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都道府県別偉人伝【東京・関東】

都道府県ごとに、こういうタイトルの大河ドラマを、もしもやるとしたら、というのをいろいろと書いてみた。

続いては東京・関東ブロックとなります。



東京都


平将門(たいらのまさかど)


現在も大手町のオフィス街のど真ん中に、将門の首塚が置かれているという。

生年は不詳だが、『平』の姓を授かった桓武平氏の祖、高望王(たかもちおう)の孫にあたり、

その高望王(たかもちおう)の三男、平良将(たいらのよしまさ)の子にあたる。

この頃、京の都では貴族たちの華やかな宮中文化が花開いていた。

朝廷では熾烈(しれつ)な政権争いが続き、役人たちはというと、政権の実力者たちに取り入ることを考えていた。

一方で、地方の農民らの生活は豊かにはならなかった。

さらには、国府【当時の役所】の国司【国府を治める役人】たちの横暴が目に余るようになり、民衆はそれに対して不満をいだき、これまでの指導者に代わる、新たなリーダーの出現を待ち望むようになった。

そんな状況を見るに見かねた将門は、まさに自分がその新たなリーダーになるために、行動を起こした。

いわゆる、承平(じょうへい)天慶(てんぎょう)の乱とも呼ばれる、平将門の乱を起こし、その勢いでたちまち武蔵国を手中におさめる。

同じ頃に、西国では藤原純友(ふじわらの・すみとも)の乱が起こり、この西国の乱も合わせて承平(じょうへい)天慶(てんぎょう)の乱と呼ばれるようになる。

その後、勢いに任せてたちまち関東地方一帯を平定していく。

下野(しもつけ)上野(こうづけ)の国府にまで攻め登り、たちまち現在の関東地方の大半を支配下におさめた。

天慶2年【939年】の12月に、自ら『新皇(しんのう)』と名乗り、新国家樹立を宣言するが、その反乱を鎮圧したのは藤原秀郷(ふじわらの・ひでさと)の率いる軍勢であった。

平将門は不死身の体を持つといわれたが、体の中で唯一の弱点といわれた『こめかみ』を弓矢で射抜かれて絶命したという。

こうして天慶3年【940年】に、平将門の死をもって、平将門の乱は鎮圧されることとなった。


しかし将門伝説は、将門の死後になって、続いていくことになる。

将門の首はさらし首にされるが、ある時突然、その将門の首は、ある場所まで飛んでいったという。

それが現在は大手町のオフィス街になっている、現在、首塚があるその場所なのである。

後世になって、首塚を別の場所に移動させようとしたら、それに関わった人たちが次々と変死していったことから、『将門のたたりではないか』といわれた。

終戦直後には、将門の首塚をGHQが撤去しようとしたところ、撤去のためのブルドーザーが横転して死亡事故を起こしたため、またもや『将門のたたり』といわれたため、これも中止になり、そして現在に至るまで、将門の首塚は、その場所にあるという経緯がある。




太田道灌(おおたどうかん)


室町時代中期に江戸城を築いた、文武両道に秀でた大名。

いわば現在の東京に至る、その一番最初の基礎を築いた人物でもある。

扇谷(おうぎたに)上杉家の家宰(かさい)にして、武蔵国の守護代に在任していた。


神奈川県


『北条五代』


応仁の乱の終結直後の情勢から書かれる。

早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の五代の物語だが、小田原以外での盛り上がりがイマイチなんだろうか…。


『頼朝伝』


義経は2回ほど主役になったが、頼朝は主役にはなっていないような気がしたので、あえて書いてみた。

頼朝は戦は下手だったが政治は上手かった。

逆に義経は、戦は上手かったが政治には疎かった。

最後は落馬して死亡したとされるが、陰謀説もあり、真相は今も謎のままとなっている。

執権の北条時政、義時父子による陰謀説、あるいは妻である北条政子が、頼朝が浮気をしていると疑い、毒殺したのではないかという説もある。


埼玉県


『秩父氏』


『秩父』という地名の由来にもなっているという、平安時代の後期頃、平治の乱前後の時期に現在の埼玉県のあたり、武蔵国を統治していたという氏族。


千葉県


千葉常胤(ちばつねたね)


石橋山の戦いで負けて、安房国に流れ着いた源頼朝をかくまい、再び平家打倒へと向かわせた功労者は、実はこの人物。

『千葉』という地名の由来になった人物でもある。


『南総里見氏』


戦国時代に南総、安房国(あわのくに)を治めていた大名。

相模の北条氏と、当時は江戸湾といわれた東京湾の海を隔てて、お互いに水軍、海賊を差し向けては、覇権を争っていた。


群馬県


『徳川綱吉』


綱吉は将軍になる前は、館林藩の藩主であった。

四代将軍、家綱が逝去し、家綱に実子がいなかったため、館林藩主の綱吉が五代将軍となったという経緯がある。


古くは『上野(こうづけ)国』と呼ばれていた。

江戸時代は譜代大名により統治され、前橋藩、高崎藩、館林藩などに分かれ、酒井家、井伊家、松平家、間部家などが藩主として統治していたという。


栃木県


『日光東照宮』


家康亡き後、江戸の鬼門にあたる北に、家康の御霊(みたま)を奉るため、日光東照宮が建てられ、家康は東照大権現(とうしょうだいごんげん)として奉られることになった。


古くは『下野(しもつけ)国』と呼ばれていた。


宇都宮成綱(うつのみやしげつな)


戦国時代になると宇都宮氏や喜連川(きつれがわ)氏が登場し、宇都宮成綱の時代に宇都宮氏の全盛期を迎えることになる。

現在の栃木県の県庁所在地である、宇都宮市の地名の由来ともなった。


茨城県


『水戸光圀』


茨城県の偉人というと、水戸黄門だが、茨城県民にとっては、もはや説明不要だろう。

本当は諸国漫遊の旅などしていなかった、もっぱら藩政に尽力したともいうが、やはり『水戸黄門』の諸国漫遊の悪人退治のイメージが強い。

日本人で初めてラーメンやチーズなどを食したともいう。

また、『大日本史』の編纂(へんさん)にも関わったといい、73歳まで長生きしたという。




以上、ここまでが東京・関東ブロックとなります。


次回は東海・北陸ブロックとなります。



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