『なろう系』なら凡庸以下の評価のマイナーな人物でも主役にできる、そんなマイナーな人物たちの一覧
大河ドラマだと基本的に歴史にそれほど興味のないような一般人でも知っているような有名な人物たちが主役となる。
一方で、その人物たちと戦って、負けた方の人物たち、戦いに負けるべくして負けた、やられ役のような扱われ方の人物たちもいる。
例えばこれらの、戦国武将たちの子供たち。
今川義元の子、今川氏真。
斉藤道三の子、斉藤義龍、さらにその子供、道三から見れば孫にあたる、斉藤龍興。
武田信玄の子、武田勝頼は、実は思いのほか有能だったという。
豊臣秀吉の子、豊臣秀頼。
このあたりはもはやマイナーと呼ぶのも疑問になってきているが、作者は見つけた。
徳川幕府の歴代将軍の中にも、マイナーな将軍たちがいることを。
『マイナー将軍家継奮闘記』
7代将軍、家継。
家継は幼少で将軍となったが、実権は新井白石と間部詮房が握っていて、いわば『飾り物』の将軍だった。
そして、わずか8歳で病死してしまい、その次の将軍はというと、8代将軍、吉宗であった。
ところが、8歳で病没して終わりか、と思ったら、神様の気まぐれで表向きは病没と伝えられ、実は病没したのは、同じ日に同じ病気で亡くなった、身代わりの子供という設定。
その身代わりで死んだ子供も、また神様の気まぐれで転生をして、別の人物として生き延びる。
家継は、実は江戸城を抜け出して密かに生き延びていたという展開になっていたら、という話を書いてみてもいいかも。
そして、密かに生き延びていた家継は、自分が実は7代将軍であることを隠しながら、ひっそりと生きていたが、そこで思わぬ人物と出会う。
それが、尾張藩の徳川宗春だった。
7代将軍家継と、尾張藩の宗春との出会い。
いずれ吉宗に取って代わらんとする野望の炎が、燃え上がる、というストーリー展開。
『やる気なし将軍家治のぐうたら居眠り生活記』
10代将軍、家治。
8代将軍吉宗の孫として生まれながら、吉宗よりもむしろ9代将軍家重の影響を受けたのか、
老中らと長い話をすることさえ嫌うようになり、
全ての物事に対して無気力となっていた家治だった。
家治は、老中田沼意次の時代の将軍で、
とにかく何をする気力もなく、政治は全て老中の田沼意次に任せっきり、
江戸城内で居眠りばかりしながら、ぐうたらな日々を過ごしていた。
「上様、上様…。」
「ふあーあ、意次か、余は眠いので、寝ているのだ、何の用だ?」
「上様の、政治に対する意見をお聞かせ願いたいと…。」
「政治に対する意見など無い、余は政治は嫌いでな。
政治のことは全て、意次に任せる…。」
とまあ、こんな感じで毎日過ごしていた家治だった。
「ではせめて、跡取りのことだけでもお考えくだされ!
さもなくば、また御三家や御三卿から、将軍を迎えなければならなくなりますぞ。」
「わかっておる…。余は眠い、頼むから寝かせろ…。」
「わかっておりませぬ!」
跡取りをつくる気も無かったのか、家治には子が無く、家治の死後は、御三卿一橋家の第2代当主、治済の子である家斉が11代将軍となり、その後50年以上、将軍、大御所として君臨したという。
『大奥は江戸城のハーレムだ!オットセイ将軍、家斉のハーレム生活記』
その家斉はというと、とにかく好色を絵に書いたような人物で、17人の側室との間に、生まれた子供は55人という逸話がある。
もっとも、これも公式の記録として出ているものだけで、実際のところは気に入った腰元やら女中やらにも、見境なく、手当たり次第に手を出しては、妾のようにしていたともいうから、実際にはもっと多いだろうと言われる。
家斉にとって大奥は、まさにハーレムだったといえる。
もともと将軍以外の男は入れないという大奥。
その時点で大奥は将軍専用のハーレムともいえるが、家斉は特に、大奥を自分専用のハーレムとして活用したといえる。
別名『オットセイ将軍』という異名まである通り、大奥の側室たち、腰元たち、女中たちを相手に性交にふけっていたという。
そうして55人もの子供をつくりながら、嫡男で、12代将軍となる家慶以外の子供らは認知されることなく、野に放たれ、そしていつしか、将軍家のご落胤を名乗る者まで現れた。
「我こそは将軍家のご落胤だ!」
と言っているのは、実は家斉のご落胤のことだろうと。
将軍や、身分の高い武家のご落胤の話は、歴史小説や時代小説でも、よく題材になる。




