端書、その一 魂の故郷に約束の詩を
(この作品はフィクションです。作中で描写される人物、出来事、土地と、その名前は架空のものであり、土地、名前、人物、または過去の人物、商品、法人とのいかなる類似あるいは一致も、まったくの偶然であり意図しないものです。)
我々はどこから来て、どこに向かっているのだろう。
すべての始まりは混沌から――否、『無』の中の、一瞬のゆらぎから起こったという。
そして、“それ”は再び『無』へと還る。
ならば、この『魂』はどうだろう……果たして、“神の創造りしモノ”なのだろうか。
幾度となく生まれ出ては没していく中で、有史以来、万物の霊長として地上に君臨し続けてきた我々は、これまでその地位を他者に明け渡した事実など、ただの一度もなかった。
『最初』があれば『最後』があるように、『始まり』があれば『終わり』は必ず訪れる……にもかかわらず、我々が嵌まり込んだ流転の螺旋階段は、誰一人としてその結末を知る者はない。
終わりのない世界――それは、永遠に続く天国なのだろうか。それとも、決して脱することの叶わない地獄なのだろうか。
それこそ、“神から与えられた罠”なのかもしれない。
生と死は繋がり、永遠を繰り返す。それは、この宇宙も同様である。
どれほどの質量を誇る巨大な恒星であろうと、やがては超新星と化し『無』へと還る。だが、その衝撃波は銀河を強く揺さぶり、新たな星の誕生を促していく。
たとえ、すべての星々が燃え尽きたとしても、それは新たなる宇宙の始まりに過ぎない。
すなわち、永遠とは宇宙の理であり、我々の『魂』もまた輪廻の糸を延々と紡ぎ続ける糸車である。それは神の戯れの如く、永久普遍の無限回廊となってこの世界で繰り返されてきた。
決して完結することのない、成長や成果を成し遂げていくために……。
我々は、時に『終わり』を求め、時に『終わり』を嘆く。
永遠を約束された者でありながら、時として破滅を選び、過ちを繰り返してきた。
されど、これまで我々の歴史が途絶えた例はなく、物質文明は今もなお発展し続けている。
仮初めの終末を幾度も経てきた現代にあって、我々の愚行は未だ留まることを知らず、過去の教訓などなんの意味も成さない。
それが人間の性というのなら、なんと哀れで理不尽な運命であろうか。
さりとて、いずれはそれを自らの意志で断ち切らなければならない。
なぜなら、その行為こそが、有史以来、数多の賢人たちによって探求されてきた永遠の課題――魂の進化への糧となるのだから。
世界は間もなく、『約束の日』を迎えようとしている。
我々との契約を果たすため、七人の天使へと姿を変えた“彼ら”は高らかにラッパを吹き鳴らす。その儚くも荘厳な調べはこの大地の隅々にまで響き渡り、古来より人々が切望して已まなかった終末がもたらされることだろう。
終わる世界の始まり――それは、古代人が犯した大いなる過ちなのだろうか。それとも、この無限回廊を断ち切るための、最善の選択だったのだろうか。
魂の記憶を失った我々は、“約束”の意味を理解する暇すら与えられぬまま、その日を迎えることになる。
我々はどこから来て、どこに向かっているのだろう……。
その謎を解く手掛かりは、我々の『魂』が記憶しているに違いない。
そして、すべての謎が解き明かされた時、神の呪縛からも解き放たれたこの『魂』は、初めて進化を遂げることができるのだろう。
――神矢晃比古、著 『アガルタの記憶』序文より抜粋
☆
’一八年〇七月〇七日(約束の日まで、あと六七〇一日)
メキシコ湾を望むユカタン半島北部の町、メリダ。その郊外にひっそりと佇む、古めかしい煉瓦造りの安宿、『Hotel Atlantida』にて……。
マヤ・アステカ文明及び、メソアメリカの古代文明に関する随筆と、新作の書下ろし小説を執筆中の時のこと――宿の滞在日数はすでに半年を超え、すっかりと煮詰まっていた小生の元に一通のメールが届いた。
「二八〇〇グラム……将来はかなりのお転婆さんになってしまいそうなほど、元気いっぱいな女の子です。束の間のひと時でも、家族揃って過ごすことができたなら……一日も早いお帰りを、この子と共にお待ちしております。そちらはなにかと不便でしょうが、決してご無理などなさいませんよう、くれぐれも自愛ください」
「追伸――御神祖様より、地之巫女の御証を賜りましたこと、併せてご報告いたします」
妻、沙依からの無事出産を報せる内容に、徹夜続きの呆けた頭が一気に覚めていく。
『この物語を、愛する家族と未来あるすべての子供たちに捧ぐ――』
躊躇うことなくその一文を冒頭に書き加えた小生は、モバイルノートを静かに閉じた。
『約束の日』を回避する術があるならば、きっとこの子らが我々の希望となるだろう。
『約束の地(黄泉島とも呼ばれる魂の故郷)』の存在を主張した『ナーカル碑文』と、それを補足する『メキシコの石板』を照らし合わせて読み解けば、残された最期の手段はアガルタから魂の記憶を取り戻し、失われた古代技術を蘇らせるべし――と、そう解釈できる。
もっとも、アガルタを開廟するためには、門扉を開く鍵となる『天空詠みの巫女』の存在が必要不可欠である。
そのことを踏まえると、この事態に対抗する唯一の方法は、先住民族『亜瑠坐瑠』の末裔たる天巫女の少女たちに、我々の未来を託せ――と、いうことなのだろう。
“彼ら”との契約を反故にする機会は、遥か昔に逸してしまった。
だがしかし、天巫女たちの導きにより、現在の時間軸を『永久の世』へと軌道が修正されるのならば……その時、ようやく我々は未来へと希望を繋げることが可能となるだろう。
ところが、現実はどうであろうか。
神の代弁者を騙る者たちは、『破滅へと向かうことこそ、復活と再生への布石である』と説き、無知なる信奉者たちは、それを頑なに信じて疑おうともしない。
ましてや、そんな事情など何も知らされていない人々は、まもなく終末を迎えようというこの事態に、なんら危機感すら持ち合わせていない。
故に、我々はこれからも警鐘を鳴らし続けていかなければならないだろう。
たとえそれが大いなる過ちであったとしても、人知れず滅び逝こうとするこの世界を救う手立ては、まだ残されているのだから……。
夕暮れが間近に迫った窓からの景色に、視線を巡らす。
沈みゆく太陽を眺め、ああ、向こうではあれが朝日になるのだな……などと望郷の念に駆られた小生は、いつしか日本往きのチケットの手配をフロントに依頼していた。