端書、その四 異端者共に乾杯を
この国で『神』と呼ばれるモノは、唯一無二の存在ではない。
最初に生まれた意識の欠片――そこから分かった尊きモノは瞬く間に増殖を始め、やがてはその数を数百万にまで増やしていった。
かつて『人』であったモノに宿り、かつて『獣』であったモノに宿り、かつて『物』であったり、『土地』であったモノに宿る……それは『神の御魂』と呼ばれる、極めて原始的な霊魂が宿った存在。そんな『八百万の神』たちは、やがて人々の生活の中へとごく自然に溶け込んでいった。
力添えをしては人々を支え、世を怨んでは人々に仇をなす。
あるモノは『豊穣の神』や『大漁の神』、または『学問の神』や『縁結びの神』として奉られ、あるモノは『妖怪』や『物の怪』の類、もしくは穢れたモノとして忌み嫌われた。
人の側もまた、祈願成就のために恭しく祀り上げ、祟りを恐れては畏怖の念を抱いてそれらを崇め立てる。相対しながらも、対等な関係を保った存在――いわば、人と共存共栄する神々《モノたち》であった。
その様は、まるで現世を映し出す光と影の如く……。
年月が経つにつれ、『八百万の神』たちは世間の闇の中へとその身をやつし、いつしか人々の記憶からも忘れ去られていった。
そんな中、彼らの一部は自らを先住民族『亜瑠坐瑠』と称し、突如としてその存在を世に曝し始める。しかしながら、物質主義に囚われた現代社会には、それを受け入れる余裕はなかった。
時勢は彼らを、共存しがたいモノと判断――一方的に特定異端種……所謂、“妖怪や物の怪の類”と認定し、『北の大地』へ隔離してしまうのだった。
☆
’三六年〇四月一四日(約束の日まで、あと二一一日)
都内港区、浜松町駅にほど近いとある高層ホテルの一室に、内閣官房長官畠山薫の姿はあった。
窓の外は輝くばかりの夜景が広がり、そこから“うねり”にも似た都会の大動脈を見下ろすことで、彼は一時の至福を味わうことができた。
その部屋にはもう一人……初老の男がソファーに凭れながら、ロックグラスを傾けている。ノーネクタイのスーツ姿に黒いニット帽という、かなり風変わりな初老の男は結構なピッチでグラスを空にしていく。
ロックグラスの氷が溶ける音、煙草の煙を吐く息の音、空になったグラスに、再びブランデーを注ぐ音、再び煙草に火をつけるライターの音……そんな雑音のほかにはなにもなく、二人の間にもこれといって会話はない。
そんな何もない時間が、もうかれこれ二時間は続いていた。
その時、突如ドアをノックする音が室内に響いて、長く続いたしじまを打ち破った――と同時に、畠山の私設秘書が恭しく、黒いアタッシュケースを持って室内へと入ってくる。
「たいへんお待たせしました」
黒々としたいかにもなケースは、初老男の前へと差し出された。
「異端野郎共に乾杯、か……? だが、奴らのほとんどは、今も北の大地でおとなしく引き籠っているのだろうよ。“神威沖の物件”も、明日から調査開始だということでもあるし……畠山さんよ、『小笠原塾』が動くには、時期尚早なのではないのかね?」
「……」
畠山は、無言で煙草の煙をくゆらしていた。
「まあ、そんなことなど、俺たちの間には無関係だったな。ただ……」
初老男はボトルに残ったブランデーをすべてグラスに注ぐと、それを一気に飲み干していく。
「東北海道の大震災から、かれこれもう五年か……こちらもなにかと忙しくてな。ウチの兵隊どもは、未だに北海道や東北辺りをせわしなく飛びまわっておるよ。なあに、アガリはたかが知れているのだが、今も一番重要な『シノギ』なのでね。だから、今回の仕事は少数精鋭でいかせてもらうが、そちらさん方に異存はないんだろうね?」
何を言ったところで、好き勝手動くのであろう……と、畠山は思った。男はアタッシュケースを静かに開き、中身を確認すると徐に立ち上がる。
「もう少し『色』をつけて欲しいものだが……今は、お互い辛い時期だからな。まあ、これはこれで、取りあえずは受け取っておくよ。先生方にはもっとがんばって貰って、俺たちの“生きやすい世の中”って奴を作ってもらわないといけないからな。では、俺はこれで失礼するよ」
「くれぐれも、派手にはやらんでくれよ」
畠山は男に背を向けたまま、ようやく一言を発した。
「心得ているよ……俺たちにだってそれはわかってる。昔のようにはいかないさ。ああ、もうそんな時代じゃないっていうことは、充分わかっている。
あの震災によって、すべてが変わってしまったからな……だがな、俺たちは半島や大陸嫌いの若い奴らとか、昔気質の『民族派』といった連中とは違うんだ。
志はいつも『亜細亜開放』に『帝国万歳』だ。
売国奴どもに一泡吹かせて、それだけで満足ってわけでもない。それだけは誤解しないように……な? それじゃあ、月末の『皇道立教会』の会合の時には、こちらからなんらかの報告はさせてもらいますよ」
そう言い残すと、初老男は秘書の肩をポンと軽く叩き、その部屋を後にした。
「昭和の亡霊が……」
私設秘書は、それを見送ると吐き捨てるようにそう言った。
「ふん……奴らとて、今のこの国を憂いている者たちには違いあるまい?
今でこそ御大層に『小笠原塾』なんて政治結社を謳ってはいるが、元々は『緑竜会』の残党が戦後、ドタバタの中で起こした総会屋だ。まあ、『緑竜会』だとか、『皇道立教会』だとか……まさに『昭和の亡霊』そのものだがな。
その実、奴らの戦前からのネットワークは未だに顕在……だからこそ、この国の礎になってもらうことは、奴らにとっても本望なのだろう? この国はもう一度、『戦後』からやり直すべきなのだよ」
畠山はソファーに深く腰を下ろすと、部屋に置かれたテレビの電源を入れる。ニュース映像には、国会前でのデモの様子が映し出されていた。
「――改正マイナンバー法案の反対を求めて、国会議事堂周辺では過去最大規模のデモとなりました。主催者発表によりますと、代々木公園や日比谷公園で行われるイベントでは約十五万人が。警察関係者によりますと、国会周辺だけで参加者は約三万三千人がデモに参加したということです。続きましては、OWO――アメリカの主導による『ワン・ワールド・オーダー計画』に続報です……」
「まるでクソに集るウジ虫だな。この国は出遅れた……最早、先進国とは言えないくらいに、すべてにおいて出遅れてしまっているのだ。コイツらはなぜ、そのことを認めようとはせんのだろうな?」
窓の外に目を移すと、数羽のカラスが『ごみステーション』のごみ袋を啄んで漁っていた。深いため息をついた畠山に指示されて、私設秘書は窓のカーテンを勢いよく閉める。
「それに比べれば、奴らの方がいくらかはマシか……巽君、神威の女狐に電話を繋いでくれ。神矢の爺いではなく、孫娘の方がいいだろう。まだ、話が通じる」
(さて、我々はどこに向かおうか……)
秘書からスマートフォンを受け取った畠山は、声色を外向けの明るい物に変えると、煙草を乱雑に揉み消すのだった。




