三浦按針という人物について作者なりの評伝
もしもこの人物を大河ドラマにするなら…。
名前
三浦按針【ウィリアム・アダムス】
よみかた
みうらあんじん【ウィリアム・アダムス】
職業
イギリス人として初めて日本に来航した
テーマ
『日本史に関わった外国人の目線から見た日本史』
備考
日本史に登場する外国人の一人、家康から日本人名を授かった。
生没年
1564年~1620年
時代区分
安土桃山時代~江戸初期
アピールポイント
イギリス船リーフデ号に乗って航海していたところ、嵐に逢い、気がついたら見知らぬ土地に漂着していた。
「はて、ここはどこなのだろう…。」
見たことのない着物を着た、見たことのない髪型をした人々が、周囲を取り囲んでいる。
それこそが日本だった。
そして、ちょんまげという髪型の、武士と名乗る者たちは、徳川家康という人物のもとに、我々を連れていった。
とまあ、こんな感じで物語は始まるだろう。
一方の家康や、他の日本人たちもまた、イスパニア【スペイン】人とも、ポルトガル人とも、また異なる顔立ち、髪の色の異国人を見て、驚きを隠せないでいた。
「そのほう、国は何処か?」
「はっ。イギリスにございます。」
イギリス、と言ったが、当時日本ではイギリスのことを『エゲレス』と言っていたそうだ。
ウィリアム・アダムスはヨーロッパの地図を広げた。そしてそれぞれの国を指し示す。
「こちらの、一番西にある半島にある国がイスパニアと、そしてこちらの小さい方が、ポルトガル。
そこから上の方に、2つの島があります。そこが私のいた国、イギリスです。」
以上、ひとまず説明終了。
お次は市中に出て、日本という国がどういう国なのかを見て回るウィリアム・アダムス。
すると、若い娘たちに出くわす。あれが日本の若い娘たちかと、ウィリアム・アダムス。
「ねえ、あれが噂の異国人ね。」
「たしかに、赤い髪の毛をしているわね。」
イスパニア人やポルトガル人が『南蛮人』と呼ばれていたのに対し、オランダ人や、イギリス人は当時、『紅毛人』と言われていた。
「たしかに今までの南蛮人とは、何となく風貌が違うわね。」
江戸の町は、徳川家康が移り住むまでは、まだまだ東国の田舎町という印象で、ようやく徳川家康による江戸の町づくりが始まったばかりといった状況だった。
ちなみに、カルバリン砲を徳川家康に売り込んだのはイギリスだった。
ウィリアム・アダムス「どうです、家康公。こちらが我が国の最新鋭の大砲、カルバリン砲です。」
家康「うむ、これはすごいな、気に入ったぞ、ウィリアム・アダムスよ。
さっそくこのカルバリン砲を購入しよう。
これで豊臣も、さぞや驚くに違いない、わっはっは!
気に入ったぞ!そうじゃ、そなたには名を与えるぞ!
三浦按針じゃ!ウィリアム・アダムスよ、今後は三浦按針と名乗るがよいぞ!」




