小牛尉の笑み
小牛尉の笑みは、なんとも言えぬものであり、私には異のものに見える笑みだ
私が想像する好々爺とした喰わせぬ笑みを浮かべる日本の昔話に時折登場するような
偽りの姿に自らを変えた神さま(のようなお話の)イメージする偽りの姿そのもののような笑みだ
私は、小牛尉をイメージしてあのような話を読む 子供の時分からそれは変わらない
それは何故だろうか
現実にあのような笑みを見たならば、私は、何とも卑しく厭らしく奇妙で気味の悪い、笑みを浮かべる爺だろう!と思うだろう 狡猾な狡い人間なのではないだろうか?と想像し、想定するだろう
それくらい、気味の悪い、人の厭らしく狡い部分を塗り固めたような笑みに私の目には映るのだ
人が思わず忌避するような笑み
昔話に出てくる人を型取り変装する神さまは、敢えてそのような姿をとる 無意識に子供の時分から私は、そのように想定していたように見える
つまりは、神さますら人を試すのだ 狡猾で決して人が良いから神さまではなく
御礼も金銀など物を与えることで表す日本の神さま像は、ひどくこがねもちの成金仕様に見えたものだ
何故なのか未だによくは解らない
昔話の神さまは、大抵そうした悪戯好きであり、
仏教のイメージ、特に阿弥陀如来像とはかけ離れており、
なんだかなぁ、と思うのである
それだけです すみません