。


「亜瑠坐瑠の御庭番君。わかったよ、遥夏は返そう。その代わり……できれば彼らだけは、見逃してあげてはくれないだろうか?」


「俺の受けた命令は、廣瀬遥夏の警護だけだ。お前たちの盗伐は、たぶん別の連中が担っていることだろうさ」



 ちょうどその頃、二十人ほどの武装した集団が、闇の中を隊列を乱すことなく街中を駆けていく――フィッシャーマンズワーフ敷地内に進入すると、進入経路を確認した部隊が植物園全体を包囲していった。


 先頭を切る水縞蓮華は、入り口の閉じられたシャッター越しにそっと耳を当てて中の様子を窺う。御霊の数は五つ……そのほかの気配は感じられない。


「ここっぽい」



 ――!



 突如、敷地内に大きな爆発音が響き渡る。ヴァグザの工作員、スタンが外に停泊していたプレジャーボートの爆破スイッチを入れたのだった。


 割れんばかりの雑音に、蓮華の探索が一時的に中断される。彼女にとって、音の洪水は耐えがたいほどの苦痛だったが、そんな中でも女の悲鳴は確かに聞こえた。突入隊は、爆発音がした方と二手に分かれる。


 植物園への突入は、汚名返上とばかりにドゥルーヴが先駆けを務めた。考えるより先に、短剣を握った右腕を荒っぽく振り下ろす――それが貫かれると、シャッターは薄っぺらな紙切れのようにあっけなく切断されていく。


 中に入ると、園特有の湿気に加えてうっそうと茂る熱帯植物が彼らを出迎えた。それでも悲鳴が聞こえた方向に向かって、蓮華たちは園内を駆け抜けていく。



 耳を劈くような轟音と共に、爆炎がプレジャーボートを粉々に吹き飛ばす。岸壁にもうもうと立ち上がる黒煙が、全面ガラス張りの植物園の中からもよく見えた。


「余計な手間……とは言いませんが、これで少しは時間稼ぎができるでしょう」


 スタンはジュエルに向かって手招きすると、プロジェクターのような機器を起動させて、簡易的な門扉をその場に投影させた。


「助けてくれって頼んだ覚えはないよ」


 鞍馬に腰を蹴られ、よたよたと解放されたジュエルは、ふてくされた言葉を吐く。


「可愛くないですよ、ジュエル君。ここは素直に……」


「わかってるよ、ありがとうスタン。そして、ごめん……ハヤト」 


 スタンとジュエルは、壁に投影された門扉の中へと入って消えていった。


 

「よう、大丈夫か?」


 その言葉は、爆音で意識を取り戻した遥夏に向かって掛けられたものだった。彼女の頭をポンポンと優しく叩き、血みどろのぼろぼろな姿で苦笑いする鞍馬。その姿を見た瞬間、遥夏の瞳から涙が溢れた。


「なんで……あんたなのよ。なんで……なんでなのよ! ハヤト!」


「……」


 突入隊の侵入に気がついたハヤトは、詰め寄る遥夏とは眼を合わせようともせずに、静かにその場から立ち去っていく。


 鞍馬と遥夏は、その背中を黙ったまま見送っていた。



 蓮華たちが現場に突入した時には、すでに侵入者エイリアンたちの姿はどこにもなかった。ご苦労さん……そう鞍馬に言われた蓮華は、自分の実力不足を感じて肩を落とした。

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