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香蕉の生き方  作者: うたう
後日譚
16/16

香蕉の木

 趙高(ちょうこう)を誅殺した子嬰(しえい)は、ほどなく秦王に即位した。

 このとき、趙成(ちょうせい)閻楽(えんがく)をはじめ、趙高の親族は、皆捕らえられて処刑されている。

 秦王と王位に留めたのは、秦にはもはや皇帝を号せるほどの国土と国力がなかったためであるが、中華全土を支配せんとする野心はないとの意思を示すためでもあった。

 しかし叛乱軍、もとい()軍の侵攻がこれで止むことはなかった。劉邦(りゅうほう)は計略によって欺き、武関(ぶかん)を開かせ、関中(かんちゅう)へと侵入すると、そのまま秦の首都咸陽(かんよう)手前の嶢関(ぎょうかん)を攻め落とした。

 秦王子嬰はやむなく降伏を決意し、玉璽を持参して、劉邦に拝謁した。白装束を纏い、首には縄を括って、死を覚悟した出で立ちでの面会であったが、劉邦は子嬰を赦し、子嬰とその一族の命を保証した。かくして、秦は滅亡した。

 劉邦に遅れて咸陽へと入った項籍(こうせき)は、しかし子嬰らを赦さず、かつて秦が六国(りっこく)を滅ぼしたことは罪であると称して、王族にあった者を皆処刑した。項籍は、始皇帝の墳墓である驪山陵(りざんりょう)を暴き、また咸陽の宮殿からも財貨、宝物を持ち出した。その後、火を放たれた咸陽は、三ヶ月もの間、燃え続けたと言われている。

 趙高の邸宅にあった香蕉(こうしょう)の木はおそらく、それ以前に寒さにやられて朽ちていたものと思われる。

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